久々にPon家のお話です。
すっかり耳が遠くなった祖母いまちゃ。
夜帰って、背中に向かって「ばあちゃん、(私)来たよ~」を言っても、気づいてもらえなくなりました。
以前は、寝ぼけつつも一瞬起きて、「お帰り・・・。むにゃむにゃ・・。(睡)」と言ってくれたのにな。
最近では、昼間でも目を閉じて寝ている時間が長いです。
たまに、「このまま起きなかったらどうしよう」と思ってしまいます。
元気な日、庭に出ている姿を見ると、私もホッとします。
「旅行なんか行くより、うちの庭見てるのがいちばんいいわ。今年はよけいにきれいに咲いたね」
と、ツツジに目をやる。
「山育ちの貧乏暮らしで、まずいものばっか食べて育ったで、これが一番いいよ。」
と、漬け物やみそ汁ばかり食べる。
そんないまちゃは、毎日を淡々と味わって生きています。
「長生きしてほしい」「いつまでも元気でいてほしい」 という、周りの人間の勝手な望みは気にせず、
「人間、いつか死ぬっちゅうことがあるから、いいんだに。」
と、穏やかです。
毎朝仏壇に手を合わせる小さな背中は、どこか威厳を感じさせ、私は仏間に入れません。
十三で岡谷の製糸工場へ働きに出、手ぬぐい一本も買うのも考えながら、二十二で結婚するまで実家にお金を入れ続けた祖母。結婚後は箕輪町で、二人のやんちゃ君(Pon父含む)を育てながら、できる仕事はなんでもやって家計を助けていたそうです。
「いつも、真心込めてまじめに働いたよ。仕事覚えるのは遅かったけど、みんな大事にしてくれてね。」
「人に対しても、家族のことも親戚のことも、できるだけのことをやってきたで、このおばあは後悔はないよ。」
大正の女は立派だなぁ・・・。
私も六十年後、こうありたいと思います。
久しぶりのおばあちゃんの登場ですね。
大正生まれですか。私の母も大正生まれでした。
この時代の日本人はほとんどの人が想像を絶する苦労をされたと思います。おばあちゃんも若い時から苦労され、よく働かれたのですね。私の母も働き者でした。物を大切にしていました。私は余り親孝行はできませんでした。Pon子さんは、できるだけおばあちゃん孝行してくださいね。
お母様も大正生まれの方だったのですね。
昔の人たちは、何もないところから始め、地道に生活を守り家族を養い、今の日本を築いてくれた恩人ですよね。
私も精一杯生きて、後の世代のためにバトンをつないでいく・・・それが親孝行になるといいなと思っています。
p.s
毎度毎度、お返事がだいぶ遅くてすみません