1998年の写真。
古い…古いけど、大好きな写真。2枚を結構上手いこと継いであるでしょ?(笑)
平泉の風景です。
平泉にある高館、源義経最期の地と、とりあえずは言われている所からの撮影。
左側、北上川から左側にこんもりとした緑が走っていますが、そこが安倍氏の拠点があった衣川。
この川から上が奥六郡と言われた土地になります。古代ではこの衣川が国境でした。
真ん中を流れているのが東北の大動脈であった北上川。
右端にうっすら写っているのが束稲山(たばしねやま)。…の麓。
平泉を開いた藤原清衡の祖父、安倍頼時が1万本の桜を植えたと言う伝説があります。
聞きもせず 束稲山の桜花 吉野のほかにかかるべしとは
吉野の他にこんなに美しい桜があるなんて!
歌聖と言われた西行法師がそう読んだ。
西行は2度平泉を訪れています。
1度目は若い頃、これはドラマでも奥州に行ったという事に触れていました。
以前書きましたが、西行の佐藤家と奥州藤原氏は秀郷流藤原氏の出で同流、いわば遠縁になります。
そういう所に触れるかと思いきや「美しきものは云々かんうん」というよう分からん話で終わってました。あーあ。
2度目は晩年になります。
ドラマではまだまだ後の話になりますが、平清盛の五男重衡が奈良に軍を出した際、東大寺が燃えましてね。
寺や大仏殿を燃やすつもりはなかったようなのですが、その日は折悪しく風が強くてだなー…
延焼した。(ついでに近くにある興福寺も)
西行は東大寺の重源の依頼を受け、その修復の為の砂金勧進で平泉の3代御館藤原秀衡に会いに行っている。
この途上、西行は鎌倉の源頼朝と面会しています。
西行は俗名佐藤義清といい、優秀な武士でした。しかも先祖が平将門を討ち取った藤原秀郷だよ!
そういうことであーたの家には武者の秘伝みたいなのがあるんでしょ?教えなさいよってな感じで色々頼朝から聞かれたらしい。
その時に平泉を探ってこいなんて密命を受けたなんて推理をする人もいます。
1度目の訪問の際は2代御館基衡の頃。
先週亡くなった源頼長の荘園が東北にあり、その管理をしていたのが奥州藤原氏、当時はこの基衡になります。
基衡はこの頼長を相手に年貢を上げる上げないで随分激しいやり取りをしている事でも知られています。
ドラマでは都の政治情勢が主になって来るので平泉?同時代なの?
…という感じですが、めっちゃ同時代です…
基衡が毛越寺建立に際し本尊を都の運慶に依頼するのですが、その出来の良さを見て鳥羽院が東北に送ったらダメ、と言いだしたこともある。
中央の話と平泉の話、つい分断して考えて、結局繋がるのが義経からになってしまうのだけど、もう少しディープなアプローチがあっても面白いかなと思います。
頼朝が兵を上げた翌年に秀衡は従五位上、陸奥守になる。
これは清盛がなしたことで、平氏からの味方に引き入れたい、最悪でも源氏側に立たないでほしいと言うアプローチであった。
まあ平泉はどちら側にも立たなかったけれど、結局平氏は壇ノ浦で滅亡した。
西行が平泉を訪れたのはその後の話になります。
そして平泉がその後どうなったかは皆さんご存じの通り。
平泉が滅亡した丁度500年後に松尾芭蕉がこちらを訪れています。(奥の細道)
高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。
衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入る。泰衡らが旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。
偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良
この風景を見て詠まれた俳句がこれでした…
それから300年以上経った今と当時では景観は違っていると思うけど。
(※数年前に高館下にバイパスが通り、現在ではさらに景観が変わっています)
スイマセン、書いていなかったんで…
緩やかに流れる川幅が狭い部分が30キロほど続いていて、大雨などで水量が増えた時に流れ切れずに一関や平泉の平坦部を水浸しにしてしまうんです。
平泉や衣川だと川のすぐ隣を東北の大動脈国道4号線が通っており、それが水没すると東北南部で道路がシャットアウトに…
ただ平泉で一番の眺望と言われた場所にバイパスを通すという事には地元でも反対の声があったようです。
まあ地元の安全が問題になっているだけに…美しい景観を残して行って欲しいですが、その辺りは一旅行者が景観云々と口することではないなあとは地元の方のお話を伺って感じました。
難しいですねえ…
間違えてコメントを消してしまいました!(><
ホントすいません!orz
古式道理朗々たる葛野守様(太子)の歌詠や
愛宕守様(同)など信濃守家(源・本家)が
荘園時代から代々所有し守る氏神様で
長皇子(明仁親王)と各・宮家を歴代の上屋敷に
在日大使館代表などと武官を
明治5年に建設した招待所や施設に招き
宮内府や庄屋講と5人組講と共に行れた
伝統祭事の御子様(次男).ご誕生の礼式の
様子などが生放送されたのを御存知ですか。
どなたか分かりそうな方にお尋ねください。
ドンマイです(^_^)v
もー本当にすいません(><
自分でも「え?」となりました…