森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

浮遊島の章 第24話

2010年08月25日 | マリオネット・シンフォニー
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「白のポーンと黒のナイト、魔女の城に一番乗り」
 魔女の格好に着替えながら、玉響はチェス盤を眺めた。
「もう一人、すぐ近くに白のクィーン“不死鳥”もいるけど……入ってくる様子はないわね。まあ、この駒はエキストラみたいなものだから、できればあまり動いて欲しくはないんだけど。それよりも問題なのは……」
 玉響が盤上の一点に険しい視線を向ける。
「黒のクィーン“死”ね」



第24話 アート、狂気の果てに



「アート、しっかりするんだ。アート!」
「う……っ」
 アートはノイエに揺り起こされて目を覚ました。スケアとの戦いに敗れ、衝撃波に弾き飛ばされて、ずっと意識を失っていたのだ。
「ノイエ……?」
「そうだ、僕だ。アート、一体何があった……アート?」
「……ノイエ、俺は」
 震える腕を伸ばしてノイエの頬に触れ、今にも消えそうな声で呟くアート。
「俺はどうすればいいんだ……」
 ノイエは悟った。
 アートもまた、決定的な敗北に打ちのめされたのだ。
 そして自らの信念を根底から覆されたのだろう。自分と、同じように。
「──大丈夫だ、アート。大丈夫」
 ノイエは優しくアートを抱き締めると、己自身にも言い聞かせるように囁いた。
「今は何も考えなくていい。ゆっくり休んで落ち着いてから、改めて道を探せばいい。こんなになってまで、無理に戦う必要なんてないんだ」


「ダメじゃない、ノイエ」


 ノイエの背筋を戦慄が駆け抜けた。
 反射的に振り向いた先、背後にたたずむ少女の姿に、音をたてて唾を呑み込む。
「……アミ……」
 絞り出すように名を呼ばれ、アミは可憐な微笑みを浮かべた。
「戦わなくてもいい、だなんて。とても貴方の言葉とは思えないわ」
「アミ、僕は……」
 ノイエはアートを抱えていた腕を放し、ゆっくりと立ち上がった。
「どうしたの?」
 アミがやわらかく尋ねる。
 ノイエは少し躊躇ったが、やがて小さな声で呟いた。
「僕はもう……戦いたく、ないんだ」

「…………!」
 アートが大きく目を見開く。

「誤解しないで聞いてほしい。僕は今まで君の言葉が間違ってるなんて思ったことはないし、それは今でも変わらない。トトの力を手に入れて、世界を正しい秩序に導こうというハイムの理念も理解できる。そのためには僕らのような兵士が必要だということも──だけど」
 ノイエは苦しげに呟いた。
「僕は、勝てなかったんだ。オリジナルにも、フジノ・ツキクサにも。僕だけじゃない。あのとき僕の身体の中に入り込んできた『何か』でさえ、結局あの二人には勝つことができなかった」
「それは貴方の戦闘力が及ばなかったからでしょう?」
「それだけじゃないんだ!」
 ノイエは叫んでいた。
「だったらどうして僕はフジノを殺すことができないんだ!? 敵であるはずの僕と戦おうともせずに、何の警戒もなく眠ってしまうような彼女を目の前にして、どうして! 僕は──!」
「ノイエ、落ち着いて」
 興奮するノイエの手を優しく握り、アミが穏やかに話しかける。
「貴方は混乱しているのよ。無理もないわ、一時的にとは言え外部からの強制介入を受けた上に、アステルの風に巻き込まれて機体を激しく損傷してしまったんだもの。きっと、精神的にも不安定になってしまっているのね」
「……っ! 僕は混乱なんてしてないっ!」
 ノイエはアミの手を振り払うと、右腕をノイバウンテンに変形させた。
 何故かはわからない。
 だが、何か大切なものをけなされたような気がする。
「オリジナルが──スケアが言った通りだった。僕達は何も知らない。本当のことを、何一つ知らない! そんな状態で、これ以上殺し合いなんてしたくないんだ!」

