雄略天皇×稚媛
両宮山古墳 山陽町 2016.03.22
すべての始まりは男女の恋愛から 生命力の根源が始まる
神の世の天皇は吉備の姫に惚れて追いかけまわし
・・・稚媛悲伝説
日本書紀に「吉備と稚媛」について、次のような記述がある。
上道国造の田狭は、自分の妻である稚媛の自慢をした
化粧をしなくても、こまやかに、さわやかにして、もろもろの好(かお)備わ
れり。あからかに、にこやかにして、くさぐさの相(かたち)足れり」田狭の言
葉を聞いた雄略天皇は、田狭を任那国司として派遣し、その留守に稚媛を宮中に
召し出し、妻とした。
稚媛は、田狭との間に、兄君(えのきみ)と弟君(おとぎみ)をつくり
雄略天皇に奪われた後、磐城皇子と星川皇子が生まれた。
そのことを知った任地の田狭は、新羅と組んで謀反を起こした。
討伐に、田狭の子供の弟君が派遣されたが、百済で自分の妻である樟媛に殺害
され、田狭も行方不明となった。
その16年後、皇位継承をめぐり、皇太子白髪皇子に対抗し、クーデターを計
画し失敗、稚媛、兄君、星川皇子などが、焼き殺された。
そのクーデターに、上道臣が関連したとして、「山部」を奪われた。
その後、急速に吉備の国は衰退していった。
12 景行天皇 × 稲日大郎姫いなびおおいらつめ
日岡陵古墳 加古川 播磨稲日大郎姫
15 応神 ×兄媛えひめ
葦守の宮 足守
16 仁徳 × 黒媛
葦守の宮 足守
21代 雄略天皇 × 稚媛 両宮山古墳 山陽町
両宮山古墳 2016.03.22 「266」
次のページ 謎の時代 古墳時代4-5世紀
原始・古代の索引
和田茶臼山古墳 2016.03.22 「266」
両宮山古墳 2016.03.22 「266」
森山古墳・朱千駄古墳 2016.03.22 「266」
備前国分寺跡 2016.03.22 「266」