市ヶ谷日記

喜寿を超えた老人です。日々感じたことを、過去のことも含めて、書き記しておこうと思います。

慶応大学病院における腹部大動脈瘤手術の詳細記録(その3)

2014-11-02 | 日記
(7)9月20日(金)<入院5日目>
 何ということなく、眼が覚める。気分は爽快。
 朝食はお粥。相変わらず、4分の3くらいしか食べられない。
 傷口は、左は全く痛みなし、右は動くと激痛が走る。咳をした時、起き上がる時は、特に痛む。しかし、立った姿勢では痛みが無く、歩くことも可能である。
 Y講師が来る。G医師も来る。S講師は一度も来ない。K医師は顔を出さなくなる。
 昼頃、婦長が来て、本日、個室に移れると言う。看護師にそのことを言うと、「今、移りましょう」と言って直ちに準備を始める。部屋は前と同じ5759室。
 部屋の雰囲気が違うので、よく見るとベッドの位置が変わっている。前はソファが窓際に置かれており、ベッドもソファに並行して置かれていたが、今度はソファが壁際に移され、ベッドは他の一方の壁に並行して(頭を窓の方に向け、足を入口の方に向けて)置かれている。今回の配置の方がベッドからテレビを見るのに便利であるので、そのまま利用することにする。
 HCUから病室に移ると同時に、点滴がなくなり、心臓の動きを測定する機器と酸素吸入器だけになる。いずれもナースセンターに無線でつながっており、外れると看護師が直ぐに飛んで来る。
 身体に付いている器具がなくなると身体の自由が増し、非常に快適になる。ベッドを離れる時は、壁に埋め込まれている酸素供給栓からチューブを外し、それを酸素ボンベの栓に移し変える。酸素ボンベは0~30のレベルがあり、0では酸素ゼロ、30では酸素が音をあげて吹き出る。移動は酸素ボンベを引きずりながらする。この格好でリハビリを兼ねて、7階フロアーを歩き回った。
 スマホを使って、二人の息子、娘、親戚の人たちに電話して、無事手術が終わり、普通の病室に戻ったことを、お礼かたがた報告する。 
 夕食は、4分の3食べる。
 体温は37℃。熱があるが、手術後は体温が上がるらしい。
 家内は7時過ぎに帰る。
 今日は疲れ、21時には就寝する。
 なお、家内の名前で次の特別療養環境料(差額ベット代)の支払い「同意書」を提出したとのことである。
    病室       5759号室
    特別療養環境料  1日 37,800円
    入室日      2013年9月20日
    病院側説明者   ○○○○ 