「……そう」
 アミが静かに目を伏せる。
 途端、ノイエは周囲の気温が急激に低下したような錯覚に囚われた。今まで耳に心地良く響いていたアミの声が、まるで冷たい霧のように手足に纏わりついてくる。
「それじゃ、仕方ないわね」
「……くっ」
 ノイエはノイバウンテンを構えたまま、無意識のうちに後退していた。
 今まで彼女のことを戦闘員として、ましてや倒すべき相手として見たことなどない。
 だが。

 ──勝てない。

 圧倒的な絶望と共に、ノイエは悟った。
 殺気も、怒気も、闘気すらもなく、ただ静かに佇む少女。その内に潜む、得体の知れない“何か”を察知して。
 ……と。

「ノイエ」
 倒れていたアートがいつの間にか起き上がり、ノイエの肩に手をかけていた。
 正面のアミから目を逸らさず、ノイエは告げる。
「アート、僕と一緒に行こう。グラフもきっとこの島の何処かにいる。3人で考えれば、きっと答えが見つかるはずだ」
「ノイエ、お前だけは……」
 アートの手に力が込められる。
 次の瞬間。
 アートはノイエを強引に振り向かせると、腹部に拳を叩き込んだ。
「……アー……ト……?」
 呆然と呟き、意識を失うノイエ。
 力なく崩れ落ちたノイエの身体を抱き締めて、アートは囁いた。
「お前だけは裏切らないでくれ……」

   /

「最近さ。このままでいいのかな、って思ってたんだ」
 魔女の城の中。
 迷路のように入り組んだ通路を手探りで進みながら、グラフは言った。
「そりゃ俺はクラウンだよ。戦闘用に生み出された人形だ。戦って人を殺すのが仕事だと思ってた。でもさ、外の世界を知って色々な情報を手に入れる度に、今まで俺に与えられてた情報がどんなに偏ったものだったかってことを思い知らされるんだ」
「私もよ。ハイムにいた頃は同じようなことを考えてたわ」
 アイズが頷く。
「なんかね、自分が最初から用意された乗り物の上に乗っかってるような気がしたの。多分それに乗ってれば楽だし、何の心配もしなくていいんだろうけど、でも自分が本当にしたいことは、この乗り物から降りなきゃできないって思ったのよね」
「それで本当に密出国してしまうあたり、やっぱり君は凄いな」
 グラフの苦笑は、すぐに自嘲の色を帯びた。
「俺にはできなかった。そもそも、自分が何をしたいのかがわからなかった。この乗り物を降りたとして、じゃあ自分はどうするつもりなのか……ってね。でも、あの時」
「あの時?」
「トトの歌が聞こえてきて、ボノボノ君が現れたときさ」
 グラフは大きく手を拡げると、声を弾ませた。
「俺さ、初めて『名前のない通り』を見たときのことを思い出したんだ。その時俺は、普通の男の子になりたいなって思ったんだ。与えられた偽の記憶にあるような、何処にでもいる普通の男の子に。でもその時の俺は、まだ生まれたばかりで何も知らなかったしどうすることもできなかった。自分がそんなことを思ったってことも、すぐに忘れた。そのことを、思い出したんだよ」
 グラフは立ち止まると、アイズの瞳を真っすぐに見つめた。
「君と一緒にいて、お互いの立場とか、そんなの全然気にせずに話をして、少しだけど分かり合えて。なんか俺、やっと本当に、普通の男の子になれたような気がするんだ」


「アイズ。俺は君と一緒に旅がしたい。やっと見つけたんだ、自分のやりたいことを」


「それ、プロポーズじゃないでしょうね」
 グラフの言葉が本心からのものであることを感じ取り、返答に困るアイズ。グラフは少しの間、何も言わずにアイズを見つめていたが、やがていつもの雰囲気に戻ってニッと笑った。
「なに言ってるんだよアイズ。プロポーズなら、さっきとっくに済ませたじゃないか!」
「……そうだったわね」
 アイズは額に手を当てて溜息を吐いた。
 そのまま背を向けて歩き出し、追いかけてくるグラフに素っ気無く告げる。
「私もね、旅に出たばかりのときは何もわからなかったわ。けど、たくさんの人と出会って、一緒に色々なことを経験して、少しは成長できた気がする。もしずっと一人で旅をしてたら、今でも何も知らないままだったと思うから……だから」

