ときめ句ノスタルジッ句昭和親父の温故知新

思うままに、俳句と唄を、昭和の匂いをぷんぷんさせて。

どんぐりと旅

2019-11-10 | 俳句
     


     どんぐりと旅をつづける車窓かな


     


     どんぐりの教えてくれた村社


     団栗の時雨のごとく降る音かな


     どんぐりの語るどんぐり日和かな






コロボックルの現はれさうな茸かな

2019-10-23 | 俳句
     


     茸は何かのアンテナかもしれぬ


     


     いざなふやこっちこっちと毒きのこ


     


     滑って尻もちつく茸狩かな


     


     晩酌を楽しみにして茸とり


     たくらみの地球征服毒きのこ


     


     魔法使ひの現はるやうな茸かな


     松茸を二俵担ぎし昔かな


少し若い頃、十津川の年配の知人と、十津川へ松茸とりに行ったことがあります。この人は僕と違ってホラを吹く人ではありません。米俵にいっぱいの松茸を、天秤棒で前と後ろにして山を下りたことがあるそうです。昔はそれだけ十津川で松茸が採れていたんですね。


     晩酌の笑ひ止まらぬ茸かな


笑い茸を食べると、ほんとに笑ったりするようです。苦しいらしいようですが。幻覚症状が出るのでしょうか。怒ったり歌ったりスッポンポンになったりも。翌日は二日酔いみたいな症状とか。




浦島太郎や雀は蛤に

2019-10-20 | 俳句
何とも不思議な季語です。晩秋の頃、雀が海に行き蛤になるなんて。ふと、これまた不思議な浦島太郎が頭に浮かびました。


     


     雀は蛤に誰もゐない海


     雀蛤にスーパーのパックに


 さて、和歌山の海に実際に行って来ました。浜辺には誰もいなくて浦島太郎さんとも出会いませんでした。(当たり前ですが)雀がいるかと歩いてみたけど。「雀だ。」と駆け寄って見ると、それは茶色い石ころでした。でも、振り向いた松林の中から雀たちの鳴き声が楽しそうな鳴き声が聴こえて来ました。おにごっこでもしてるみたいに飛び上がったりして楽しそうに遊んでる姿が見えました。それでそっとそちらへ行ってみました。だけど、行きついてみるとともう雀たちの鳴き声も姿も、どこにも見ることはできませんでした。ところが、松の根元を見て驚きました。そこにはいくつもの蛤が転がっていたのです。先ほど飛び上がった数を思い浮かべてみたけどそれと同じ数の蛤でした。僕は一つ手に取りました。すると、小さく、チュンチュンと鳴き声が聴こえたのです。空耳かと思い、今度は耳に当ててみました。でももう何も聞こえませんでした。
 ベンチでうとうとしてた僕はそこで目が覚めました。「何だ。夢だったのか。」と思いました。だけど、夢で見た通りそこには松の根元に蛤が、夢の中で見た雀の数だけあったのです。ためしに耳に当ててみました。でも、何も聞こえませんでした。
僕はおばあさんにいいお土産が出来たと、転がってる蛤を拾って帰りました。おばあさんも僕も蛤のお吸い物が大好きなんです。不思議な不思議な良い一日でした。明日の朝おばあさんとさっそくいただくことにします。
                おわり





     


     雀蛤にその手は桑名かな



     


     雀蛤に「チュン」とお吸い物




文字数も多いし、こういう季語は難しいですね。でも楽しい。




幼な日に噛めば帰れる野ばらの実

2019-10-16 | 俳句
     


     野ばらの実おとなは入れぬ秘密基地


     


     茨の実食べてなりたや赤い鳥


     


     実茨を噛んで楽しむファンタジー


     実茨の実茨だけの言えぬ味


     


     実茨や子らの秘密の合言葉



     放尿のばつのわるさや茨の実








行進も楽し園児の運動会

2019-10-10 | 俳句
     


     


     運動会や園児の手描き万国旗


     


     紅白の空に玉舞ふ運動会


     


     玉入れの籠は変はりし運動会


     


     先生の園児子守す運動会


     先生と園児と共の運動会




運動会の記憶は、高学年の頃よりも幼い頃の方が記憶に残っています。
数少ない母の記憶もあります。それは「宝さがし」と言う競技でした。幼稚園だったか一年生だったかははっきり思い出せないのですが。まず、子供たちが先生の後に付いて、小走りにぐるぐると輪を書くように走ります。数回まわったところで先生が笛を吹きます。そこでぼくらはバラバラになり顔をうつむくようにして、両手で隠してしゃがむのです。そこで「用意、ドン」のピストルが鳴ります。白線に足をかけて我が子を目で追ってた父兄が走って行って、我が子を探すのです。子供たちはじっとしています。親たちは覗き込んで我が子を見つけます。よその子の手をとって走り出すおっちょこちょいもいて観客席は大笑いです。僕は、母の「どこやろ?」といった探してる声を聴き、思わず「母ちゃん」と顔を上げました。母は「ああ、そこにおったんか」と言うように僕の手を取ると後はゴールまでまっしぐらでした。
顔を上げて母を呼ぶなんてインチキでしたが、一生懸命に探してる母の声に思わず顔を上げたのでした。