市ヶ谷日記

喜寿を超えた老人です。日々感じたことを、過去のことも含めて、書き記しておこうと思います。

慶応大学病院における腹部大動脈瘤手術の詳細記録(その2)

2014-11-02 | 日記
Ⅲ 入院・手術
(1)9月14日(土)<病院からの連絡>
 
 慶応病院から電話。16日入院、18日手術という連絡であった。16日は休日であるので10時までに救急の受付15番に来ること、病室は2号館7Nで料金は1日37,800円であることも、併せて伝えられた。
 いよいよ来るものが来たという思いであった。

(2)9月15日(日)<入院準備>
 明日の入院を控え、準備。何か、戦地に出征する兵士のような気分であった。
 病院からの指示により、持込み荷物を、
   手術前2日間の必要物、
   手術直後ICU室で過ごす1日のための必要物、
   その後HCI室で過ごす1日のための必要物、
   1週間の入院期間中の必要物、
と4組用意する必要があり、家内はその点検に一生懸命であった。
 私は、その他の持参する物品として、読書用メガネ、本(塩野七生著「わが友マキアヴェッリ」3分冊)、筆記用具、スマホ、カメラ、計算機、爪切りセット、懐中電灯などを準備した。

(3)9月16日(月)<入院1日目>
 台風18号が東京に接近しつつあるなか、慶應病院へ向かう。10時の入院であるので、1時間早く9時に家を出てタクシーに乗る。病院には、9時10分に着いてしまった。
 その日は「敬老の日」で病院の休診日。救急の15番受付は救急患者の関係者でごったがえししていた。事務員に「入院」と告げると、直ぐに手続きをしてくれた。 
 保険証、患者カード、予め署名しておいた同意書等を提出し、10分で入院手続きを終える。病室は電話連絡の通り2号館7N5759室である。
 なお、提出した同意書等は次の通りである。
   「入院に係る同意書」(病院規則を守ること、許可なく付添人を付けないこと等)
   「特別療養環境室入室申込書」(室料37,800円/1日、9月16日~    )
   「『身体抑制』実施に関する同意書」
   「インフルエンザなどの感染予防について(同意書)」
 エレベータで7階まで上がり、7Nのナースセンターへ行く。看護師が、フロアー全体の説明をし、病室まで案内してくれた。風呂のある場所、風呂の予約の仕方を教えてくれる。入院患者のための洗濯機もあった。
 病室は8畳くらいの広さ。トイレ、洗面所、衣服入れが付属しており、ベッド、机、椅子(2脚)、貴重品入れ、冷蔵庫、電話(使用料無料。ただし、1度も使わなかった)、テレビ、TV台を兼ねた物入れ、屑入れなどが備わっている。しかし、時計やインターネットの設備が無く、やや古い型に属する病室である。
 一段落して病室で家内と二人で休んでいると、看護師が来て血液の採取をするとともに、看護に必要な情報(耳が遠いとかといったこと)の聞取りをする。入院前の事情聴取で話したことが伝わっているのか、75歳の高齢でまだ仕事をしていること、毎年富士山に登っていることなど、称賛してくれる。
 しばらくして、病棟担当の若いK医師が挨拶に来る。この医師とは電話で話したことはあるが、会うのは初めてである。姿、恰好はまさしく慶応ボーイ、我儘そうなところがあるが、好青年といった印象。
 午後に予定されていたレントゲン撮影を午前中にすることになり、1階の外来検査室で撮影。立った姿勢で正面から腹と胸、横から腹、ベッドに寝た姿勢で腹部、胸部の各撮影をする。
 12時30分、昼食。昼食30分前にお茶の給仕があり、その後、食事が運ばれて来る。これが慶応病院における朝、昼、夕の食事の給仕の仕方である。
 お腹が空いていたのか、食事は美味しかった。特に、ライスが美味しく感じた。ライスが美味ければ塩だけでも食える、というのが私の持論であり、不味い病院食を覚悟していたが、予想に反して美味しく、心配の一つが消えた。
 食事後、病棟副担当のG医師が挨拶に来る。この医師も好青年。「何かあったら、直ぐにナースセンターを呼ぶように」と言われる。
 午後、することがないので、家内と二人で散歩に出かける。病院隣の神宮外苑を通り抜け、青山通り近くにあるレストラン「Royal Garden Café」でコーヒーを飲む。ここは家内と一緒に散歩でよく立ち寄る喫茶店である。
 病院に戻った時は、16時を過ぎていた。
 看護師が16日夕~18日朝分の薬として次の薬を届けてくれた。
   コニール4mg(1日2回、半錠) 
   オルメテック10mg(朝食後1回、半錠)
   クレストール2・5mg(朝食後1回、1錠)
   バイアスピリン100mg(朝食後1回、1錠)
   ネキシウム20mg((朝食後1回、1カプセル)
   ハルナール0・1mg(朝食後1回、2錠)
 入院案内には「常用薬2週間分を持参すること」と書いてあったので、これらの薬は全部持って来ており、慶応病院から改めてもらう必要はなかったが、面倒なので黙って受け取る。
 予約していた16時30分~17時の時間に風呂に入る。広いバスタブがあり、シャワー付きである。床が滑りやすいのが難点であった。
 バスタブの容量が大きいためお湯を貯めるのに時間がかかる。衣服を脱ぎ、時間節約のため直ちにシャワーを浴び、身体を洗い、最後にバスタブに浸かるという一連のプロセスを終えると、もう30分近く経っていた。自宅の風呂のように、入浴を楽しむということはできない。
 18時10分に夕食。今日が「敬老の日」であるからであろうか、尾頭付きの鯛に赤飯であった。食事担当者も頭を使い、メニューに工夫を凝らしているようである。
 19時頃、家内が帰宅する。
 20時過ぎ、看護師が体温と血圧を測りに来る。
   体温 36・8℃
   血圧 128 78 85(最高 最低 脈拍)
 21時、消灯。セルシンを飲む。セルシンは、心配症の性格であるため、S講師に処方してもらった薬である。
 23時頃、看護師が見回りに来る。寝たふりをして、やり過ごす。その後も、消灯したままテレビを視て時間を過ごす。
 24時、就寝。入院1日目が終わる。

