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移転しました(2014/1/1)

ぬかよろこび

2012-04-16 | ヒストリ:広瀬武夫

先日広瀬武夫と加藤高明の繋がりがという話を書いたんですが、あれ違ってた
 
 
 
これ原文ね。
で、文書の名前は財部少佐宛加藤高明書簡。明治37年3月30日です。
前日に山本権兵衛が衆議院で広瀬の戦死を報告し、同日に号外が出ています。
言ってみれば直後に書かれた書簡になる。
でね、黄色い部分が差し出しになりますが、これがどう見ても加藤高明ではないので、号か何か?と思ったんですよ…
文書の名前が財部少佐宛加藤高明書簡なもんで。
文書の名前が財部少佐宛加藤高明書簡なもんで。
志足?之?越次郎?…うーん…号にしては長い。それに次郎?これ普通に姓名っぽいけどそんなのありか?しかも真面目度が高いこんな書簡でさして親しくなさそうな人に対して号?とか思いながら、加藤の伝記でも見たらそんなのあるかもじゃあ調べるかと思ってたわけです。
でもね、これ、よく見たら志立鉄次郎って書いてある。
……え?し、した…え?

………誰? 加藤じゃなくない?^^;

グーグル先生に聞いてみたら、コトバンクがトップに。

▼志立鉄次郎 しだち-てつじろう  1867-1946 明治-昭和時代前期の銀行家。
慶応3年生まれ。日本銀行,九州鉄道,住友銀行勤務をへて,大正2年日本興業銀行総裁となる。昭和2年ジュネーブでひらかれた国際経済会議に日本代表として参加した。昭和21年3月16日死去。80歳。出雲出身。帝国大学卒。
 
ついでに言えば福沢諭吉の娘婿なんですって。へー………って、そうじゃない。
なんで?なんで加藤になってんの?
もしかしたら史料の分け方に問題があるんじゃないかなあ…
という訳で前の話、訂正です。ものすごく残念。ものすごく残念です。(察して下さい)
こんなぬかよろこびは久しぶりです(笑)ぬかすぎる(笑)
 
内容はこんな感じ。
先日の公報で友人広瀬君の戦死を知りました。去年朝日の観艦式に家族で呼んでもらいその時の彼の笑い声がまだ耳に残っているのにこんなことになって、名誉なことだけど非常に残念です。広瀬君は後世に長く顕彰されるべき人でもしそのような事を考えているのなら、私も協力したいと思っています。

ぬかすぎて腹が立つほどですが(別にこの人が悪い訳じゃない)、新しい交流が出てきました…
銀行家?どういう繋がりなんだろう。
柔道繋がりじゃないかと思いますが、調べてみないと今の段階では何とも言えません。
でも本当に残念。加藤との繋がり、知りたいんですよ。
広瀬武夫全集に入っている手紙には2回だけ名前が出てくるのですが、それだけなので。
本当に嬉しかったのに…orz志立この野郎(だからこの人のせいじゃないって)…

とりあえず早々に訂正しておきますorz
 

>新屋まりさん (反転して下さい)
はじめまして!須磨寺で平氏の曲を、ですか。須磨寺はとても雰囲気のあるお寺ですしそんな所縁ある所でコンサートだなんてとても素敵ですね。
神戸はまさにご当地で様々なイベントが開かれていて、清盛ファンとしてはもうこんなことはないだろうとあちこち足を延ばしています^^
 



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2 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2012-04-16 23:39:50
柔道ですよ。

嘉納治五郎が、海外に武道を紹介するときに、一緒に方法を検討したのが、志立です。

それ以上詳しくわかりませんが、何らかのつながりがあったかと思います。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2012-04-17 06:59:31
おー!そうなんですか!
嘉納の伝記や講道館関係の本を見ていた時に一緒に名前を見ていた可能性が高いですね^^;
広瀬とはあまり関係のない所なので多分スルーしたんだろうな…(笑)
ジゴロウさんの一言で調べる過程が色々とスキップされました。助かります、ありがとうございました!^^
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