 
「一緒に旅をする『だけ』ならいいわよ」

 
「……へっ?」
「何よ。聞こえなかったの?」
 立ち止まって振り返り、呆けた顔で立ち尽くすグラフを軽く睨む。
 グラフはしばらくの間そのまま呆気に取られていたが、やがて言葉の意味を理解すると、苦笑混じりに呟いた。
「やれやれ、つれないなぁ」
『でも気をつけて? 普通の男の子だって、突然オオカミさんになることもあるのよ!』
「うるさいっ! って、片手だからツッコミができない……」
『ホッホッホッ。ウサちゃんチョーップ!』
「いてっ! やったなーっ!」

 ウサギの人形を片手に一人で漫才を続けるグラフ。
 その表情は本当に楽しそうだった。
 こいつは私に似てるのかもしれない、とアイズは思った。
 そして気がついていた。
 グラフがそばにいることに、いつの間にか、安心と安堵を覚えている自分に。

   /

「ノイエ、そこにいるの?」
 外から大きく声をかけ、フジノは洞窟の中に入った。
 つい先程のこと。木陰で眠っていたフジノが目を覚ますと、ノイエの姿は何処にもなかった。周囲を探し回ったが見つからず、もしかしてと思って洞窟にも足を運んだのだ。
 一夜を明かした洞窟の奥には、二人で囲んだ焚き火の跡がある。
 そしてそれ以外、何もなかった。
「まだ傷も完治してないのに……」
 呟き、溜息を洩らして外に向かう。
 その時、フジノは洞窟の入り口に誰かが立っていることに気がついた。
 ここからでは逆光になっていて顔がよく見えないが、外光に縁取られて小柄な少年の輪郭が浮かび上がっている。
「ノイエ!」
 フジノは安堵の笑みを浮かべると、小走りに近づこうとした。
 と、その時。


「……やるんだ、ノイエ」
 ノイエの背後から現れたもう一つの人影が、抑揚のない声で短く命令した。同時に、ノイエの右腕がノイバウンテンへと変形する。
「ノイエ!?」
 フジノの叫びを掻き消して、ノイバウンテンが発射される。
 刹那、フジノは気づいた。白い閃光に照らされたノイエの顔が、感情が抜け落ちたように無表情であることに。そしてその瞳が、人形のように精彩を欠いていることにも。
 次の瞬間、洞窟は周囲の森と共に吹き飛んだ。
「くっ……!」
「逃がすか!」 
 咄嗟に洞窟の天井を貫き、上空に逃れたフジノの眼前にアートが迫る。その手に握られているのは、先の戦闘で折れた剣【F.I.R】よりも更に巨大な長剣。
「貴様などにノイエは渡さん!」
 アートが長剣を振りかぶると、赤熱した刀身の周囲に炎が噴出した。

 フジノとアート、そしてノイエの戦いが始まった。
 アートが新たな剣による近接戦闘を仕掛け、距離を取れば炎風の刃と共にノイエのノイバウンテンが襲いかかる。反撃しようとするとノイエがアートを庇い、フジノは攻勢に転じることができない。
「ノイエ、目を覚ましなさい!」
「無駄だ!」
 自分からノイエに近づこうとしたフジノを、今度はアートが炎の壁で遮る。次々と襲いくる炎と風の波状攻撃を防ぎながら、フジノは叫んだ。
「貴方、自分が何をしているのかわかってるの!? 今のノイエは明らかに普通じゃない! そんな状態で戦わせるなんて、へたをすればノイエは一生あのままよ!」
「黙れ! ノイエは純粋な兵士なんだ、それを貴様などに汚させはしない!」

「貴方……」
 フジノは何かに気づいたように目を細め、そして小さく呟いた。
「それは“愛”じゃないわよ」

「黙れっ!」
 アートが剣を振りかざす。
 避けようとした瞬間、剣の刀身がグラフの右腕と同じように鎖状に変形し、フジノの身体に絡みついた。
 一瞬の勝機を見逃さず、アートが鋭く言い放つ。
「ノイエ!」

