市ヶ谷日記

喜寿を超えた老人です。日々感じたことを、過去のことも含めて、書き記しておこうと思います。

出でよ!橋下、都知事選挙に。トランプ大統領、習主席に対抗できるのは橋下氏だけである。

2016-06-16 | 独吟

 すったもんだの醜態をさらした末に、舛添東京都知事が辞任した。

 早速、次期都知事候補として、小池、石原、蓮舫、東国原、片山、桜井等々の各氏の名前が挙げられている。しかし、これらの顔ぶれでは、誰が知事になっても、旧態依然の都政が続き、都民に希望を抱かせ、都民の意欲を引き立たせるような変化は起こらない。当然に、経済は停滞し、都民に媚びたポピュリズムが跋扈する一方、法律を守り、税金を納め、堅実な生活を送る都民が貧乏くじを引くことになろう。

 橋本氏については、筆者は、氏が大阪都構想の賛否を問う住民投票に敗れた際、大阪府知事、大阪市長時代の数々の業績を称え、「橋下市長は『大阪都構想』と心中すべきでない」というブログを投稿した(平成27年11月16日。Gooブログ)。橋下氏の本意は分からないが、最近のテレビにおける活動を視聴するにつき、政治に対する意欲はまだ残っていると考える。

 そうした危うい推測の上に立ってのことであるが、舛添辞任は天が橋下氏に下した「天命」のようなものである。「おおさか維新の会」は、いま関西を中心に勢力を拡大しているが、橋下東京都知事の誕生により大阪と東京にダブルの拠点を持つ全国政党に躍進できる(名称を変えれば、更に良い)。

 橋下氏は大阪府と大阪市の両方の首長を務めた。東京都は、都の区域全体において他の道府県と同じ役割を果たすとともに、東京23特別区の存する区域においては一つの都市としての役割の一部をも担う特殊な地方公共団体である。そして、その首長である東京都知事は府知事と市長をともに経験した橋下氏にうってつけのポストである。

 東京都知事選挙を巡る下馬評では、橋下氏は総理を狙っており、都知事選挙に出馬することはないという風評が専らである。「おおさか維新の会」の松井代表、馬場幹事長も橋下氏の出馬を否定している。しかし、筆者は、4年間の東京都知事の経験を踏まえ、その後で内閣総理大臣を狙っても遅くはないと考える。その間に「おおさか維新の会」は自由民主党に比肩する大政党に発展するかもしれない。

 今後、日本を囲む国際情勢は厳しい変化が予想される。米国ではトランプ候補の大統領選挙における勝利が濃厚になりつつあり、我が国の安全保障を米国に依存することは難しくなるばかりである。また、中国は、巨大な人口を擁する経済大国でありながら、攻撃的な姿勢をますます強めようとしている。型破りなトランプ大統領、ベアリッシュな習主席に対峙できるのは橋下氏をおいて他にいないと考える。

 橋下都知事、そして将来の橋下総理大臣に期待するところ大であるが、ただ一つ条件を付けたい。それは勢い余っても、戦争の悲劇は繰り返さないということである。選挙公約の片隅でもよいから、「戦争はしない」ということを掲げておくことを願う。


神社境内に響くコーラスの歌声。東京赤坂の日枝神社は新しい伝統を創っている。

2016-06-12 | 独吟

  東京赤坂に所用で出かけた帰り、せっかくであるので日枝神社を参詣した。

 境内に入ると、男女混成のコーラスが聞こえてきた。神社では珍しいことなので、歌の流れて来る方向を見ると、社殿横の舞台の上で、そろいの赤シャツに白ズボンを身に着けた人たちが、姿勢を正し、大きく口を開いて、一生懸命に歌っている。男女20名くらいのコーラス・グループで、どのメンバーも60歳を超えたと思われる人たちである。

 舞台の前には、パイプ椅子が200席くらいしつらえてあった。疲れていたこともあって、筆者もしばらくの間、そこに座っている30名くらいの人たちに混じって、このコーラスに耳を傾けた。立ったまま聞いている人もいたので、聴衆は全体で50人余りであろうか。  

 曲目は、主に昔懐かしい童謡や小学唱歌である。「天長節」といった古い歌もあったが、AKB48の「365日の紙飛行機」といった新しい歌もレパートリーに入っていた。最後は「蛍の光」で締めくくられた。

 本当に懐かしい歌ばかりであった。これらのコーラスを聞いていると、歌のメロディーとともに、これまでの来し方の様々な情景が遠い昔の記憶の奥底から呼び起こされる。「蛍の光」では、小中学校時代の旧友の顔が頭の中を駆け巡り、感情の高まりを覚えた。音楽を楽しむ趣味のない筆者であるが、これほど音楽に価値があることを発見したのは初めてである。

