市ヶ谷日記

喜寿を超えた老人です。日々感じたことを、過去のことも含めて、書き記しておこうと思います。

オバマ大統領、習近平主席の「太平洋分割管理」構想に反対を表明。TPPは習近平構想阻止のためにも必要。

2015-10-26 | 独吟
 TPP(環太平洋経済連携協定)交渉において日米など参加12カ国が大筋合意したことを受けて、オバマ大統領は10月5日、「我々は中国のような国に世界経済のルールを書かせることはできない」(We can’t let countries like China write the rules of the global economy.)との声明を出した。
 また、カーター国防長官は「TPPは地域の不安定性を減じ、世界のこの成長著しい地域において米国の影響力と指導力を確かなものにする」(TPP will help reduce regional instability and cement American influence and leadership in this fast-growing region in the world.)との声明を出した。
 アメリカの大統領と国防長官の声明に接し、「TPPについてのアメリカの真の狙いが露見した」と騒ぎ立て、TPP推進に異を唱える人たちがいる。こうした動きが先に成立した安全保障関連法の反対とも重なり、安倍政権に対する風当たりが強まっている。
 しかし、日本の安全と平和が単独で維持できない以上、アメリカと同盟を組み、TPPを推進することが我々の選択すべき途であることは、論を待つまでもない。我が国では、大手マスメディアをはじめ、TPPを経済的な損得計算をベースに議論する傾向があるが、安全保障の観点からの評価の方がより一層重要である。
 中国の習近平主席は就任以来、米中2極による太平洋分割管理という、とんでもない構想を繰り返しアメリカに働きかけている。太平洋の西半分はアメリカが、東半分は中国が管理しようというのである。オバマ大統領およびカーター国防長官の声明は、アメリカの現政権が習近平主席の構想に反対であることを公然と言い表したことになる。
 習近平構想が実現した場合、日本は中国の管理下に入ることになる。チベットや新疆ウィグル地区を軍事力で制圧し、南沙諸島を「我が国不動の領域」と一方的に宣言して軍事基地を建設し、尖閣諸島や沖縄も「中国の核心利益」と称してその領有を虎視眈々と狙う中国は、民主主義の敵であり、どうしようもなく身勝手な隣国である。日本は、アメリカ以上に言葉を強めて、「中国のような国に世界支配を委ねてはならない」と言う立場にある。
 領土問題に関して言えば、アメリカは、第2次世界大戦において若者の血で獲得した奄美群島、小笠原諸島および沖縄を日本に返還した。この歴史的事実だけでも、アメリカが、ロシアや韓国、そして中国とは大いに異なる国であることを証明している。
 アメリカはTPPを通じて日本を利用しているだけという議論もあるが、国家間の協力は自国の利益のために行うものであり、非難すべきことではない。我が国もTPPから最大限の利益を得るよう努力すればよいだけである。それよりは、民主主義が欠損し、民族主義を焚き付け、領土拡大を狙う国々(中国、韓国、ロシア)との関係については、これまで以上に警戒心をもって臨まなければならない。

