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移転しました(2014/1/1)

上泉徳弥から財部彪へ

2013-04-09 | ヒストリ:広瀬武夫

以前名前を出した末永節については『続対支回顧録』(明治百年史叢書)の下巻の列伝で調べました。
ここには名前を見たことがある人がちらほら載っていて、その中に上泉徳弥もいた。

上泉は慶応元(1965)年の生まれ。
米沢藩士の家で、家系を辿ると上泉伊勢守がいる。
マジか。
そりゃすげえ。(上泉伊勢守=剣聖上泉信綱。新陰流の開祖)

父親が学者で、門人に雲井龍雄がいます。
子供がおらず、雲井と門人の双璧をなしていたもうひとりを養子にした。
その後後妻を迎え、生まれたのが上泉徳弥です。
結構なお年の時に設けた子だったのではないかな~。何せ父は上泉の生前に亡くなっている。
そのため上泉は養子に来た義兄に育てられているのですが、この義兄がまた有名だったらしい。
上泉直蔵。
維新後は地元の教育者として過ごし、米沢聖人と称された篤行、人望のある人だったそうです。
戦前の米沢にはこの人に関係した上泉奨学金というのがあったらしいよ。
ググってみたら藤沢周平の小説『雲奔る』(雲井龍雄)に出ていることが分かった。
 

今まで何度か触れているけれど、上泉はエキセントリックなんだよねー。
こんな人私の周囲にいなくて良かったと思うようなエピソードがあっちにもーこっちにもー。
いや、でも悪い人ではない。多分。
国のことを思っての行動や、他人の非を糺す行動がエキセントリックなだけで。
しかしながら、話を聞くだけなら面白いけれど「お願い巻き込まないで」のタイプである事には違いない。笑

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/89/6d24cb8952c3848fedd01fe7730d9232.jpg?random=b12f4cf1ca506528d258d0a5935be7a1 カミイズミ・ザ・エキセントリック
 
海軍大臣の息子の海軍士官が薩摩風を吹かして威張り散らすのに腹を立てその士官の頭に放尿したり(…)、候補生の時には巡洋艦浪速に便乗した伊藤博文が艦橋で葉巻を吸っていたのを取り上げて大叱責したり。
当時伊藤博文首相ですよ^^; (※でもこの事に関しては伊藤が悪い)
なんちゅうかあんたも大概よと私は思うけど。
てゆーか、聖人に育てられたのにどうしてこんなことに。


日露戦争以前は開戦推進派とでもいうのか、早い内に戦争したい派、随分な右派で湖月会のメンバーでもありました。
湖月会は明治36年初夏ごろからの会合で、秋山真之、陸軍の井口省吾や田中義一、外務省の山座円次郎なども参加しています。
山座なんて酔っ払った挙句伊藤博文を暗殺しないと戦争出来ないイエー!とか気勢を上げて、それが伊藤の耳に入ってしまい大問題になったり。
そんな中で海軍の要路者から一番煙たがられたのが恐らく上泉かと。
上泉は当時軍令部副官でしたが、その仕事を同僚(←江頭さん)に押し付けて海相や軍令部長に「開戦しようぜ!」と説きまくっていた。
  
しかしながら36年4月末には山本権兵衛海相が、
「機先を制するため開戦の心算を悟られてはいけない。責任者外に秘密が漏れぬよう注意せよ。軽挙妄動は厳に慎しめ」
と、大雑把に言うとこうした内容の訓示を極秘で出していたんですね。
これは『参戦二十提督 日露大海戦を語る』にも出ている話ですが、本当に少数の人間にしか知らされていなかったようで。
軍令部長と鎮守府長官は知っていて、推測ですが、訓示が下りたのは軍令系統のトップ数人だったのではないかな。
何せ総務長官(次官)であった斎藤実でさえ知らなかった様子で、それなら上層部が何を考えているのかなんて一軍令部員が知っている訳がなく。

で、知らないから騒ぐ。エキセントリックなんで…
山本権兵衛宅には4回訪問、伊東祐享軍令部長、既に引退している樺山資紀にも早期開戦を説きに行き、ついに伊東軍令部長マジギレ^^;

この餓鬼は、酔ッ払うといつでも屁理屈ばかりいつて、五月蠅くて仕様がない」(『参戦二十提督 日露大海戦を語る』)

この餓鬼は(笑)
 
いやーそりゃね、伊東は幕末からの猛者ですからね。
勝海舟の下、坂本龍馬と一緒に海軍塾だか海軍塾操練所だかにいて操船を習い、それを誇りにしていた人ですからね。
伊東からすれば上泉なんて正にガキで、小僧にもならなかったでしょう。
陸軍にも議論を吹っ掛けに行っていたようなので、状況をよく知る人間としては余計に腹立たしかったろう。

更に戦後、山本権兵衛からは
「貴様のようにぎゃあぎゃあ言って歩いては戦争なんかできない。ごく秘密に、知らん顔をしていて、ぼかんとやらないととても勝てるものではない」
日露戦争前の苦心は一通りではなかった。
そう言われている。
上泉はこの一連のことを振り返って「親の心子知らず」と評しているけれど、本当にその通りだわ…