(8)9月21日(土)<入院6日目>
 早朝4時、看護師が来て、横向きに寝るように指示する。血中の酸素濃度が低下しているというのが理由である。夜中に何回もトイレに起きるが、その度に酸素ボンベを使うのが面倒なので酸素なしでトイレに入っている、それが原因ではないかと尋ねると、看護師はそうではないという見解。上向きに寝ると気道が狭くなるので、横向きに寝る方が酸素吸入が増すと言うのである。
 6時30分、心電図の測定、採血がある。
 7時30分、血糖値の測定。93で良好であるとのこと。この血糖値の測定は4時間おきにあり、その度に器具を使って指先から血を出し、測定する。1本ずつ指を変えて測定してもらうが、気持の好いものではない。看護師は、血糖値が安定しているので、検査をしなくてもよくなるかもしれない、と言ってくれる。
 左腕内側にものすごい内出血の跡を見つける。幅10cm、長さ50cmに及ぶかなり広範囲の出血跡であり、紫色に変色している。この部分には、ICUにいる期間、骨折した時の添木のようなものが付けられていたが、添木を取った後、この出血跡に気付かなかったのが不思議である。看護師にそれを見せても、吸収されると言ってあまり驚いた様子をしない。 
 手術後3日経ち、寝ている状態から上半身を起こす動作もあまり痛みを感じないで出来るようになる。これまでは右下腹の傷が痛み、ベッドの手すりに掴まって腕の力だけで起き上がらなければならなかったので、苦労していた。
 8時30分、朝食。クロワッサンとパン、煮た野菜とハム、缶詰のミカン、チーズ、牛乳から成る献立。全部食べる。
 8時53分、可動式のレントゲン機械で胸と腹の撮影。
 9時40分、看護師が常用の薬を持って来る。
 9時45分、Y講師、K医師、I医師の回診。
 K医師が「9月24日の火曜日にCTを撮り、結果がよければ退院」と告げる。予定通りである。
 Y講師に左腕の内出血のことを尋ねる。「大動脈のステンツそのものは下腹部から挿入するが、ステンツを挿入するものを腕から入れる。それによる内出血である」との説明。淀みない説明であるので、初めから予定していた処置であると思える。手術後の時間(事後処理の時間)が長かったが、事故などにより時間が長引いたのではないと確信する。
 K医師が傷口を見て、アッと声を上げ「テープを貼り替えなければ」と言う。新しいテープを持って来て、薄いテープに貼り替えてくれる。古いテープを剥がす時、非常に痛かった。
 10時前に家内が来る。
 看護師が来て、血圧測定。
 次に、別の看護師が来て、血糖値を測定。98で良好と言う。
 病室担当の看護師が来て、酸素吸入器とホルター心電図を外してくれる。これで完全に自由になる。
 自由になったところで、家内と中央棟地階の「ナチュラルローソン」まで歩いて行く。中央棟地階と1階の間は、階段を上り下りする。建物の外に出て病院の写真を撮る。今日は休診日であり、人は少ない。
 11時、自室のトイレで用をたす。中程度、出る。意気込むことができないので、なかなか出ない。3日ぶりであり、すっきりする。なお、用を済ませた後の処理が難しい。手が届かないからである。
 11時20分、血糖値の測定。120。
 12時30分、昼食。
 看護師が来て、傷口を観察する。太ももの内出血の部分が倍くらいに広がっており、このことを先生に報告すると言う。内出血が新しく生じたということでなく、既に内出血していた血液が移動したために拡大したらしい。家内は内出血の部分は昨日とほとんど変わらないと言う。
 30分後、看護師が再び現れ、先生から「出血後の部分が広がるのは、自然。出血の部分に印をつけるように指示された」と言い、マジックで縁取りをする。
 14時頃、息子夫婦が見舞いに来る。
 16時、血糖値の測定。
 18時30分、夕食。
 19時、息子夫婦が帰る。家内も帰る。
 排便。かなりの量が出る。用を足した後の処理が完全に出来ないのが苦痛。
 ラウンジでK医師に会う。「出血の広がりは自然の現象」、「立ち上がる時、下腹部に鈍痛がするのも正常な現象」と言う。
 20時30分、看護師が来て、体温と血圧の測定。血圧が160と高い。もう一度はかりに来て血圧が下がらなければ、先生に報告すると言う。
 再度測定した血圧は135。看護師からプリセプト2錠、ロキソニン1錠、胃薬1錠をもらい、服用する。プリセプトは腸を活性化する薬、ロキソニンは痛み止めである。
 20時50分、血糖値測定。102。

(9)9月22日(日)<入院7日目>
 7時、起床。
 ラウンジで血圧と体重を測る。血圧(最高、最低、脈拍)は141 81 81、体重は81・1kg。
 血糖値の測定。91。
 8時、朝食。
 9時、看護師が来て傷口を見る。出血部分がやや広がり、そこにマジックで印をつける。
 9時30分、回診。看護師が事前に二度も来て「回診がありますので、準備して下さい」と言うので、てっきり心臓血管外科教授の回診かと思ったが、いつものK、G、I各医師による回診。出血の跡を見て、「大丈夫、直ぐに消えます」と言って終わり。1~2分の回診であった。
 9時45分、家内が来る。連日の通院で疲れているらしい。
 10時30分、家内に連れられて、散歩に出る。地階の自動販売機で水を買う。地階と1階の階段を上り下りする。
病院建物の外にある「スターバックス」でコーヒーを飲む。戸外の椅子に座り、人々の往来を眺めていると、何とも言えない幸福感がわいてくる。そして、テーブル近くにまでスズメや鳩が集まって来て、餌をねだる。これも気持ちを和ませてくれる。病院に入院し、こうした幸福感に浸れるのは退院間際の本当に短い期間だけである。
 12時、血糖値測定。108。
 看護師に、何故、神経が敏感な指先から採血するのか聞く。指先か耳たぶ以外は器具による血液採取が禁じられている、というのが理由であった。
 12時30分、昼食。相変わらず、お粥。堅いライスに改めるよう、G医師にお願いしていたが、実現しない。食後、梨を食べる。
 14時、突然、S講師が病室に入って来る。「これまで学会に出ていて、様子を見に来られなかった。申し訳ない」と言う。何か聞くことはないかと言うので、「傷痕が少々痛む」とだけ言う。「手術は手品でないので、痛まないようにすることはできない」という返事。退院後は何をしてもよいが、「下肢の血流が悪くなることは、長い時間しないように」という注意を受ける。
 「学会出席」は大病院医師の使う常套句であるが、担当の医師が気楽に話かけてくれるのは非常にありがたいことである。患者は、医師の語る言葉よりも、顔色や態度で自分の病気の程度を判断する。医師が「順調である」と言っても、語る様子に何か引っ掛るものが窺えれば、患者は「順調ではないのではないか」と疑念を抱くのである。S講師の訪問は私の気持ちを著しく明るいものにしてくれた。
 14時40分、大便。非常に柔らかく、水に近い便が出る。
 15時、病院の地下街等を散歩する。
 16時00分~16時20分、看護師の指導の下、シャワーを浴びる。バスタブに入らないでシャワーのみで身体を洗う。傷口周辺は、タオルを用いず、手に石鹸を付けて丁寧に洗うように言われる。
 看護師が、常用の薬を手渡しながら、今後は自分で服用するように言う。これまでは服用直前に薬を持って来ていたが、私に十分な管理能力があり、薬を扱うことができると判断したのであろう。
 17時15分、病院別棟の3号新館を散歩する。
 17時30分、血糖値測定。103。
 18時、夕食。お粥を少し残す。その代わり下の売店で買ってきた納豆巻き1本を食べる。久し振りの納豆の味に感激する。
 18時30分、家内が帰る。
 看護師が来て、傷口を見る。今日、拡大した出血跡部分に新しくマークを入れる。
 23時、就寝。ロキソニンは服用し、下剤は飲まないで、寝に就く。
 右腕や太もも部分の出血跡が早くきれいになるように水分を多めに取っている影響か、小水がよく出る。毎晩、1時間30分おきにトイレに行く。今日も、18時~翌日9時の間に、6回もトイレのお世話になる。

