先日、娘とテレビを見ながら突然、「ねえ、けんりってなーに?」と聞かれました。
ドキッ、今度はそう来るか。
最近、いろいろな言葉を覚えてくるなとは思っていましたが、私の頭の中で
娘の言う「けんり」は「権利」なの?。
すかさず、「どこで聞いたの?」と聞くと「いま、テレビでいってた」との返事です。
内心、もっと子供らしい言葉に疑問を持って欲しいと思いましたが、子供にとって
子供らしい、大人らしいという区別は出来ないのが当然で、単なる素朴な質問だったのです。
さあ困った、自分でもよく解らない。
一般論として「権利と義務」等の言葉や、様々な解釈や例がありますが、特に権利を意識または主張しながら生きているわけでもないし。
法律家や学者先生でも無い私に、そのような質問はお門違いだと思いましたが
娘は「ねえ、けんりってなーに」と更に聞いてきます。
「うーん」と唸っている私を見て、娘は、聞いてはいけないことを聞いてしまったという表情です。
ただでさえ判らないのに、6歳の娘になんと説明すればよいのか。
「うーん、うーん、うーん、うーん」
「人はね、生まれてすぐの赤ちゃんから大きくなっておじいちゃん、おばあちゃんになるまで幸せに楽しく暮らそうとするんだよ」
「でも、みんなと一緒に楽しく暮らそうと思っても、出来ない時はどうしたらいいかな?」
「そんなのいやだ、がんばればいいじゃない」と娘。
「何をがんばればいいかな?、お遊び?、お手伝い?、お片づけ?、お勉強?」。
「ぜーんぶ」と娘。
「そうだね、全部がんばればそれを見ているお父さんやお母さんは、良くやっているねと褒めてくれるでしょ」
「褒められたらうれしいし、またがんばろうと思うよね」
「それを見ているお父さんもお母さんも、もっともっとがんばろうと思うんだよ」
「だから、幸せになれるんじゃないかな、楽しく過ごせるんじゃないかな」
「こういうのを権利って言うんじゃないの?」
そんな自分でも訳のわからない、支離滅裂な会話を終えると判ったような判らなかったような表情で「ふーん」と娘。
権利という言葉の説明には程遠いと思いながらも娘は、何か考えている様子です。
頼む、後は何も聞かないでと思っていると、アイスクリームが食べたいと言い出し
私は無罪放免されました。
なんか嘘を教えたみたいで心苦しいのですが、その時はそれを答えるのがやっとでした。
これから、生きていく中でどうしても権利というものを主張しなければならない時が来るかもしれませんが、せめて幼児期の娘にはこの方苦しい権利や、義務などということに左右されず子供本来の無邪気な育ち方をして欲しいと思います。
今のところ娘には、おもちゃを散らかす権利、お菓子を選ぶ権利、遊び場所を選ぶ権利等、いろいろありますが、その度毎必ず「あとでかたずけるよ」、「2こだけでいいよ」、「みんなとなかよくするよ」と言ってきます。
それだけ判っていれば充分だなと思います、娘にとって躾という教えの中から自分でしなければならないことや、やりたいことを見つけてくれればそれでいいと思う
出来事でした。
ドキッ、今度はそう来るか。
最近、いろいろな言葉を覚えてくるなとは思っていましたが、私の頭の中で
娘の言う「けんり」は「権利」なの?。
すかさず、「どこで聞いたの?」と聞くと「いま、テレビでいってた」との返事です。
内心、もっと子供らしい言葉に疑問を持って欲しいと思いましたが、子供にとって
子供らしい、大人らしいという区別は出来ないのが当然で、単なる素朴な質問だったのです。
さあ困った、自分でもよく解らない。
一般論として「権利と義務」等の言葉や、様々な解釈や例がありますが、特に権利を意識または主張しながら生きているわけでもないし。
法律家や学者先生でも無い私に、そのような質問はお門違いだと思いましたが
娘は「ねえ、けんりってなーに」と更に聞いてきます。
「うーん」と唸っている私を見て、娘は、聞いてはいけないことを聞いてしまったという表情です。
ただでさえ判らないのに、6歳の娘になんと説明すればよいのか。
「うーん、うーん、うーん、うーん」
「人はね、生まれてすぐの赤ちゃんから大きくなっておじいちゃん、おばあちゃんになるまで幸せに楽しく暮らそうとするんだよ」
「でも、みんなと一緒に楽しく暮らそうと思っても、出来ない時はどうしたらいいかな?」
「そんなのいやだ、がんばればいいじゃない」と娘。
「何をがんばればいいかな?、お遊び?、お手伝い?、お片づけ?、お勉強?」。
「ぜーんぶ」と娘。
「そうだね、全部がんばればそれを見ているお父さんやお母さんは、良くやっているねと褒めてくれるでしょ」
「褒められたらうれしいし、またがんばろうと思うよね」
「それを見ているお父さんもお母さんも、もっともっとがんばろうと思うんだよ」
「だから、幸せになれるんじゃないかな、楽しく過ごせるんじゃないかな」
「こういうのを権利って言うんじゃないの?」
そんな自分でも訳のわからない、支離滅裂な会話を終えると判ったような判らなかったような表情で「ふーん」と娘。
権利という言葉の説明には程遠いと思いながらも娘は、何か考えている様子です。
頼む、後は何も聞かないでと思っていると、アイスクリームが食べたいと言い出し
私は無罪放免されました。
なんか嘘を教えたみたいで心苦しいのですが、その時はそれを答えるのがやっとでした。
これから、生きていく中でどうしても権利というものを主張しなければならない時が来るかもしれませんが、せめて幼児期の娘にはこの方苦しい権利や、義務などということに左右されず子供本来の無邪気な育ち方をして欲しいと思います。
今のところ娘には、おもちゃを散らかす権利、お菓子を選ぶ権利、遊び場所を選ぶ権利等、いろいろありますが、その度毎必ず「あとでかたずけるよ」、「2こだけでいいよ」、「みんなとなかよくするよ」と言ってきます。
それだけ判っていれば充分だなと思います、娘にとって躾という教えの中から自分でしなければならないことや、やりたいことを見つけてくれればそれでいいと思う
出来事でした。
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