この極秘訓示の存在を知ったのは、上村の回想からして昭和に入ってからだと思われます。
面白いのは陸軍でも同じような話があること。
日露戦争の当時、参謀総長は山縣有朋で、次長が長岡外史でした。
山縣は性格もあると思うのだけれど、戦時の高等政策については長岡には片言隻句も洩らさなかったと言います。
金子堅太郎がアメリカでルーズベルト大統領に会っていた事さえ、長岡は知らなかった。

知ったのは戦後20年経ってから。 (※大正15年)


   
山縣は信用できる人間とそうでない人間を峻別する。
何年か様子を見て、これなら大丈夫と思った人間には聞く方が初めは驚くほどの情報を話すのだけれど、そこまで行かない人間には何も話さない。
長岡は、多分あまり信用されてなかった……んじゃない、か……orz

ちなみに上泉が陸軍にねじ込んだ当時の参謀本部の次長は田村怡与造でした。
戦前の陸海軍の連絡という点からすると、まあ、なんちゅーか、色々問題があったらしい。

財部彪が常備艦隊の参謀であった時に電報の取扱い方に問題がある事に気付き、これは改善しないと戦争が起った時に困ると逓信省と陸軍省とで軍事の緊急電報取扱いについての内規を定めようとしたことがある。
問題というのは、当時普通電と緊急電が一緒に取り扱われていたというもの。
緊急なのに普通電が優先されたりして緊急電の遅延が目立つため、それをなんとかしようと。
 
ところが、あれこれ詰めてさあもう一息、という所で田村次長が大反対、結局陸軍抜きでその内規が定まった。
そしてそのまま戦争が起って陸軍自身が困ることに…
 
こういうことが度々あったのか、何かにつけて「我が陸軍は」のMeismで、陸軍と交渉する必要があった人は、ありゃ大分苦労してますな。
 
(※海軍がそうでなかったということではありませんので悪しからず。海軍の中の人から見た陸軍は自己中で大変頭が固い組織である…)

続くよ!
  
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10 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2013-04-11 11:11:10
田村の急死の理由が、エキセントリックさんと思えてきてしまいました(笑)

田村『初戦はA、Bの港から上陸すれば、こっそり行け…』

上泉『開戦しよ~ぜ~A、Bからいって、ドーンだ!』

田村『ちょ…また練り直し…』

ではないですよね?
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ご無沙汰しています (弥生です)
2013-04-13 06:39:08
覚えていますか?弥生です。
約2年ぶりになります。兵庫県淡路市で
震度6の地震があったとニュースで知りました。
大丈夫ですか?
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御無事ですか? (MV)
2013-04-13 06:59:44
兵庫で地震とのこと。

ヒジハラさんも、ヒジハラさんのご家族ご友人も、皆さんご無事でありますように。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-04-13 09:16:35
ではないです、流石に^^;
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>弥生さん (ヒジハラ)
2013-04-13 09:19:26
お久しぶりです!勿論覚えていますよ!
お元気でいらっしゃいましたか?
 
地震、こちらは大丈夫です。
久しぶりに強く揺れて驚きましたが、揺れただけですみました。
ご心配頂いてありがとうございます。
御心遣いが嬉しいです…
返信する
>MVさん (ヒジハラ)
2013-04-13 10:59:52
ご心配頂いてありがとうございます。
久しぶりの大きめの揺れでしたが、特に何もなくすみました。

犬の散歩の準備をしている時、緊急速報のエリアメールと同時に地震が来て驚きました。
普段音を切っているので大きな音に本当にびっくりしました
淡路島が大変そうで気の毒です…
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Unknown (ジゴロウ)
2013-04-13 12:08:14
すでに書かれている方がいますが、地震があったようですが、皆様ご無事でなによりです。

二次被害など、気をつけてお過ごしください。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-04-13 22:18:00
ご心配頂いてありがとうございます。
大きめの揺れは久しぶりだったので本当に驚きました。
二次被害、そうですね。
暫くは警戒しないと、ですね。
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覚えていて頂き、嬉しいです (弥生です)
2013-04-15 20:35:09
地震の件。ご無事でホッとしました。2年前の震災の際に、土原さんや常連さんたちの互いを気遣うコメントや
土原さんとのメールでのやり取りのお陰で、気持ちが落ち着きました。感謝しています。
この2年間は、歴史から離れていましたが、元気に暮らしていましたo(^▽^)o(たまにですが、ブログを覗かせて頂いていました…)
自分なりに歴史の勉強を初めたので、以前の様にブログを覗かせて頂きますので、よろしくお願いします。
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>弥生さん (ヒジハラ)
2013-04-16 06:31:46
勿論ですよ!あれからどうされているかなと思っていたので、お元気と伺ってすごく嬉しいです。
本当にコメント頂いてありがとうございます。
ブログは更新したりしなかったり、以前と同じくぼちぼちやってます^^;
お気楽に覗きに来て下さい^^
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