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平泉、世界遺産登録へ

2011-05-08 | ヒストリ:平安の風

平泉、世界遺産登録へ 観光振興「起爆剤に」 岩手

  
岩手県の「平泉の文化遺産」に7日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関から世界遺産への登録勧告が出された。
3年前の「登録見送り」を教訓に、構成資産を9つから6つに絞って勝ち取った「内定」。
構成資産から除外された奥州市、一関市からも東日本大震災からの復興に向け喜びの声が上がった。
 
今回の構成資産は中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山、柳之御所遺跡で、いずれも平泉町内にある。
「浄土思想と個々の構成資産との関係が不明確」と指摘された前回の勧告を踏まえ、昨年1月に作成された今回の推薦書では白鳥舘遺跡、長者ケ原廃寺跡(以上、奥州市)、「骨寺村荘園遺跡と農村景観」(一関市)を除外した。

この決定に当初は反発する声もあったが、奥州市の小沢昌記市長は「復興に向けて希望の光がともったような気がする。登録に向け関係機関は最後まで頑張ってほしい」、
一関市の勝部修市長も「県全体、被災地の復興にとっても平泉から大きな希望の光を発信できる」とエールを送った。
<後略>
 
(ソース:MSN産経ニュース 2011/5/8)
   

「柳之御所除外」どう対応 浄土との関連性認められず

 
「平泉の文化遺産」に対し、国際記念物遺跡会議(イコモス)は「登録」勧告の条件として柳之御所遺跡の除外を示した。
コンセプトと構成資産との直接的な関連性が必要とするイコモスの姿勢の表れであり、再挑戦に際し除外された資産の追加登録に向け、厳しい現実が突き付けられたともいえる。
 
奥州藤原氏の居館で政治行政上の拠点「平泉館」と推定されている柳之御所遺跡。
イコモスは今回「浄土思想との直接的な関連性の点から、本資産の顕著な普遍的価値の一部を成すものとは認められない」とした。
 
「平泉」は登録延期となった前回の反省を踏まえ、今回は「浄土世界」をコンセプトに掲げ、浄土思想に直接的な関連がある六つに資産を絞り込んで再挑戦。
前回、イコモスから「浄土世界との直接的な関連が薄い」などとの指摘を受けた奥州市の白鳥舘遺跡、長者ケ原廃寺跡、平泉町の達谷窟、一関市の骨寺村荘園遺跡を除外、これらの4資産は追加登録に回った。
 
今回の6資産のうち柳之御所遺跡は、中尊寺や毛越寺のように直接的な浄土世界ではないが、浄土世界を成立させた藤原氏の拠点。
その意味で、同遺跡は4資産の追加登録に向けた試金石でもあった。
推薦書では、同遺跡が無量光院などと緊密な位置関係にあるとの観点も示したが、その論理はイコモスには通じなかった。

世界遺産委員会の行方次第では柳之御所遺跡が「復活」する可能性はあるが、勧告通り除外されれば、追加登録を目指す資産は「浄土世界」との同時代性や間接的な関わりといった論理を超えて、直接的な関わりを証明する論理構成が求められることになるだろう。
 
世界遺産に向け大きく前進した「平泉」だが、前段には多年にわたる発掘調査成果に基づいた平泉研究の蓄積がある。
その契機が1988年に始まった柳之御所遺跡の大規模発掘調査だった。
 
県教委による調査は今なお続く。
出土した多種多様な遺構・遺物は、浄土世界を成立させた藤原氏の性格解明のみならず、日本史研究にも大きく寄与している。
同遺跡が構成資産から除外されたとしても、着実な調査進展が必要だ。
その成果が浄土世界の輝きを一層増すことになる。
  
(ソース:岩手日報 2011/5/8 )

*****

世界遺産登録ほぼ確定だそうで。
おめでとうございます。
 
いやー前回の審査は3年前ですか…登録延期だったんですよね…
あの時、私めっちゃ思ったもん。 
二条城がよくて平泉があかん意味が分からん。どう考えても平泉の方が価値あるような気がした。
いや、比較するようなものでないのは分かっているんです。
でもやっぱりそう思ってしまった。
中尊寺が建立された理由を書いた「中尊寺建立供養願文」を思うと、これが評価に値しないなら何を、と思ってしまう。
別に誰に評価されなくったって平泉に素晴らしい人達がいて素晴らしい文化と歴史があった事実は変わらないけれど、撥ねつけられるとなんかそれを否定されたような気分になっちゃうんですよね…
中尊寺を作った藤原清衡を否定されたような気持になってしまう。
大好きだから、余計になんやとーと。
だから今回は本当に良かったです。嬉しい。
復興へのバネにもなればいい。
  