(4)9月17日(火)<入院2日目>
 6時、起床。
 まず、浴室に行き、予約表に「15:30~16:00」と書き入れ、午後、入浴できるようにする。
 体温を病室備え付けの体温計で測り、血圧、体重をラウンジにある計測器で測る。体温35・9℃、血圧135/87、脈拍75、体重81・2kg。
 6時30分、病室に来た看護師に体温等の測定結果を報告する。
 7時50分、ナースセンターから呼び出しがあり、ラウンジで採血を受けるように言われる。ラウンジには入院患者が集まっており、毎朝、定期的に採血があるようである。
 7時58分、医師の一団が病室を訪れる。総勢6人くらい。何のために来たのか分からなかったが、「今日、手術の説明がある」とだけ言われる。各病室を回っているので、これが回診というものであろうか。
 回診と言えば、テレビドラマで見るように、教授を先頭に大勢の医師、看護師が患者を見て回る図を想像していたが、今日の回診は、病棟担当のK医師を先頭に研修医が数人付き添う形のものであった(なお、慶応病院では、教授を先頭に巡回する回診は無いようである。心臓外科教授の顔は入院中一度も見たことがなかった)。
 8時15分、看護師が入院記録票を集めに来る。「今日、入浴前に手術個所の毛を剃ります」と告げるとともに、ICU用の荷物の再確認をするので「奥さんが見えたら、声をかけて下さい」と言って帰る。
 次に、別の看護師から手術の流れの説明を受ける。説明図には、ベッドに寝て数本の管につながれ、点滴を受けている患者の姿が描かれている。その模式図を見て「下のことが心配です」と言うと、「前日就寝前に下剤を服用し、翌日手術前に全部出してしまうので、大丈夫」とのことであり、安心する。
 家内が10時過ぎに来る。担当の看護師に来てもらい、手術の流れの説明、荷物の確認をしてもらう。
  <ICU(3階集中治療室)用必要物品>
   ティッシュペーパー 1箱
   T字帯 2枚
   歯磨きセット・プラスティックのコップ
   電気ひげ剃り(男性)  
   ボディーソープ(固形石鹸は不可)
   入れ歯(必要な人)のケース
  <HCU(7Nの高度治療室)用必要物品>
   ミネラルウォーター500ml 2本
   タオル 2枚
   前開きパジャマ上下 2着
   パンツ 2枚
   箸
   ウェットティッシュ
   上履き 1足
   シャンプー
   洗濯物用袋
   湯呑み用コップ(プラスティック)
   イヤホン・テレビカード