2015年ノーベル賞。日本人受賞者2人、韓国人受賞者0人

2015-10-12 | 独吟
 今年のノーベル賞で日本から2人の受賞者が出たことは、日本人として誇りに思う快挙である。
 これが仮にも、韓国人が受賞し、日本人の受賞者がゼロであったら、来年のノーベル賞シーズンまで、日本人は対韓国との関係において相当に嫌な気分を味わうところであった。最近の韓国における嫌日キャンペーンは、朴槿恵大統領を先頭に目に余るものがあるからである。
 韓国では、ほとんどの国民が
「民族的に、韓国人は日本人より優秀である」、
「日本は経済においては韓国より上であるが、文化は韓国の方が日本より上である」、
と固く信じている。
 韓国を旅行している際、我々がよく経験することであるが、韓国の小さな子供たちが日本人観光客の食事している姿をじっと見つめ、その後で肯くのを気付いたことがあるであろう。日本人は能天気に韓国の子供たちが我々日本人に親近感を持っていると思うであろうが、これは全くの見当違いである。
 「韓国人は日本人にいろいろなことを教えたが、スプーンの使い方は教えなかった。だから、日本人は今でも箸を使ってご飯を食べている」
と、韓国の子供たちは、日本人が韓国人より劣る例として、常々、両親や学校の先生から教え込まれているのである。
 韓国人は、自分たちが日本人より優秀な国民であるのに、平和賞を除きノーベル賞受賞者がいないことに、どうしても納得がいかないらしい。そして、あろうことか、日本はその財力を行使してノーベル賞受賞者を多く輩出している、と言い出す論者まで現れている。ノーベル賞の審査委員がサッカーのワールドカップの審判と同じレベルであると信じているようである。
 こうしたこともあって韓国では、ノーベル賞に対する憧れが極めて強く、またノーベル賞受賞者に対する尊崇の念は日本人以上である。韓国マスメディアの報道ぶりも、日本への対抗心も重なって、異様とも言えるほど過熱している。
 私にも、ノーベル賞に関連し、次のような経験がある。
 韓国人の友人の一人に、韓国有名大学の教授がいる。法学部の先生で、韓国では日本の法制度についての権威者ということで通っている学者である。その教授から暫くぶりに電話があり、私の家内を入れて3人で一緒に食事をすることになった。
 その時、何となく、ノーベル賞のことが話題になり、
 「親戚にノーベル賞を貰った人がいる」
とつい口を滑らせた。その瞬間から教授の態度が一変し、それまでの韓国人特有の横柄さがなくなり、私ども夫婦を見る眼が変わったのである。
 私とそのノーベル賞受賞者の関係を詳しく尋ね、私の長男が物理学賞受賞者の○○さんの姪と結婚したことまで話が及ぶと、
 「自分の長女が来月、結婚するから、是非とも、電報を打って下さい」
ということになった。
 同席していた家内は、こうした成行を不思議に思っていたが、帰宅後、
 「自分には、日本人の友人がいて、彼はノーベル賞受賞者の親戚である」
ということを周囲の人たちに自慢したいのであろう、という私の説明にようやく訳が分かったとのことである。
 伝えられる韓国からの報道によれば、
「日本人のノーベル賞受賞者は19人目である」
というニュースが流れている。
 日本のマスメディアは
「アメリカ国籍を取得した人を含め、日本人のノーベル賞受賞者は24人目である」
と報道している。
 こうした報道の仕方の違いにも韓国人の切歯扼腕ぶりが覗えるが、日韓両国がノーベル賞の受賞を互いに称賛し合う日の来ることを望んでやまない。


トヨタの「ランドクルーザー」は世界最高。過激派組織IS「イスラム国」が証明

2015-10-10 | 独吟
 「米財務省、イスラム国のトヨタ車使用について、調査開始」という見出しを見て、トヨタもフォルクスワーゲンに続いて不祥事発生か、とビックリした。
 記事の内容をよく読んでみると、過激派組織ISがシリアやリビアなどでトヨタ製「ランドクルーザー」の改造車を多数使っていることから米国財務省がその調査に乗り出した、という記事である。テロ対策の一環として実施されるものあり、トヨタも調査に協力しているとのことであるので、この事案がトヨタの株価値下がりに発展することはないと確信する。
 それどころか、過激派組織ISが使用している事実自体が、その是非は別として、トヨタ製自動車が性能面において非常に優れていることを示す証拠でもある。宣伝広告費をいくら積み上げても達せられない高い評価がトヨタのランドクルーザーに与えられたわけであり、トヨタの株式を所有する投資家にとっては、棚から牡丹餅の好材料と言っても過言ではない(筆者注:過激派組織ISの行動を賛美しているわけではありません)。
 過激派組織ISが活動している地域は砂漠または砂漠に近い荒れ地である。普通の車は直ちに不具合が生じ、動かなくなってしまう。この点、オフロード車として設計され、過酷な使用に耐えられるトヨタの「ランドクルーザー」は、こうした荒れ地においては無くてはならない車である。
 筆者は数年前、チベットのラサからウィグル自治区のカシュガルまで2000kmの距離を25日間かけて旅するツアーに参加したことがある。この区間は、鉄道や飛行機の便がなく、移動手段は車だけである。部分的に自動車が走る道路が整備されているが、ほとんどの行程が道なき道を走るという状況である。その上、標高4000mを超える高地であり、空気は薄く、昼夜の気温差は20度、天候の変化も日本では考えられない激しさである。
 こうした厳しい自然環境の地域を車で移動しようとする場合、車の選択が非常に重要である。如何なる悪条件下においても走り続けられるという車に対する信頼性が決定的なクライテリアになるのである。1日中走っても、対向車に出会うことがなく、電話も通じないような地域では、車の故障は命取りになるからである。
 チベットでは、市街地を離れれば、走っている車はトヨタのランドクルーザーだけと言っても過言でない。ただし、新車はなく、全て中古車で、窓の開閉ができない車や計器類の針が止まっているような車がほとんどである。
 運転するチベット人はトヨタ車のメカに精通しており、故障しても直ちに修理する技能を有していた。そして、運転中、「トヨタ、ナンバーワン」、「チャイナ ノー」と叫び続けていた。これほどトヨタの車を愛している人たちは世界中探してもいないと思われるほどであった。
 過激派組織ISの戦闘員たちも、やっていることは野蛮で是認することはできないが、車の性能を評価する点においてはチベットの運転手と同じであると考える。