前回は白鳥舘遺跡といった城郭跡や骨寺村荘園遺跡なんかも登録申請しており、
それが浄土思想とは関連が薄いとイコモスから指摘されていたとのこと。
なので今回はそれが外されている。
ただ産経と岩手日報の記事で、柳之御所跡がちょっと「?」な感じなってます。
で、結局どうなの?っちゅう。
なんか外せって言われてるっぽいけど。
 
柳之御所跡は、平泉駅と中尊寺の間、北上川沿いにあるのですが、
岩手日報に書いてある通り、平泉の政庁、所謂「平泉館(ひらいずみのたち)」があったと考えられている所です。
22・3年前にこの遺跡の上にバイパスを通すという事で、発掘調査が行われたのですが、そこからめちゃくちゃ色んな物が出て来た。
建物跡、堀跡、道路、屋敷群といった建築物関係、
かわらけ、烏帽子、文字の書かれた折敷(おしき)(折敷墨書)、下駄、食器類。
将棋の駒、すごろくの駒、サイコロ(いかさま用)、人形(ひとがた)・呪符、大陸との交流を表す青磁・白磁の碗。
かわらけ(使い捨ての食器。酒宴で使う)とか凄かったんですよ。10トン?
 

 
清衡が江刺から出て拠点を置いたのが平泉館。
毛越寺(もうつうじ)を建てた次代の基衡もここを拠点とし、
そして3代目の秀衡に至っては平泉館で亡くなったと『吾妻鏡』にあります。
4代目の泰衡が、源頼朝に攻められ平泉から落ちる際にこの平泉館に火を放っていまして、その際に行政文書等が焼失している。
なので分からないんですよ。文書史料がなくて。
そういう意味でも柳之御所跡から出て来た資料はもの凄く重要ですし、実際平泉研究を大きく前進させた遺跡でもある。
  
ちなみに、
道路作る為に本当にこの遺跡壊す気?
という市民の反対運動があったのはむべなるかな、でしょう(バイパスは違うルートを通ることになった)。
100年とはいえ東北の覇者として奥州藤原氏が君臨した場所であり、
また平泉の黄金文化を作り上げた中心地であった訳ですし、
地元にとっちゃアイデンティティそのものだよ。
郷土の誇りだよね。
だからこれも遺産登録したいだろうなと思う。

長者ヶ原廃寺跡は今回追加登録ということで。
てか追加登録って何だ。
もしかしたら登録されるかもしれんけど、という含みがあるってこと?なんかよく分からん。
そもそもイコモスってなんなんだ。ユネスコの諮問機関らしいがどういうメンバーなの?
公式HP見てみたら各国にあるらしいんだけど、その日本イコモス国内委員会が平泉に勧告してるの?
イコモスの総本山が勧告してるの?
まあ別にどっちでもいいけどさ。
 
長者ヶ原廃寺跡は既に史跡紹介ページに載せていますので、詳しくはこちらからどうぞ。
こちらは吉次屋敷とも言われており、金売り吉次の屋敷があったとか、建立した寺があったとかいう伝承があります。
金売り吉次といやーオメーあれだ。
遮那王だ。源九郎義経だ。
京都の鞍馬寺に預けられていた義経を平泉に連れて行ったと物語等では言われる人物です。
まー吉次は創作だと思うんですけど…^^ゞ 

義経が平泉を頼って行ったというのは、別に故なき事ではないんです。
というのは、平泉には義経の親戚がいるんですよ。
血の繋がりはないのですが。

義経は父親が源義朝、母が常盤御前。
平治の乱で父義朝が討たれた後、今若、乙若、牛若の3兄弟は助命され、それぞれ寺に預けられます。
そして母・常盤御前は平治の乱の後、平清盛に再嫁し女児を得たとも言われます。
まあ、これは史実なのかよく分からんらしいのですが、とにかくその後彼女が藤原長成に嫁したのは本当。
藤原長成、一条長成とも呼ばれる人物ですが、この方の従兄弟の子供が平泉にいるんです。
藤原基成と言う人物で、この人物の娘が秀衡に嫁いでいる。
 

  
で、その娘が泰衡を生んでいる。泰衡のじいちゃんです。
秀衡の政治顧問みたいな事してたらしい。
義経は恐らくこのツテを辿って平泉に向かったのだと思いますが、そういうことあまり言われないよね…
一般書ではちらほら見るんですけど。
 
※検索サイトから来られた方へ
 カテゴリー ヒストリ:平安の風 で平泉成立の前史になる前九年後三年役の話、藤原清衡の話を書いています。
よろしければ御覧下さい。


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