Forth!

移転しました(2014/1/1)

激動の明治国家建設@憲政記念館 2

2009-11-27 | ヒストリ:近代MTS
※サイトに追記改訂版をUPしました。
そちらの方が読みやすいと思います。
お時間がありましたら、このブログのリンクからサイトへどうぞ。
サイト>史跡・旅行レポ>展覧会・特別展訪問記 




激動の明治国家建設@憲政記念館1」の続きです。

※展示の内容

1:西南戦争と維新の三傑の終焉
2:議会開設前夜
  自由民権運動のはじまりと展開
   点景 私擬憲法
  明治十四年の政変と諸政党の勃興
   点景 自由民権激化事件
  内閣制度創設と大日本帝国憲法の誕生
   点景 大日本帝国憲法発布
3:人物回想
4:時代を彩った人々
5:明治時代アルバム


2)議会開設前夜

征韓論のあたりから愛国公党・立志社・愛国社といった初期の政党、民撰議員設立建白書、地方官会議、国会期成同盟といった議会開設に関する動き。
それと並行した憲法制定に関する民間での動き(私擬憲法)、議会や憲法を巡る政争(明治14年の政変)、その後の民権運動の激化、その辺りの話。
絵にかいたように歴史教科書で習う出来事ばかりが並んでいます(笑)
では順番に。

明治10年以前のものとしては、征韓論争に関する史料、政党に関する史料、大阪会議に関する史料あたりが。

・参議就任につき家族へ遺せし秘書

 

明治10年10月、征韓論争たけなわな時期に書かれたものですな。
西郷の朝鮮派遣をひっくり返そうと大久保が参議に担ぎ出されるわけですが、その頃に子供宛てに書かれたもの。これは結構有名な史料じゃないかと思いますが…
重要文化財です。
近代の書簡類で重要文化財ってあまり数を見ないのですが、大久保のものは割とよく目にするかと思います。
まあ、国の要の人ですから…
参議就任後、実際に歴史が旋回するわけですし、その後に大久保が為した事を考えてもやはりそれだけの価値がある文書であるという事なんでしょうか。
図録にもありましたが、この時期に参議に就任するという事は盟友西郷隆盛との対決が避けられないものでした。
文書中、
「この難に斃れて無量の天恩に報答奉らん」
という行があるのですが、やはり胸を打つ一文です。
それにしても目にするたびに思うのですが、大久保関連史料・資料は民博の保管であったり所蔵であったりが多いですね。
民博でそういった企画展とか開催してほしいな…
西郷は多くても大久保主体というのはほぼ無いので。

・田中光顕宛木戸孝允書状(明治6年11月8日)
11月8日だと既に征韓論は西郷の朝鮮派遣中止に決し、諸参議が下野。
西郷等は既に鹿児島に帰った後になります。
田中光顕はこのブログでも何度か名前を出していますが、土佐の人。
坂本龍馬や中岡慎太郎、長州の高杉晋作と非常に近い間柄の人物で、中岡慎太郎の陸援隊に参加しています。田中辺りなら来年の大河に出てくるんじゃない?
広瀬武夫の師のひとり、山縣小太郎の友人でもあるというのは何度か触れています。
その田中に木戸が宛てた内容が、

「議論違ひもあるは当然之次第也
然るに議論違ひ候とて直ニ辞表出し候と申事は拙などにてハ合点ニ入不申
左候とてまた世上にて不平をとなへ候などと申事は丈夫真に可恥事歟と奉存候」


文章中「拙」は拙者、私のことですね。
これを読んだ時の感想。
…いやー、木戸さん。あんたがそれを言うか(笑)でした(笑)

あと面白かったのは意外と大阪会議に関連する史料が出ていたこと。
大阪会議についても随分このブログなりサイトでも書いていますので、何ぞそれ?と仰る方はこちらをご覧ください。⇒大阪会議@花外楼 
こちらで出ていたのは

・木戸孝允宛井上馨書簡。明治7年12月1日。

古澤と同行下阪仕候。同人等も芋を一除不在テハ政府ノ事業不挙事を吐露仕候
古澤と大阪に来ました。板垣退助も来ます。なのであなたも来てください。

大阪への御誘いの書簡。
動いていたのは井上、伊藤博文、古澤滋(うろう)、小室信夫あたりで、木戸と板垣を引っ張り出すことで官僚機構を独占し、芋=薩摩=大久保派を一掃したいという思惑があったんですが、それは見事に失敗してます。
板垣は征韓論争で土佐に、木戸は台湾出兵に反対して意見が合わん!と山口に帰ってたんですな。
だからあんたがそれを言うか(笑)、なんですよ…(笑)
そして来たよー。薩摩イモ扱い。
こういうのを史料で見るとアレを思い出します。
西南戦争の最中、ドイツにいた青木周蔵が伊藤博文に宛てた手紙。