 舞台である「山王夢御殿」の前面に、

   「ミニコンサート にっぽんの歌」

   「キーテコーラス アンダー100」

と書かれていた。コーラスが歌い終えられた後、数人の聴衆がメンバーの一人一人をそれぞれ取り囲み、「どういう方々の集まりですか」とか、「練習はどのようにしているのですか」とかと尋ねながら、会話を弾ませていた。まるで有名タレントとそのファンの関係のようで、関心の高さを窺わせた。このコーラスに感動したのは筆者だけではないのである。

 かつて神社は御神楽で庶民を集め楽しませた。御神楽は神社の伝統的な行事であるが、日枝神社でたまたま出逢ったこのコーラスは御神楽と同じ意義を持つ新しい催し物であると考える。日枝神社は神社の新しい伝統を創るべく、トップランナーの役割を果たしているのかもしれない。

 


公人としての資格と品性を欠く舛添東京都知事は即刻辞任させなければならない

2016-06-04 | 独吟

 舛添要一東京都知事の政治資金不正流用問題が世間を騒がせている。週刊文春に告発されて以降、その後においても新たな事実が毎日のように明るみに出て、疑惑の輪は広がるばかりである。

 政治資金については、政治資金規正法に基づき適正に処理することが求められているが、その第2条に「(政治資金の)収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね(る)」と規定されているように、この法律は、政治資金の収入と支出の状況を一般に公開することを目的としており、公開された収入支出の実態が適切であったか否かは国民が判断する、という仕組みになっている。言うなれば、貰ったお金を正確に記載し、支出したお金を正確に記載すれば、使い途がどうであっても政治資金規正法上何ら問題はないのである。

 舛添知事は、政治資金にまつわる様々な疑惑について、第三者である二人の弁護士に「厳しく公正に審査していただく」と言っている。しかし、弁護を業としている人が依頼人の不利になることは言わないであろうし、また、法律専門家の観点からの審査であれば、法律に違反しているか否かが中心であり、いま世間で取りざたされているような疑惑に都民を代表して白黒をつける立場にはないと考える。

 テレビは連日、ファーストクラスやスィートルームの利用とか、公用車での別荘通いとかといった都民が嫉妬を抱くようなテーマを取り上げているが、こんなことはどうでもよいことである。筆者が舛添知事についてどうしても看過できない問題は次の3点である。

 第1は、知事の実姉が生活に困っている時に、扶助義務を果たさず、国民の税金で生計を維持するように仕向けたことである。知事は当時、超一流の政治評論家として普通のサラリーマン以上の収入があったはずであり、扶養する経済力を持っていたはずである。この状態が参議院議員に当選し、厚生労働大臣に就任するまで継続したという事実は、公人である以上、許すわけにはいかない。

 第2は、政治活動以外のための支出は、本来所得税を納めた後のお金で決済すべきものである。したがって、所得税を免除されている政治資金収入を個人的支出に充てた場合には、所得税を脱税したことになり、単なる節税以上の犯罪行為となる疑いを生じさせる。これも公職にある者が、公職に就く以前を含めて、やってはならないことである。

 第3は、知事自身よりも選挙民に責任のある問題であるが、3回も結婚し、子供までもうけていたという経歴についてである。この事実だけでも選挙民に知れていたら、都知事当選は無理であったであろうと考える。しかし、圧倒的な票を得て知事になったのであるから、東京都民の不勉強、無関心は相当なものであり、マスメディアの報道も偏っていたと考えられる。

 都議会の会期は6月15日までに迫っている。都議会は、会期を延長しても、この問題に決着をつけるべきである。仮にも、都議会がこの問題をあやふやな形で終わらせれば、おかしな前例を残しこれがルール化するばかりか、今後の代表制民主主義の運用にも汚点を残すことになる。


領収書が必要か否か問われて、「舛添ではありません」と答える。

2016-06-02 | 独吟

 神楽坂の昼下がり、老妻を伴い、小ぎれいなレストランでランチ・メニューの食事をした。

 食事を済ませ、代金を支払う段になって、ウエイトレスから

 「レシート、要りますか」

と聞かれた。

 領収書を貰って食事するような店でなかったこともあって、ユーモアまじりに、

 「いえ、私、舛添ではありませんので」

と口をすべらせてしまった。

 可愛い顔のウエイトレスは一瞬、怪訝な顔をしたが、直ぐに私の言わんとしていることを

理解し、ニコッと笑いながら大きな声で

 「舛添知事ではないんですね。分かりました」

と応じてくれた。

 私たち夫婦の周りで食事をしていたサラリーマン風のグループも、私とウエイトレス

のやりとりを耳ざとく聞きつけ、手をたたいて大笑いしてくれた。

 人を笑わせる能力など全く持ち合わせていない不器用な老人であるが、この場面でこの言葉が咄嗟に出たのは、食事をしながら家内と二人で週刊文春に載っていた舛添

都知事の話に興じていたからであろう。

 それにしても我々都民は、日本人離れしたとんでもない怪物をトップに選んでしまったものである。