(10)9月23日(月)<入院8日目>
 今日は祭日で、病院は休診。
 6時、起床。ラウンジで血圧(135/81/77)、体重(81・1kg)を測定する。部屋の体温計で体温を測定(36・2℃)する。
 傷口はまだ痛い。しかし、我慢できる程度の痛みである。座った姿勢から立ち上がる時、右の股の部分、傷口より下の部分に痛みを感じる。手術直後は激痛が走ったが、今は痛みを感じる程度。左側は相変わらず痛みを感じない。
 座っていて背筋を伸ばすと、痛みが軽減する。立ち上がると、右傷口から太もも上部にかけて痛みが広がるが、1~2秒後には痛みが消える。歩きはじめると、両傷口よりやや下の部分を結ぶ直線上に軽い痛み(軽く押さえられているような痛み)を感じる。そのため、両足を少し広げて歩くようになる。
 早いもので、入院して1週間が経った。
 7時25分、採血。採血は毎朝であったが、2~3日に1回に減少。
 8時、お茶の給仕。
 8時30分、お粥の朝食。今日は全て食べる。
 8時35分、看護師が来て、調子はどうか聞かれる。午前中にレントゲン撮影があるとのこと。
 8時55分、常用薬を飲む。
 9時30分、回診。K医師の他2人。傷口を見て、「順調」との見立て。明日、CTを撮り、その結果により水曜日退院との診断。看護師に「よかったですね」と言われる。
 9時35分、何時もお茶や食事を給仕してくれる女性スタッフが来て、今日はレントゲン撮影があり、1階の撮影室まで車椅子で連れて行くと言う。「歩けるから、車椅子はいらない」と断る。30分後にくだんの女性スタッフが再び来て、ナースセンターで確かめたところ「車椅子で連れて行くことになっているので、乗って下さい」と言う。車椅子に乗るのも良い経験と思い、乗せてもらうことにする。
 10時、家内が来る。 
 10時15分、レントゲン撮影。立った姿勢で胸と腹、寝た姿勢で腹部の撮影。
 今日は休日、病院内に人が少なかったので、車椅子に乗っていても「お気の毒に」という視線を受けないで済む。なお、車椅子の乗り心地は良く、高級車に乗っている気分であった。
 11時、娘と孫たちが見舞いに来る。
 11時20分、「スターバックス」でお茶を飲む。孫たちは病院が珍しいのか、大はしゃぎである。
 12時、娘と孫たちが帰る。家内も、コーヒーで汚した私のガウンを洗濯するため、家に帰る。
 12時15分、昼食。お粥、みそ汁、魚の煮つけ、ジャガイモの煮物、ホーレン草のお浸しという献立。
 12時35分、トイレ。一般病室用のトイレを使って排便。自室のトイレより一般病室用のトイレの方が広く、便利。街中の身体障害者用のトイレと同じ広さと設備を備えている。照明が明るいのも衛生的である。汁状の便が大量に出る。
 13時、看護師が来て、明日の午前中にCT撮影。そのため、朝食はCT撮影後、薬はいつも通り飲むこと、という指示。
 G医師から「CT検査におけるヨード造影剤使用に関する同意書」の提出を求められ、提出する。
 14時15分、家内が家から戻る。
 地階の「ナチュラルローソン」まで散歩。地階と1階の階段をリハビリのため、上り下りする。
 17時30分、お茶。
 18時、夕食。お粥、澄まし汁、ハンバーグ、大根・ニンジン・ブロッコリーの煮つけ、卵焼き、梅干しの献立。
 18時25分、家内が帰る。
 最近、血圧が高い。今朝も160を超えた。夕方も1回目の測定では157であったが、再度測ると、148に低下。しかし、手術前に比較すると、高くなっている。
 夜、病院が寝静まった後、看護師の日割表を見る。8:00~15:30、 15:00~23:30、23:00~8:00の3交代制であり、この病棟だけでも非常に多くの看護師が働いている。大部分が女性の看護師、1割くらいが男性の看護師。いずれも厳しい選抜を経て慶応病院の看護師になったのか、親切で、笑顔を絶やさず、質問には的確に答えてくれる。個々の患者ごとに担当が決まっているようであり、また、用務別に担当が決まっているようでもある。勤務時間の多くをパソコンのディスプレーに向かい、仕事をしている。記録をインプットするのにかなりの時間を割いているようである。したがって、看護師や医師の間のコミュニケーションが悪いのは、IT機器に依存し過ぎていることも一つの原因であると思う。
 今日は疲れ、21時に就寝する。

