娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

預かり保育

2006年06月07日 06時26分01秒 | 幼稚園
娘の通う幼稚園では、家庭の事情により子供の降園時、誰も出迎えられない時は
保育時間を6時まで延長することが出来、急な用事がある場合はそれを時々利用しています。

この延長保育を利用する共働き家庭の場合は、両親のどちらかが6時までに迎えに行きますが、娘はただ遅くまで遊びたい理由から時々、「きょう、おそいおかえりがいいな」と言って延長保育を希望します。

月曜、火曜は妻の事情で延長保育をすることになりましたが、当の本人は朝からそれがうれしくてたまらない様子です。

延長保育は、年少から年長までの子供が一緒の部屋で親が迎えに来るまで遊んだり、お菓子を食べたりして、その日毎に担当の先生も替わることからどうやらこれを楽しみにしたいるようです。

「きょうは、だれせんせいかな?」と朝から気にしていて、他の友達が帰り、数人しかいない時でも遊ぶことが楽しくてしょうがないみたいです。

普段は、3時半に通園バスで家に帰ってくるので6時までといっても2時間ちょっとの延長ですが、延長保育時間は数人の園児に対し、先生が一人、または二人となるのでいつもより相手にして貰う機会が増える為でしょうか、その事が判っていると思われ延長保育の日はいつも朝からうれしそうです。

延長保育をする時は私が会社帰り迎えに行きますが、仲良しの友達が一緒の時は6時を過ぎてもまだ遊び足りないらしく、更に園庭で遊ぶこともあります。

この前もこの状況になり、他の子を迎えに来たお母さんは、園庭で娘と一緒に遊んでいる子を見ながら困り顔です。
このお母さんも、会社帰りで早く家に帰り食事の支度やら、片付け、明日の準備を
しなければならない時間であり、早く帰るそぶりを見せないかなと言う表情で
待っています。

その様子を見ると共働きのお母さんは大変だなと感じますが、子供の方は、そんな親の都合を考えているのかいないのか、ぎりぎりまで遊ぼうとします。
どうせまた明日、一緒に遊べるのにもう良いじゃないのと勝手に思いますが、子供の方はその事は判っているものの、今のこの時間を楽しく遊びたい、明日は明日、という思いなんでしょうね。

一瞬一瞬を自分なりに納得するまで真剣に遊ぶ姿を見ると、親の私たちも何かを忘れているのかなという気分にさせられます。

確かに、一瞬というあってないような無限小の時間の積み重ねがあって、明日という未来があるということを考えると、子供の行動は”一瞬たりとも無駄に過ごせないんだ”と訴えかけられているみたいです。

娘と家で遊ぶ時も反省させられる事が多々あり、夕食後、娘と遊びながら私の方が
疲れたり、面倒になる時はつい、「続きは明日しようね」と言ってしまうことがあります。
「なんで?」との問いかけに「もう寝る時間だよ」とか「明日起きられなくなるよ」と自分に都合が良く、娘も判ってくれるとの勝手な思いで言いますが
「なんであそんでくれないの?、わたしのことがきらいなんでしょ?」と言い返されます。

やはり返答に困って「じゃあ、あと30分だけね」と言って最後の要求を叶えますが娘にとってはその時が一番楽しい時間であり、それを明日に持ち越すことは子供の思考回路の中に存在しないことだとつくずく思います。

社会人になり、先輩や先人の教えで「その日出来ることはその日の内にやれ」と良く言われますが、大人になるとどうも逃げ道ばかり探してしまう癖が付くように感じます。

頭では判っているものの、大人のずるさ故の行動だと反省します。
子供は、そんな事は考えずに一瞬を大切にして生きているのに。


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