時に「バル」的芋賊ら、悔悟降伏の模様にもこれなく、日隅辺陲において引き続き抗戦罷り在り候由

バーバリアン的芋賊て。酷いな青木(大笑)

あと意外だなーと思ったのは、国会期成同盟。
結成地が大阪というのは知っていましたが、太融寺だったんですね。
びっくりー。梅田じゃん(正確には東梅田の辺り)
こちら、大坂夏の陣で敗れた淀君の御墓があるお寺です。



私擬憲法はスルースルースルー(^^ゞ
五日市、植木枝盛と交詢社位しか知らん(正に教科書レベル)。

明治14年の政変の辺りは書簡が多かった。
この辺りで中心になってくるのはやはり伊藤博文、井上毅、大隈重信、井上馨、板垣退助辺り。
毅は字が綺麗やったなー。書簡やのにほぼ漢字。流石…
元田永孚といい毅と言い、熊本って面白い人が多い。
あとこれが来てました。

・伊藤博文・井上馨宛 福沢諭吉書簡控(明治14年10月14日)
 


未来をひらく福澤諭吉展@大阪市立美術館」で紹介した、福澤諭吉が伊藤井上に出した詰問の控え。写真右の分です。

政変以前、福澤は伊藤井上より国会開設の話を聞き賛同、政府系新聞の発行を準備していたのですが、それが政変でダメになった。
「あなた方はこんな大事なことで今まで嘘を付いたことはないと言い、私はそれに大いに感動して賛成したのに、これはいったいどういう事だ」
そういう内容の書簡の控えです。
伊藤は返事も出さずにスルー。
井上はご丁寧に返事を返していますが(写真左M14/10/16)、
人情ハ日ニ軽薄にて時とシテハ合シ或は離ルゝハ生等不好処ニ御座候
こんな手紙来たら腹立つやろな~(笑)

自由民権運動激化もややスルー気味…
学校で教えられる近代って(というか歴史の授業って)本当に単発で細切れですよね。連続性がない。(てか近代殆ど教えて貰ってない)
明治15年から19年頃にかけて、なぜ民権運動が激化して行ったのか。
その経過を見る時はいつも思います。
憲法制定や議会制定の方向に政治が向かって行き民権運動の目的が薄くなっていったこと、板垣退助の洋行、西南戦戦争後の不況(松方デフレ)…
まあ大阪事件、福島事件加波山事件高田事件なんだかんだとあっちこっちで事件が起るわけですが、一番大規模だったのが秩父困民党事件かな?
こちら、警察では間に合わず東京鎮台が出ています。
確か4・5年前に緒方直人主演で「草の乱」という映画になってました。
単館上映レベルだったと思うので私は見ていないんですが、レンタル屋で置いてあるのか…
よく出来た映画だったという話は聞いたのですが。
あと何度かブログでも触れている個人的超おススメNHK大河「獅子の時代」も最後は困民党の話ですね。

・井上馨宛山縣有朋書簡(M17年11月3日)



見辛いですが。右ページ、2段目の書簡です。
困民党の蜂起を警察では抑えきれないので、当時内務卿であった山縣に埼玉県より憲兵隊を出してくれという要請が来たそうです。
こちらの書簡では
警部巡査数十名引率一昨発途 …
と警察が数十人出張るも死傷者が出てといった様子が描かれていて随分大規模な蜂起であった事が知られます。
処罰された人が確か1万人を越えてたんで(記憶曖昧)、相当な参加者だったんでは?
埼玉県小書記官の史料にも出ていましたが
尋常一揆ノ類ニアラサルヘシ
という認識、これは政府内でも同じであったようで、西南戦争後に起きた”反乱”という見方がされていたようです。
まあ万を超える武装蜂起者数、軍隊が出るという時点で尋常ではないですよね。


続きます。


>なかむらきりのさん
行かれましたか~!近いっていいですね(羨)
ああいう所のパネル類はまず無理ですよ(笑)恐らく当分廃棄もしないと思われます。そういう時はせめて写真を!でしょうか…
でもそれもダメそうかな~


>12:27 私も同じ日に ~の方
おおっと!午前中ならすれ違っている可能性大です(笑)小学生にウザがられながらがりがりノート書いてたおなごを見かけてらしたらそれが私です(^^ゞ
流石に良い展示会でしたね!出ている物が凄いし構成も良かったです。
和カフェ情報、ありがとうございましたvいつもは中国・台湾茶カフェかチョコレート優先で選ぶんですが今回は本当にちょっと(涙…
ご紹介いただいたカフェ台湾茶も美味しそうですし、行く機会があったらぜひ♪



今日AM5時頃から1・2時間程、メンテナンスでウェブ拍手が利用不可であったようです。
その間にメッセージ等頂いていましたら届いておりませんので、御面倒ですが再送お願いします。大丈夫だと思うけど…


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