(11)9月24日(火)<入院9日目>
 5時、起床。今日はCT検査があるため、朝食なし。
 常用薬(オルメテック10mg、クレストール2・5mg、バイアスピリン100mg及び、ネキシウム20mgの各1錠並びにハルナール0・1mg2錠)を飲む。
 6時20分現在、血圧153/82、脈拍80、体温36・9℃、体重80・5kg。 
 血圧が高い。150台が常態になった。降圧剤として手術前はコニール4mg半錠を朝夕2回、オルメテック10mg半錠を朝1回飲んでいたが、今はオルメテック10mg1錠を朝1回飲んでいるだけであることが影響しているのか。
 6時35分、看護師か見回りに来る。今日のCT検査の注意点を説明する。朝食は検査後に食べるように言われる。血圧の高いことを告げると、先生に報告するとのこと。
 K医師が5~6人の研修医を連れて回診。傷口を見て、「順調」と診断。
 血圧について、今まで110~120であったのに、150にアップし、心配していることを告げるが、あまり気にしていない様子。血圧は長期的にコントロールする必要があり、
   ① 手術をしたので、身体の対応能力が変化し、血圧が上がる、
   ② 大動脈にステンツを挿入し、太い血管を細くしたので、それだけでも血圧は上がる、
   ③ 今後、長期的に外来で血圧をコントロールしていく、
と極めて論理的に説明してくれる。
 8時45分、看護師が来て、体調についていろいろ質問するとともに、血圧、出血部分の広がり、シャワーの浴び方などについて、注意すべき事項を話してくれる。また、退院に際しては、退院指導をする予定であること、新たにアムロジン(降圧剤)が処方されたことも、伝えられる。
 9時30分、車椅子でCT室へ。車椅子は楽であり、これに乗る癖がつくと、歩けなくなると思われる。
 CT検査室前で10分くらい待ち、検査。10分もかからないで終わる。造影液を身体から排出させるため、多くの水を摂取するように言われる。
 7階に戻ると、家内がラウンジで待っていた。
 直ぐに、朝食。
 12時30分、昼食。今日もお粥であったが、完食。
 13時30分、本日の看護リーダーを名乗る看護師が病室に来て、退院後の注意事項を話してくれる。
   (1)傷口は、テープを剥がし、そのまま放っておく。薬をはじめ何も付けない。何も貼らない。膿んできたり、腫れたり     したら病院に来る。
   (2)血圧のコントロールをする。血圧手帳に血圧の記録を付ける。
   (3)急に寒い所に出ること、熱い風呂に入ること、排便時に意気込むことは、血圧を上げるので、避ける。
   (4)便はためないようにする。適宜、薬を使う。
   (5)血圧の薬は、病院から出る。
 14時、突然、S講師が病室に現れ、「顔を見に来ただけ」と言う。
 15時30分、K医師が「CT検査の結果、全く問題なし。明日、退院」と告げに来る。
 19時50分、手術前に一度病室に来たことのある薬剤師が来て、常用薬にアムロジンを加えたことを説明。アムロジンはこれまで服用していたコニールと同じ薬効があり、かつ、効く期間が長いので、変更したとのことである。
 20時45分、S講師が一人で病室に来る。「CT検査の結果は良好です。よかったですね」と言う。「ステンツが入り、大動脈は縮小するのですか」という私の質問に対し、「細くなる人は40%くらい。太くなる人もいる。その時はまた別の治療方法を考える」ということであった。
 S講師は、今日も元気はつらつ、自信満々の態度。この遅い時間まで病院で何をしていたのであろうか。

