Forth!

移転しました(2014/1/1)

彼らの身長

2011-01-13 | ヒストリ:近代MTS

お前は言いっ放しで放置かと。やるやる詐欺かと。笑
いやんスイマセン。サイトのページを作っているとブログを書く時間が削れていく。ブログの改訂とはいえ、折角見てくれる人には新しい情報とか、入れたいですもんねえ…
できる限りできることはしたい。
そんなこんなで自分の本棚に写真がないかと本やコピーを探したりしているとあっちゅう間に

何をやっていたか忘れます!

笑!ダメじゃん!笑(笑。じゃねえ

で、下の写真に名前を入れる編集をしていてはっと思ったんですよ。
広瀬武夫が175㎝程(※2023/6/12追記170cm程の間違いです。詳しくはこちらをどうぞ。)。
財部彪も背が高かった、180㎝位あったというのを聞いたことがありまして、でもそれ、10年以上前に一度きりなんですよね。
何処で見た情報なのかもうよく分からない…
しかしこう見ると広瀬の方が背が高いなあと。財部くん、165~170㎝位?
竹下勇が170㎝位…
 


この写真の並びで見ると、左端の加藤寛治が低い位で、皆さん結構タッパある様に思います。
というか、ど、胴長短足に見える……座っている人々…(^^ゞ
 


そうすると去年齋藤さんから頂いたこの衝撃的というか笑劇的な広瀬と秋山真之の身長差写真。
秋山、マジで小柄だったんだね…大人の中に子供がひとり、みたいな…(超失礼)
海軍さんの伝記を読んでいると、意外と背の高い人多いんですよねえ。
何人おる内の何人の伝記やねん、という問題はありますが。
とはいえ当時の日本人成人男性の平均身長は152~3㎝ほどですので、秋山はそれから考えると平均的な背の高さ。
 
勝海舟とか、確か140㎝台だったような記憶があります。
霊山記念館に行かれた方は分かるかと思いますが、高杉晋作とか徳川慶喜の等身大写真とか、衝撃を受けますよね(笑)
数値を知ってはいても目の当たりにすると夢が壊れる(笑)
坂本龍馬は180㎝程あったそうですが、外国人などが街を歩いていない時代のことを考えると、雲を見上げるほどの大男だったんでしょうね。
まあ龍馬は2・3年ほど前に実際は160㎝ほどだったのではという研究が出ていましたが。
160でもそれなりに大きいよね。勝先生と並ぶと特に。

日本人の平均身長が一番高かったのが縄文とか弥生とか、あの辺り。確か160何㎝かだった。
ここを頂点としてどんどん下って行き、江戸末期~明治が底辺だったそうです。





書こう書こうと思っていつも忘れてしまう!展覧会情報!
 
 
■ 『登場するすべての人物から『坂の上の雲』を観る』企画展
    *司馬遼太郎記念館 *5月29日(日)まで
 
  司馬馬遼太郎自筆原稿「旅順総攻撃」の章
  「あとがき二」
  「書生の兄貴」
  秋山好古 自筆扁額
  秋山真之 自筆扁額
  正岡子規 書簡
  東郷平八郎 扇面幅
  日露戦争絵はがき
 
1行目以外全部初公開。
去年からの開催ですから既に行かれた方もおられるかも…
初公開の秋山好古と真之兄弟の扁額が展示されているようです。
調べてみたのですが、兄弟関係の展示はこの2面のみなんでしょうか、よく分からない。
書簡ならなあ… 残念だな~書簡なら見に行くんだけど。
こちらの記念館、めっちゃ遠いんです。
隣県のくせに何を言うかとお思いでしょうが、遠いんです。笑
10何年か前に行ってもう二度と来ることはないだろうと思うくらい、心情的には遠い(笑)


■『「広瀬武夫」企画展』
   *海上自衛隊第一術科学校 *3月までの予定

  展示品 約10点
   1:講道館と広瀬武夫に関する資料(嘉納治五郎との写真、書簡など)
   2:旅順港閉塞作戦に関する資料(福井丸写真、当時の書籍など)

江田島の教育参考館です。
見た瞬間行くことを決意しましたが、よくよく案内を見ると…
点数が常設と変わらないような感じでしたので、私はいいかな、と(^^ゞ
予定という事で終了日が曖昧です。間際に見学を予定される方は、問い合わせた方がいいかもしれません。

オフィシャルのトップページに、ドラマ『坂の上の雲』の撮影風景のレポが有りました(大講堂ロケ)。
秋山の海大での兵机演習の所かな?
エキストラ、海自の方々だったんですね。笑



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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (丸義)
2011-01-14 23:39:25
ヒジハラ様、初めまして。丸義と申します。
広瀬武夫の事を勉強し始めたばかりの若輩者です。
昨年の秋くらいから、このブログ(サイト)を愛読させて頂いております。
先日、「広瀬武夫」(櫻田啓)を読み終えたばかりです。

昔、松山に住んでいたので(京都にも住んでました)、秋山兄弟や正岡子規に影響され、やはり「坂の上の雲」が明治期を知るキッカケになりました。
今度、万世橋まで散歩してみようと思ってます。
(恥ずかしながら、未だ靖国へも行った事がありません)

身長に関する記事、興味深く拝見させて頂きました。
龍馬の身長は、諸説ありますね。
霊山歴史館の木村館長は172センチと言っておられました。
個人的に、鉄舟の188センチや後藤象二郎の2メートル(これはソース的に定かではないのですが)などがインパクトありました(笑)。
今後も、ブログ・サイトの方で勉強させて頂きます。
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>丸義さん (ヒジハラ)
2011-01-15 10:25:51
はじめまして。
サイト、ブログとも御覧頂いていますようで、ありがとうございます。
昨年秋からですか。いや~…更新どころか珍しく生存が危ぶまれていた頃に起こし頂いていたんですね…
どちらもぼちぼち進めていきたいと思っていますので、勉強とは言わずお気軽にお楽しみ頂けたら嬉しいです。

松山に京都ですか。どちらもいい所ですね。
京都には私も昔住んでいましたし、松山ではいつも親切にしていただいています。
先日読者様に教えて頂いたのですが、ドラマの影響なのか、万世橋には広瀬の銅像に関する説明の様なものが出ているそうで…
広瀬を好きになった頃は、軍に興味があるなんて言うと本気で危ない人扱いされたりもしましたが、変れば変るものです。

木村さんはそう仰ってるんですか。
本当に龍馬の身長については諸説ありますね。
遺品の着物から計算しているようですが、何故か人により言っていることが違う(笑)
幕末では久坂玄瑞も六尺の大男だったそうですが、鉄舟もですか。
188は確かにインパクトがありますね。
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