 刹那、白色の閃光がフジノを飲み込んだ。

「よくやった、ノイエ」
 アートは鎖状の剣を元に戻すと、ノイエの元に駆け寄った。
 しかし、ノイエは相変わらずの無表情で何の反応も示さない。
 一瞬、アートは哀しげな表情を見せたが、すぐに自身の感情を打ち消すように顔を背けた。
 その時、アートの脳内の通信機に反応があった。
 相変わらず妨害されているのか通信が可能な状態ではないが、そう遠くない場所に、よく知った者の存在を告げている。
「次はあそこだ。行くぞ、ノイエ」
 アートの視線が向かう先には、森に囲まれた巨大な城が聳え立っていた。

   /

「トトは……上にいるのかな」
 巨大な吹き抜けの回廊を見上げながら、アイズは呟いた。
「そして多分、この島で起きてる出来事のすべてを仕組んだ張本人も」
「しっかし、本当にそんな奴がいるのかねえ」
 グラフが腕を組んで唸る。
「確かにこの島に着いてからというもの、色々と不自然な点は多いが……少なくとも幻に関しては、さっきアイズが言ってたNo.19『イマーニ』の仕業なんだろう?」
「多分ね。でもそれだけじゃないのよ。何て言うか、すごく作為的なものを感じるの。だってイマーニの目的は、侵入者を排除してこの研究所を守ることでしょう?」
「なるほどね。それならわざわざこんな手の凝った演出をする必要はない、か。まるでゲームでもして楽しんでるみたいだもんな」
 煉瓦造りに見える壁の金属的な触感を確かめながら、グラフも回廊を見上げる。
「やっぱりその黒幕って、『名前のない通り』の魔女みたいな奴なのかな?」
「きっとそうよ! しわくちゃで根暗で陰険なハバアに違いないわっ!」

   /
 
「……うーん、傷つくなぁ……」
 溜息混じりの玉響の呟きに、もう一人のトトがクスクスと笑う。
 玉響は何処からどう見ても魔女そのものの自分の格好を見ながら、「う~ん……」と少しばかり唸っていたが、不意に盤上の動きに気づいて目を細めた。
「黒のナイトが二つ、魔女の城に到着、か……」

   /

 その時、アイズと共に壁際の階段を上っていたグラフの通信機に、突然アートの通信が入った。
『グラフ! そこにいるのか!?』
「な……アート!?」
 グラフが返信するよりも早く、壁の一部が爆発し、二つの人影が回廊に現れる。
 煙の中から最初に現れた白髪の少年──ノイエは、回廊をぐるりと見渡すと、やがてアイズに目を止めてノイバウンテンを構えた。
「ち、ちょっと待てノイエ!」
 グラフが慌ててアイズを背中に庇う。
 そこに、ノイエに続いてアートが姿を現した。
「グラフ、何故お前がここにいる? 一体この城には何が……」
 言いかけて、アートはノイエがノイバウンテンを構えていることに気がついた。その視線がノイバウンテンからグラフに向かい、そしてグラフに庇われるようにして立つアイズに向けられる。
「貴様はアイズ・リゲル! グラフ、貴様!」

「あのさぁ、話せば長いんだけど、聞いたらきっとわかって……」
「……くれそうな目はしてないわよ」

「ノイエ! 裏切り者を吹き飛ばせ!」
 アートが怒りに彩られた瞳で叫ぶ。
 次の瞬間、ノイエの右手から白い閃光が発射された。

   /

 その頃、魔女の城から少し離れた森の中。
「それは愛じゃない、か。私の台詞じゃないなぁ……カシミールが聞いたら大笑いね」
 木陰に身を隠しながら、フジノは呟いていた。
「切り札っていうのは、最後まで残しておくものよ。これも私のガラじゃないな……あ~、まだ頭がクラクラする」




「まったく、瞬間移動なんてルルドもスケアもよくやるわね」





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