 12時30分、昼食。天ぷらそばにかぼちゃの煮物付き。
 13時45分、病室の掃除。赤い派手な服を着た女性二人が掃除。おそらく業務委託に出しているのであろう。
 14時、看護師が局部の毛を剃りに来る。看護師が剃ってくれるものと思っていたら、「自分でしますか」と尋ねられ、自分で剃ることになる。剃るといっても、専用のバリカンで毛を刈るのである。
 自分で刈ろうとすると、腹部の筋肉が痙攣して痛い。途中から家内に代わってもらう。家内も手付きが危なっかしく、陰嚢が傷つき出血する。家内がハサミの方がよいと言って、ナースセンターに借りに行くが、ハサミは危ないということで別の看護師が病室に来て仕上げをしてくれる。
 15時30分~16時、風呂に入る。
 18時、お茶の給仕。
 看護師が今夜21時に飲む下剤を持って来る。プルゼ二ド12mgという薬。
 18時15分前触もなく、S講師が病室に現れ、手術の説明をするので来てほしいと言う。ナースセンター奥、HCU横の部屋でパソコンのディスプレーを見せながら説明する。
   (1)手術の必要性
   (2)2種類の手術のうちステントグラフト内挿術を選んだ理由
   (3)この手術に伴うリスク(死亡率2~3%という説明に驚く。)
などの説明があって、次の承諾書等の提出を求められる。
   「腹部ステントグラフト内挿術」実施の承諾書
   全身麻酔の同意書
   輸血/特定生物由来製品の使用に関する同意書
 そして、手術は明日(9月18日)の午後に行うとのことであった。
 なお、慶応病院は、相当の資金を投入し、最新鋭の医療機器を備えた手術室を新たに造ったが、そのオープンがたまたま9月16日であり、心臓血管外科の手術としては私が第1号の患者であるとの説明があった。私の心配そうな表情を見て、S講師は直ぐに「シミュレーションはしっかりしているので、大丈夫」と言ったが、何だか心配であった。
 私の方から身体に埋め込むステントについて尋ねたところ、Medtronic社製のものであるとのことであった。Web検索で調べたところ、現在、腹部大動脈のステントとして薬価に掲載されているのは、Zenith、Excluder、EPL、Talent、Endurantの5種類であり、最後の“Endurant”がMedtronic社製である。Medtronic社は心臓の人工弁などでも有名な会社である。なお、ステンツの価格は161万円であり、非常に高価なもののようである。
 S講師の説明の後、夕食。
 夕食の最中にY講師が病室に来る。突然の来訪なので慌てる我々夫婦に、「いよいよ明日ですね。しっかり手術をします」とだけ言って帰る。
 次に、麻酔担当の医師(女性)が麻酔の説明に来る。
 病棟担当のK医師も夜の見回りに来る。
 明日の手術に関係する人たちが次々に来て、声をかけてくれる。手術では本当に大勢の方々のお世話になるということを改めて実感する。どの人がどれだけの度合いで手術に関わるのか分からないが、家内と二人、ともかく皆さまに頭を下げ、「お世話になります」、「お願いします」を繰り返した。
 家内が帰った後、遅くなって薬剤師が病室に来る。これまで慶応病院で処方した薬剤を説明し、併せて手術中に点滴により注入する4種類の薬についてそれぞれの薬功を説明してくれる。正直言って、薬剤の説明は専門的過ぎて頭によく入らないが、ともかく丁寧に詳しく説明してくれるのである。私が看護師に薬についていろいろ質問するので、わざわざこのような説明をしに来たのか、あるいはどの患者に対してもこのように薬の説明をすることになっているのか分からないが、患者にとっては有難いことである。
 私の方から、「明日、手術であり、通じのことが心配です」と前々から気懸りになっていたことを口に出すと、通じをよくする次の薬を処方してくれることになる。
   プルゼ二ド錠12mg(今夕、看護師から手渡された薬と同じ。腸を活性化する)
   新レシカルボン坐薬(肛門から挿入、結腸に溜まった便を出す)
 今夜9時にプルゼ二ドを2錠服用し、明日の朝、新レシカルボン坐薬を挿入し、出来る限り我慢した後トイレに行くように言われる。
 19時40分、看護師が陰毛の剃り具合の点検に来る。「ばっちりです」という評価。
 20時20分、看護師が来て、血圧、体温をチェック。看護師の勧めでプルゼ二ドを2錠服用する。
 21時、就寝。ただし、23時の看護師見回りの後、昨夜同様、テレビを観て過ごす。
 なお、病室には「入院記録」の用紙が置いてあり、患者が記入するようになっている。本日の入院記録は次の通りである(以後毎日作成するが、省略)。
   食事   朝:完食   昼:完食   夕:完食
   尿回数:6   便回数:2
   夕   血圧:135/87 脈拍:75 体温:35・9℃ 体重:81・2kg 
   朝(翌日)血圧:      脈拍:    体温:      体重:

参考:ENDURANTステントグラフトシステム承認のお知らせ(日本メドトロニック株式会社)
 2011年9月16日付けで腹部大動脈瘤用ステントグラフト「ENDURANTステントグラフトシステム」の承認を得ましたのでお知らせ致します。
   保険収載:2011年11月Ⅰ日を予定
   一般的名称:大動脈用ステントグラフト
   販売名: ENDURANTステントグラフトシステム
   医療機器承認番号:22300BZX00385000
   保険適用開始年月日:平成23年11月1日
   償還価格:1610千円

(5)9月18日(水)<入院3日目>
 手術日。朝食なし。
 朝6時過ぎにK医師が病室に来て、点滴用の注射針を右手前腕部の甲に近い部位に刺す。若い男性医師なので相当痛いと覚悟していたが、案に相違して極めて慎重な打ち方をする。彼を見直すとともに、「注射、上手いですね」とほめる。
 点滴の薬剤は、酢酸リンゲル液「ソルアセトF」(テルモ製)500mg。点滴の器具をよく見ると、薬液が垂れていない。薬液が垂れるように調節しようかとも考えたが、そのままにする。
 6時15分、看護師が来て点滴の着装具合を調べる。液が垂れていないことを指摘するが、意味不明の説明をして帰ってしまう。
 6時45分、別の看護師が来て、手術着に着かえるのを手伝ってくれる。上はすべて脱ぎ、手術着のみ、下はパンツのみ。
 6時53分、新レシカルボン坐薬を挿入する。常用の薬(降圧剤および前立腺の薬)を飲む。
 7時7分、便意が昂じ、我慢が出来なくなってトイレに行く。少々出るが、腹の中に大分溜まっている感じである。トイレに早く行き過ぎたことを悔いる。
 7時30分、看護師が常用薬の服用の確認に来る。「入院以来、便が出なかったのに、今朝、少ししか出なかった」、「もう一回坐薬を挿入したい」と要望する。
 7時55分、K医師をトップに6人くらいの手術チームの一団が手術前の挨拶に来る。「よろしくお願いします」と頭を下げる。便が無いことについて、K医師に話す。手術は午後であるので、様子を見ましょうと言う。
 8時過ぎに家内が来る。今日は手術日であるので、いつもより早く来る。
 9時5分、今日手術担当の看護師が挨拶に来る。
 続いて、Y講師が病室に来る。夫婦二人で最敬礼の挨拶をする。
 病室に置かれていたマニュアルには、ステントグラフト内挿術の場合、術後1日はICU室で過ごし、翌日は元の病室に戻ると書かれてあったが、今年マニュアルが改訂され、術後1日目は3階のICU室、2日目は7階のHIC室で過ごし、3日目から病室に戻ることになったとのことである。そのためであろうか、病室は空け、荷物はロッカーに預けるように指示される。
 10時頃、東京に住む娘が見舞いに来る。娘は、手術が当初午前に行われると言われていたので、手術中家内に付き添うことになっていたが、手術が午後に変わり、正午を過ぎても手術の迎えが来ないので、子供たちが学校から帰る時間に間に合うよう、13時に病院を出る。
 14時45分、地位の高そうに見える女性看護師が迎えに来る。7階病棟婦長に次ぐ立場の看護師であろうか、初めてお会いする看護師である(婦長は7階の7S病棟及び7N病棟に一人いるだけ)。
 家内とは、7階のエレベータ前で別れる。瞬時、家内の顔を見るのもこれが最後かと思い、しみじみと見る。病室から手術室までは、徒歩で移動する。
 4階の中央手術室入口の前で、7階の看護師から手術室の看護師に引き渡される。名前と誕生日を確認し、何の手術のためにここに来たかを尋ねられる。入口にある帽子をかぶせられ、ベッドに乗り、横になる。ベッドの上からは天井しか見えない。頭を少し上げ周囲を見渡すと、長い廊下が続き、医療スタッフが忙しそうに動いているのが見える。
 手術室らしき所で移動用ベッドから手術用ベッドに移される。看護師に、今朝から便が出ず、催したくなったと告げる。トイレに連れて行ってもらえるのかと思ったら、便器を尻の下に入れる。「ここでするのですか」と尋ねると、「そうです」という返事。これでは出るわけがない。看護師が肛門の中に指を入れ、「便が来ていない」と言うのを聞いて少し安心する。
