カリフォルニアに引っ越してちょうど1年経ちました!
家族4人、怪我も病気もなく銃で撃たれることもなく(!)無事にきた。
『オークランド!?オークランドはやめなよ!毎日人が撃たれて死んでるよ』と、友人に忠告された土地に住み始め、怒濤のような1年でした。
2011年の秋に、私の永住権の手続きを開始し、ようやく許可が下りたのが去年6月。
移住が現実味をおびて来た、あの時の吐き気がするような不安感を忘れない。
「住むあても仕事もなくどうするんだ??」
「あのまま日本にいたら楽だったなー」
何度も何度も思った。
フリーランスで不安定ながらも仕事が続いていて、夫も日本の生活に馴染んでいたし、この上なく親切で優しい地域の人たちにも囲まれて、不満はなかった。
だけど、あのまま日本に暮らし続けるわけにもいかなかった。
穏やかな5年先10年先の家族の暮らしが、なんとなく予測できたから。
「ぬるま湯から飛び出せ飛び出せ!冒険だ!」と私の中のジプシーが、どうしようもなく叫んでいたから。
息子は2人とも日本で生まれ、ほとんど100%日本人として育っていたから、彼らが大きくなりすぎる前に、アメリカ人としてアメリカでの暮らしも経験させたいと思った。
日本語の不自由な夫と、日本語しかしゃべらない子ども達との間が、広がって行くのもいやだった。
夫には姉がひとりいるが、独身で子供もいないので、彼の両親にとってはうちの息子がたったふたりの孫である。
息子の家族がアメリカで暮らす日が来ることを、心待ちにしていた父や母を、喜ばせたいと思った。
ふたりきりの孫が、知らない土地に生まれ育って、知らない言葉をしゃべり成長するのは、彼らにとっては寂しいことだったと思うから。
「今より生活はずっと下がるよね」
「また、一から全てのこと始めるのしんどいな」
「日本の方がミュージシャンとしては安定する」
「アメリカの政治や経済や教育環境が、日本に比べていいってわけじゃないよね」
「夫婦だけならまだしも、子連れで路頭に迷うわけにはいかない」
こんな会話を何年も繰り返し、「それでもやっぱりやってみよう!!」と、大きなジャンプをしたのでした。
そして、なんとか1年。
まだ全然わかりません、先のこと。
不安なこと、この上なし。
「冒険だ冒険だ!」
私の中のジプシーは喜んでいて、
「もうちょっと安心して暮らしたいなあ」
と、側で小さくつぶやく別の私、、、。
Pinterest も覗いてね
りょうこさん!!
えっと~数年前にマグカップやTシャツの絵付けをして頂きました。
しのぶです。。。覚えていただいてますでしょうか?
その後私も色々な事があり、、、全くパソコンの前に座る時間さえなく ふと今日久々にパソコンでブックマークに登録していた りょうこさんのブログを読んでビックリ。
アメリカに行かれてたんですね。。。
私の大親友はサンノゼでアメリカ人の旦那さんと幸せに暮らしているんですよ。
うちの二人の息子も、長男は今年から高校生。
次男も6年生になりました。
ピアノは二人共まだ続けています。
またブログにて近況をアップしてください。
楽しみにしています♪
あ、そうだ!iphoneでこれからちょくちょく覗きます。
うちの息子が大好きな友達がアメリカに行っちゃうって、号泣してから早一年なのね。
なぜか、彼の親しい友人は毎年のように転校して行っちゃうんだけど、海外に行っちゃうってのはさすがに初めてで、ちょっと電話すれば会える距離じゃないことを知ってるからこその号泣だったんだろうなと。
でもリョウコちゃんのblogで、なんで永住権を申請したのか分かってちょっと安心したわ。
3年前から永住権申請してたって涼子ちゃんから聞いたとき、あーやっぱり、ってちょっと思った。
3.11での原発事故で、職場の同僚のお姉さんがドイツの方と結婚してるんだけど、すぐさまドイツにいるご両親に、そんな危険な国にいてはいけませんと呼び戻された話もあって、涼子ちゃんもアメリカのご両親から言われて、無理矢理選んだ道なんじゃないかって、勝手に憶測してたんだけど、違うみたいで良かった!
自分のジプシー魂とご両親&旦那様と子供たちへの愛ゆえの決断だったのね。
それを聞いてホッとしたわ。
あとは銃で撃たれないようにね!
お元気でしたか?
ご長男、高校生!?早いですねー。下のお子さんはうちと同じですもんね、6年生。うちのは扱いが難しい年頃になって来ましたヨ、、、、
ピアノ続けてるんですね!ステキ!
音楽の道に進むのかなー、お二人とも、、、。
Youtubeにアップするようなことがあれば、お知らせくださいね!
サンノゼはうちから車で1時間くらいです。
日本人が多く、大きな日系スーパーもあり住みやすい印象ですね。
あんまり頻繁には更新しないブログですが、また見に来てくださったら嬉しいです
1年早いね!
3.11は、直接は移住の理由とは関係ないよ。
まあ、あの直後夫は「一刻も早くアメリカに行こう!」と焦ってたけど、彼の両親は何も言わなかったです。
彼らの希望はいろいろあるんだけど、でも私たちの選ぶことに口出しする人たちではないので、それはとっても感謝してる。
でもね、あの地域を離れるの、ものすごく寂しかったよ、私も子供たちも。
たまたま消去法で住み始めただけの場所だったから、それほど執着はないと思ってたのに、いざ離れるとなると、もう寂しくて悲しくて、、、
知らず知らずのうちに地域に根をはって、愛着を持っていたんだなあ。
今は第2の故郷になりました。
だから待っててね~、来年里帰りするからね~!