(12)9月25日(水)<入院10日目>
 今日は退院の日。
 朝6時前に起きる。まだ外は薄暗い。
 早速、血圧、体重の測定のためラウンジに行く。既にほかの人たちが測っている。
 最近、血圧が高く、心配であったが、最高139、最低89、脈拍88。体重は79・4kgで80キロを切った。80キロを下回るのは、体重を気にしはじめて10数年、初めてのことである。
 看護師が様子を見に来る。
 家内が8時過ぎに来る。今日は退院の日であるので、いつもより1時間早い。
 K医師以下7~8名の医師から成る一団が回診。傷を見て、適当にテープを剥がすように言われる。
 「退院療養計画書」をもらう。退院後、定期的に外来に来ること、その他食事、入浴、運動、薬についての注意書きである。
 いよいよ退院である。昨夜、親しくなった看護師に「退院する時、どのようにしたらよいか。先生方に挨拶するには何処へ行ったらよいか」尋ねたところ、「ナースセンターに退院を告げるだけでよい」ということであったので、教えてもらった通り、荷物を持ち、ナースセンターに立ち入り、「退院します。お世話になりました」と挨拶する。皆、パソコンのディスプレー相手に仕事をしている最中であり、突然の挨拶に初めは無反応であったが、気が付いた人は立ち上がり、ニコニコして挨拶を返してくれた。ナースセンターにいる人たちを一通り見渡し、頭を下げ、お礼を言う。
 1階の入院会計に立ち寄り、支払いについて聞く。請求額にまだ不明の部分があるので、支払いは「次の外来時、ここに来て支払って下さい」ということであった。次回の外来は大分後の2週間後であると言っても、「その時にして下さい」と言う。実に鷹揚な返事であった。
 後日、慶応病院から連絡のあった入院費用は378,369円であった。差額ベッド代やステントグラフトの価格を考えると相当に高い医療費を請求されると覚悟していたが、予想外に安かったのは「高額療養費制度」のおかげである。改めて我が国の社会保障制度の凄さを認識することとなった。
 病院の玄関前からタクシーに乗り、家に向かう。入院してから10日ほどしか経っていないが、街の様子がしっとりしていて、以前に比べ落ち着いて見える。
 家は前と同じである。小生の帰宅に合わせて開花したハイビスカスの花と、慶応病院入院を記念して家内が病院入口の花屋で買い求めたデコポンを写真に撮る。
 居間のある2階に上がる。体力が減退しているにもかかわらず、苦労せずに登れる。ともかく直ぐに横になりたい。ソファに横になり、テレビのニュースを見ながらうつらうつらする。
 昼食は、私の希望を入れて、メイプルシロップのかかったパンケーキにコーヒー。
 午後もうつらうつらしながらテレビを見る。最近の世の中の動きに目を見張る。日経平均は3桁のマイナスで終わる。
 家内の兄弟から病気見舞いが届く。
 息子(2人)、娘、私の姉妹(2人)、家内の兄弟(3人)、それぞれに電話をかけ、無事退院し、本日家に戻ったことを伝え、お礼を言う。
 夕食は私の希望によりカレーライス。
 シャワーを浴びる。
 24時、1階の寝室で寝る。病院のベッドより落ち着く。

その後の経過(2014年10月現在)
 退院後、体調は完全に昔と同じ状態に戻っている。食事、運動などについても、特に意識して注意することがない。Y講師には引き続き診察をお願いしているが、3ヶ月ごとの通院においても、毎回「全て順調」とのお見立てをいただいている。身体の枢要部分に人工物を入れたのに、何らの違和感を覚えないのが不思議である。
 私的生活においては、毎日の散歩、週1回のハイキング、家内に連れられての寺社巡り、休祭日の遠距離ドライブなどの遊びに精を出し、今年になって4月には孫たちを連れてヨーロッパ旅行に出かけ、8月には富士登山に挑戦した。
 今年の7月、執刀していただいたS講師が「外科学教授」に昇進された。何だか自分のことのようにうれしく思っている。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