 手術室内を見回すと、二日前に新装なった手術室というわりには古い感じがする。どこが新しくなったのか分からない。
 突然、大きなメガネをかけた白衣の医師が現れ、「○○です」と名前を言う。S講師である。手術用の眼鏡をかけているので、別人のように見える。
 それからパンツを脱がされる。「この手術が、心臓血管外科には、コケラ落しだ」と叫ぶS講師の大きな声が聞こえる。この時を最後に意識がなくなり、以後、全く記憶なし。
 「○○さん、○○さん」という呼び声に目覚める。看護師の顔が直ぐ近くに見える。壁にかかっている時計を見ると、19時30分を指している。4時間30分の手術である。説明されていた3時間より大分長い。難しい手術であったのではないかと、少し心配になる。
 術中、術後のことは全く分からない。以下のことは、後日、家内から聞いた話である。
 家内は、私と別れた後、患者の家族等が待機する部屋で私の手術が終わるのを待っていたが、手術が終わる度にその関係者が呼び出され、家内は最後の一人になってしまったようである。
 17時20分頃になって、S講師に呼ばれ、3階のICUの隣の部屋で「すべて順調。早く手術が終わった。何の心配もない。後の処理は若い者に任せてある」という説明があったそうである。その後、仕事を終えた息子も病院を訪れ、二人で私の手術が終わるのを待つが、なかなか終わらない。ようやく19時30分過ぎになって、ベッドに乗せられた私がY講師とともに4階の手術室から3階に降りて来て、ICUの部屋に入るのを見かけたそうである。
 少し経って、ICU横の部屋(S講師が説明してくれたのと同じ部屋)に家内と息子が招き入れられ、Y講師から手術の状況について、説明板に腹部の図を描きながら
   (1)手術はすべて順調であった。
   (2)(私の)体格がよいため後処理に時間を要したが、何らの異常もない。
   (3)ご主人は手術室で既に目覚めており、直ぐにお会いできる。
との説明があったとのことである。
 家内と息子はICU室の中に入り、私と顔を合わせたが、私の方も家内の顔を認め、また息子の顔も見えたので「来てくれてありがとう」と礼を言った。この場面は、私の記憶では、ベッドに乗せられたまま手術室を出て、エレベータで4階から3階に降り、ICUに向かう途中でのことと記憶していたが、実際はICU室の中における出来事であったらしい。
 ICUでは、1時間おきに看護師が体温、血圧、血糖値を調べに来る。血圧、脈拍、体温などは、私の身体に着装された自動計測器で常時データが取られているのに、念には念を入れての看護であろうか。
 麻酔が覚めるに従い、右股の部分に痛みを感じる。それとともに、下腹部に言葉では言い表せない異様な刺激を強く感じるようになる。麻酔により停止した排尿機能を補うため挿入したカテーテルが尿道を圧迫しているのである。海外旅行中、トイレが近くに無く、我慢に我慢を重ねていた際の切羽詰まった気持を更に強くしたのと同じ状況である。看護師に訴えると、「尿が出ているから大丈夫」という的外れの答えが返って来た。
 K医師、G医師など私の手術担当の医師団が来て、手術跡の点検をする。「左の傷口は全く痛くない。右の傷口が少し痛む。腹の中は何も感じない」と申告する。尿道に差し込まれたカテーテルについては、看護師に対してと同じように何とかしてくれるように訴えるが、彼等も看護師と同じ反応しか示さなかった。
 Y講師も様子を見に来る。
 移動可能なX線撮影機で、ベッドに寝たまま、腹部、胸部のレントゲン撮影をする。
 尿道から生じる不快感を「何時まで耐えなければならないのか」と考えつつ、時間が21時、22時、24時と進む。看護師は「睡眠薬で眠るようにしましょうか」と聞いてくるが、拒否する。尿道の不快感と眠気が一緒に襲ってきたらどうなるのか、予想がつかなかったからである。