(備考)筆者のチベット旅行については、「回顧日記 カイラス巡礼記」というブログがあります。興味ある方は一読いただければ幸いです。

日本は外国人に門戸を開くべきでない。難民受入れはヨーロッパよりも深刻な事態を引き起こす

2015-10-03 | 独吟
 ヨーロッパは今、中東や北アフリカからの難民で大きく揺れている。今年に入りEUに到着した難民は50万人を超え、更なる増加が見込まれている。
 難民を送り出すシリア、エリトリア、ナイジェリアなどの国々は、民族対立や内戦で治安が悪く、経済が疲弊している。一方、ヨーロッパにおける生活の豊かさについては、先にドイツやフランスなどへの移住に成功した一族や知合いから多くの情報が伝えられて来る。
 これらの国々の人たちにとって、ヨーロッパはまさに天国であり、命を懸けても移住するに値する場所なのである。国家という存在に信頼を置き、自国を最もよしとする日本人には、とうてい理解できない心情である。
 メルケル独首相がウェルカムのサインを出したことから、多くの難民が経済大国ドイツを目指している。今年中にその数は100万人に達すると言われている。ただし、ドイツ連邦政府の現地担当者による推測では、ドイツに到着した難民のうち半分近くがコソボやアルバニアなどのバルカン諸国から来た人たちであり、いわゆる「難民」ではない。また、シリア出身と自称する人たちであっても、その3割は別の国から来た人たちであると言われている。彼らは、紛争や戦争によって生命の危険にさらされている「難民」ではなく、救済の対象にならないいわゆる「経済難民」である。
 一般に、難民は、経済難民はなおさらであるが、出身国において食い逸れた人たちである。受入れ国にとっては、生活支援、職業教育、子供の保育などの分野で財政負担を強いられる要因となる。そして、文化の違いによる住民間の軋轢も覚悟しなければならない。そうしたことから難民受入れに寛容であったドイツにおいても、難民が増えるに従い、メルケル首相に対する国民の風当たりが険しくなっている。
 EU加盟国間においても、難民の受入れを巡って反対を表明する国があり、意見の対立が続いている。内相会議や首脳会議を数次にわたり開催したが、有効な解決策を決定するに至っていない。
 ひるがえって日本はどうか。これまで日本政府は難民を含め外国人の受入れに極めて慎重であった。日本政府のこうした頑なな態度については、いろいろな方面から修正が求められている。
 我が国はかつて、インドシナ難民、中国残留孤児、南米移民の日系二世などに対して、例外的に在留資格を付与したことがある。このうち中国残留孤児は、当時の国際情勢等に翻弄され、不幸な人生を余儀なくされた人たちであり、日本国民の負担で日本における生活を保障すべきであり、この措置を講じたことは正しい選択であった。
 しかし、無原則に全ての外国人に日本への流入を許すのは、極めて危険である。ヨーロッパは陸続きであるが、日本は島国であり、異文化の侵略に非常に弱い。外国人に対する門戸開放は、日本社会、日本経済にヨーロッパ以上の甚大な影響をもたらし、深刻な事態を招くことが予想される。
 政治家や経済人の一部は、高度な知識や技術を持つ有能な外国人を迎え入れ、日本経済の発展に貢献してもらう、とプラスの面を強調するが、有能な人たちとともに日本社会のニューサンスになる人たちも必ず入って来る。そして何よりも、個々具体のケースにおいて、日本政府が甘い対応をすることが心配である。
 例えば、親が不法行為をし、国外退去処分となったような場合、その子供について、日本社会に慣れ親しんでいるとか、日本語しかしゃべれないとかといった理由で、日本残留を許すことがあってはならない。
 また、シンガポールやスイスのように、独身の外国人女性が妊娠した場合、問答無用で国外退去を命じるといった冷たい対応を実行できるか否かも、重要な判断材料である。確かに、育児をしながら日本で生活する能力を有する外国人女性もいるであろうが、大部分の女性は保育を含め我が国の社会福祉事業をあてにすることになる。
