娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

母が亡くなって3ヶ月

2010年02月17日 18時16分58秒 | 

母が亡くなってから3ヶ月が経ちました、息子であっても、人とは現金なもので母を
偲んで毎日を送ることは特にないこの頃です。

母が健在の頃はある意味緊張感というものがあって、それは病状の変化に神経質に
なっていた事でした。

病状の変化が本来の骨髄腫の進行によるものか、飲んでいる薬の副作用よるものか
解らずに悩んだこともありました。

また、味覚の変化も著しく、元気な頃は特に嫌いな調味料はなく醤油、ソース、
マヨネーズ、ドレッシングなど平気で使っていましたが病状の悪化と共にそれら調味料は
一切受け付けず、塩だけを使って野菜などを食べるようになりました。

更に食が細くなると塩をかけたお粥を1日で数口食べ、気が向けばわずかなお菓子を
食べるようになったのを思い出します。

こういう時の苦労は、病人も大変ですが、食事を準備する方も相当気疲れすると思います。

母はよく、“あれが食べたい、これが食べたい”とリクエストをしていましたがいざ
食事が出来るとほんの1口しか食べられなかった事が良くありました。

食欲が全くないわけではなく、体が食物を受け付けなくなっていたのです。
下痢や嘔吐が何日も続き、それが治まるまでは夜もぐっすり寝ることが出来なくなりました。

妻は、極力消化の良いものとしてお粥をメインに、中華風、韓国風に味付けし、
付け合わせには軟らかく煮た肉や野菜を添えていましたがやはり食は進みませんでした。

作ってくれた苦労を知っている母は何とか食べようとしましたが、それでも1口、2口です。

母が“申し訳ないね、せっかく作ってくれたのに”と妻に言っているのを幾度と無く
耳にしました。

それでもいやな顔をせず、毎日食事の支度をしてくれた妻には頭の下がる思いです。
私たちの食事と母の専用食、日に何十回も同じ話を聞かされても初めて聞いたように
相手をしてくれたことにはただ感謝するばかりです。

母がいなくなって3ヶ月、そのようなことが思い出されます。



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