(6)9月19日(木)<入院4日目>
 日が変わって午前2時頃、看護師に尿道カテーテルを取り除いてくれるように頼む。看護師は「自分で尿を出すことを約束してくれない限り、取外しはできない」とよく分からないが、無理難題と思えるようなことを言う。麻酔の影響で尿が出なかった場合、どのような処置をされるのか、いろいろ考えあぐねる。こわごわ下腹部を触ると、非常に太い管が入っている。先に風船があり、それを膨らませて尿が出るようにしている構造のようだ。
 こうしている最中にも、麻酔の効果が薄れ、傷口の痛みがだんだん強くなって来る。痛みに神経が集中し、カテーテルによる不快感が軽減されていくような感じもする。それにしても、不快感はなお強く、恥ずかしげもなくヒーヒー悲鳴をあげながら耐えていた。
 医師の誰かが取り外してもよいと指示してくれたのか、4時半過ぎに看護師がスパッとカテーテルを抜いてくれた。非常に乱暴な抜き方で、親切であった看護師も私の騒ぎにうんざりした模様である。勢いよく抜いたので尿道を傷つけたのか若干の痛みが残っていたが、気持は非常に楽になる。空腹感も出て来て、早く次のHCUに移りたいと思うが、なかなか迎えが来てくれない。
 8時過ぎに迎えが来る。ベッドに乗ったまま7階に登り、ナースセンター裏のHCU室に入る。HCUは“High Care Unit”の略で、室は6人の患者を収容できるようになっており、それぞれがカーテンで仕切られている。私は、入口から入って左側2番目の場所。HCU室に勤務する看護師も、親切で丁寧に患者に対応する。両側はカーテンで仕切られ、前部は開いていて、常時、看護師が観察できるようになっている。
 Y講師、K医師、G医師がそれぞれ個別に様子を見に来る。
 9時頃、尿意を感じる。看護師に告げると、尿瓶を持ってきてくれる。ベッドの上で出すように言われるが、いくら努力しても出ない。ベッドから降り、いつものように立ったままの姿勢で試みる。尿道に少し痛みを感じたが、出すことに成功。これで尿の問題は解決し、安心する。
 HCUでも、1時間おきに看護師が体温、血圧、血糖値を調べに来る。その上、鼻には酸素吸入器、左手人差し指には血中酸素濃度測定器、胸には血圧や心電図の観測器具が取り付けられ、それぞれ枕元にある機械に接続している。右腕には点滴で何かの薬液が注入されており、首筋には緊急時の点滴用注射針が付いている。このような重装備では、身体を少し動かすのも大仕事である。しかも、腹部の筋肉を使う動作は傷口が痛むので出来ない。腹筋を使わずに、寝返りをうったり、起き上がったりするのは至難の業である。喉に痰が絡んでも、咳をすると激痛が走るため、痰が自然に流れ出るのを待つしかない。
 HCUにおいても、ベッドに寝たまま、腹部、胸部のレントゲン撮影をする。
 待ちに待った家内がようやく来る。家内も私の看護で疲れているらしい。
 昼食はお粥。4分の3くらい食べる。術後初めての食事で、食欲が無い。
 リハビリのため、看護師(男)に連れられ、7N病棟のフロアーを2周する。
 夕食も、4分の3くらいしか食べられず、残す。
 夕食後、便意を催したので、その旨を看護師に伝えると、酸素ボンベを持って来てボンベから酸素の供給が受けられるようにし、ホルター心電図検査の時と同じような器具を取り付け、私の身体が移動可能な状態になるようにしてトイレに連れて行ってくれた。これではトイレに行くにも大掛かりな作業を伴うことになり、やすやすとトイレに行けなくなる。この時は、便意はあったが、ものは出なかった。トイレに行く準備をしてくれた看護師には申し訳なくて、ベッドに戻る際、「気分が爽快になりました」と如何にも出たようにお礼を言った。
 家内は7時頃帰る。
 家内がいる時は、家内の世話で小の方の用を済ませていたが、家内が帰った後は看護師に手伝ってもらわなければならない。手術の際に挿入したカテーテルの影響か、深夜になっても尿の頻度が下がらない。気恥ずかしく、また申し訳ないと思いつつ、1時間半ごとに看護師に来てもらい、ベッド脇に立って尿瓶に用を済ませた。1回、約300CC出る。
 いずれにしても、身体に入れるのは簡単であるが、出す方は大変である。



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