 我が国は、周辺諸国の人たちから見れば、天国である。自国でお金をいくら積み上げても受けられない高度医療を安価にそして時には無料で施してもらえる。住むところがなければほとんど無料とも言える家賃で公営住宅に入居できる。働き口がなければ生活保護制度により最低賃金を上回る生活費を支給してもらえる。その上、日本人は外国人に概ね親切である。
 世界第2位の経済大国、中国の人たちにとっても、日本が天国であることに変わりがない。中国13億の人たちの一部が日本に移住して来ても、我が国の国状はコペルニクス的変化を遂げる。中国から日本への移住が自由になれば、中国の生活水準が上昇し、日本の水準が低下して両国の生活水準が同一レベルになるまで、中国人の流入が続くであろう。チベットやウィグル自治区への漢族系中国人の進出、東南アジア諸国における中国資本のアグレッシブな活躍、東京銀座を闊歩する中国人旅行者の振る舞い等を見るにつけ、空恐ろしい感じがする。
 外国人にとっては、我が国の生活保護制度も魅力である。外国人に対する生活保護の適用については、最高裁判所が「外国人は生活保護法の対象ではなく、受給権もない」と判断した(平成26年7月18日)にもかかわらず、「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」(昭和29年5月4日厚生省(当時)社会局長通知)及び同省社会局保護課企画法令係長の「対象者を永住者、日本人の配偶者等、永住者の配偶者等、定住者、特別永住者、認定難民に限定する」という口頭指示(平成2年10月25日)がいまだに活きており、日本国民に準じた取扱いがなされている。
 我が国の生活保護制度は、「保護を受けることは恥である」と観念する人たちを前提に、仕組みが作られ、運用がなされている。この点、保護を受けることに負い目を感じない外国人は、経済的合理性から、日本人とは異なる選択をする。職に就いて収入を得れば、生活保護制度で保障される収入も、生涯安心して住める住宅も、その他の地方税、国民年金保険料、医療費、がん検診等検診費用、インフルエンザ予防注射代金、介護保険施設利用料、水道料金、有料ゴミ収集代金、バス料金、給食費、高校授業料、NHK受信料、JR運賃等々の減免措置を受ける特権も失うことになるのであるから、働かない方を選ぶのが当然である。実際、外国籍の住民が多い市町村では、生活保護家庭の比率が高く、市町村財政を圧迫している。
 それ故、外国人に門戸を開く場合には、「生活保護の対象を日本国籍を有する者に限る」ことが絶対の条件である。この改正は、我が国が既に批准した国際規約や条約との厳しい調整が必要であるが、日本国憲法の改正あるいはその解釈の変更は勿論のこと、法律や政令の改正をすることなく実行可能である。
 ドイツの現実が教えるように、豊かな国が門戸を開放すれば、貧しい国から大勢の人々がやって来る。我が国の周辺には、一人当たり所得が日本の数分の一しかない国々が存在し、しかもそうした国々の人口は合わせて日本の十数倍である。人道主義、博愛主義の立場から外国人に対する門戸開放を唱える人たちは、こうした状況をどう考えているのであろうか。そして、こうした無責任な人たちの意見を無批判に受け入れる国民は、自分の事、自分の子孫の事を真剣に考えているのであろうか。
 現実は冷酷である。善人ぶっていては、我々日本国民が営々として築き上げて来た生活の質が劣化してしまう。日本をリードする政治家、官僚、学者、有識者等々は、偽善者の装いを脱ぎ捨て勇気を出して、我が国の進むべき正しい方向を国民に示すべきである。新聞、テレビ等のマスメディアも、一般国民が正しい判断ができるよう、現実に即した真実を伝えるよう努力すべきである。それにしても、日頃から将来のことを心配し、貯蓄や保険に異常な熱意を示す日本人が、外国人の受入れについて能天気であるのは、何とも不思議な気がしてならない。