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移転しました(2014/1/1)

無量光院跡@平泉

2012-07-25 | ヒストリ:平安の風

サイト更新です。
今回で平泉の史跡案内は最後になります。うーん。終わってしまうとなると寂しいな…
 
最後の史跡は無量光院跡になります。
平泉には奥州藤原氏時代の建物はほとんど残っていません。
残っているのは中尊寺の金色堂のみ(中尊寺の経蔵は鎌倉時代に火災に遭い創建当時の建材を使って建てなおされたとされている)。
それだけでもよく残っていたなという感じです。
無量光院は現在跡地が史跡公園?になっていて碑が立っているばかりという状態です。
私がこちらを最後に訪れたのは4年前ですが、それ以前は98年が最後です^^;
10年のスパンが開いての再訪だったのですがあまりの変わりように驚きました…(笑)
   
無量光院は3代御館藤原秀衡が建てた寺院になります。
宇治の平等院鳳凰堂を模して作ったということがよく知られていますが、それよりはもう少し大きかったようです。
こちらも阿弥陀堂で東面している。


 
阿弥陀堂の本尊は阿弥陀如来ですが、この仏様は西方浄土におられるんですね。
なので参拝者は西方にいる仏さまを拝むことになる=如来の顔は東を向いている(東面)。
阿弥陀堂は東面しているのが基本です。

想像図を上げていますが、そのすぐ後ろに山が見えます。
金鶏山といって、奥州藤原氏の神聖な山といった存在であったと考えられている。
ちなみにこの山には衣川の戦いで亡くなった源義経の妻子のお墓があります。
この山の頂上と堂の中心、橋は一直線に結ぶことができるのですが、春分の日と秋分の日には山の頂きから太陽が沈むのを見られるように設計されている。
つまり阿弥陀如来のま後ろに沈む太陽が来ることになる訳ですが、これは本当に神々しかったと思います。
昔の人はすごいねえ…

平泉は本当に大きなまちではないんです。
なんせ観光するにしても軽く見るだけなら徒歩1日で間に合う位なので。
それだけのまちの中に、こんな規模の寺院や邸宅がひしめくようにして並んでいたというのが今からでは中々信じられません。

当時の平泉がどれだけ壮麗な”都市”であったのかというのは、『吾妻鑑』からも分かる訳ですが、当時の東国武士は平泉の豊かさを目の前にして腰が抜けるほど驚いたんじゃないかなーと思う訳です。
建造物についてもそうですし、奥州藤原氏は独自ルートで海外交易をしていた事もあり、日本では入手出来ないような宝物も多く持っていたので、見たことのないもののオンパレード!という東国武士もかなり沢山いたのではないだろうか。
寺院の宝物の略奪に走った人間もいたと書かれてますし(厳罰に処されてます)。

 
(金色堂は日本では手に入らない材料が多く使われてます)
  
13歳まで都で過ごした源頼朝でさえ平泉の文化には驚き、大きな感銘を受けたようで、それが鎌倉のまちづくりにも反映されている。
これは史料からも判明しています。文化の持つ力は凄い。
 
大河ドラマは次回は平家納経ですが、平家納経は一門の人間がひとり1巻ずつ分担して経典を書いたもの。
神戸で開催された「平清盛展」で実物を見てきましたが、そりゃあ綺麗だった。
平氏もそういった面では文化の推進者だと思います。
一門の中には忠度(ただのり。清盛の弟)のような歌人がいて、経正や敦盛といった音楽に造詣の深い公達もいて。
置かれた立場が違うというのもあるかと思いますが、殺伐とした源氏とは随分趣を異にしています。

源氏はそういった平氏や奥州藤原氏を叩きつぶして鎌倉幕府を作る訳ですが、頼朝は政治的には清盛の執った手法を参考にしている形跡が見られるようで、また他方鎌倉に造った建造物などは平泉を参考にし、とかなり面白いことになっている。
あっちの良さやこっちの良さを少しずつ取り込んでいるみたいですな。
こういうのを見ると「いきなり出来上がる」のではなくて、「少しずつの積み上げで歴史が出来上がっていく」というその過程を見るようで、かなり興奮します。笑。
歴史は面白い。

あとひとつ、以前このブログで毛越寺について書いた時に、「史跡名勝でのダブルの特別指定は全国合わせて8例しかない」と書いたのですが、その後近年出版された本を読んでいたら「9例」になっていました。
調べたら朝倉の一乗谷が加わっていた。
サイトの毛越寺のページには9例と書いていますが、ブログの方で訂正し忘れていました。
よろしくお願いします。

そんな感じですが、今回で平泉のまち歩きは終了です。
お付き合い下さった方ありがとうございました!
楽しんで頂けたなら幸いです^^



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2 Comments

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黄金文化 (iina)
2012-08-18 10:07:08
中尊寺の金色堂を拝んでみたいです。
世界遺産になってテレビで概要を見る機会が増えましたが、一度は実物をと思ってます。
黄金は、日本に産しなかったところに奥州で発見され、東大寺の大仏に使われたようです。
http://www.geocities.jp/ina570/6.html

境内全体が極楽浄土を構成する浄瑠璃寺も西方浄土を配しています。
http://www.geocities.jp/ina570/9.html
その意味からも毛越寺にもぜひ寄りたいです。
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>iinaさん (ヒジハラ)
2012-08-19 10:43:39
こんにちわ!
TBだけさせて頂いたり、レスが遅くなったりですいません。
金色堂は実物を見ると色々な意味で驚きがありますよ。
iinaさんが仰る通り陸奥で黄金が発見されたことから東大寺の大仏建立が全うされたのですが、それ以降同地は黄金や米が多く穫れる地と認定され、朝廷と現地との間で絶え間ない戦争が続くことになりました(奥州藤原氏の出現まで)。
黄金は仏具や荘厳の為に利用する量もかなりあったようで、それは仏の教えとしてはにはどうなんだと思わないことも…
     
浄瑠璃寺も阿弥陀が御本尊なんですか。
貼っていただいたURLを見ましたがこうした形の伽藍や浄土式庭園は本当にテンプレート通りというか(笑)
何も残っていない無量光院も良い風情がある史跡ですが毛越寺もいいです。
平泉は小さな町ですが本当に見どころ沢山ですので、機会があったらぜひ足を運んでみて下さい^^
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