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移転しました(2014/1/1)

厨川柵2@盛岡

2008-07-17 | 歴史の小旅
※サイトの史跡ページに改訂版を載せました※
さてさて。先日は厨川柵の擬定地、天昌寺を見てみました。今回はそこからちょっくら歩きまする。


ピンクの所が天昌寺。今から行く所は黄色い所、敵見が森です。

 

ちょちょっと距離あるかな…20分位だと思います。
目の前に見えるJRの高架越えます。さらば天昌寺。
しっかしこの辺り…
歩いていて嬉しいのは歴史が地名に残っていることですな。

 前九年町!萌!

今回御紹介の敵見ヶ森も前九年町にあります。
さてーサクサク歩きます。暫くすると北上川にぶち当たります。
上記地図でも分かるかと思いますが、そこで道がいくつかに分岐している。
右に行けば盛岡駅、左に行けば柵跡になります。
柵跡に行くには坂道を登らないといけません。急いでる時はちょっとつらい。
先日、厨川柵は「川岸が10mほど切り立った絶壁」という事を書きましたが、実際に歩いてみると成程な、と思います。
そして見えてくるのが

 敵見ヶ森

森と言いつつ、実際には木が密集しているだけっぽい…とか言っちゃだめです(笑)
しかしながら大木なので、遠くから見てもかなり目立っている。
目の前に前九年郵便局もあるので迷う事もないかと思われます。

 

神社になっています。
敵陣が対岸に迫っていた時、安倍貞任がこの付近に丘を作り、櫓を構えて敵の動向を監視させたというのが地元の伝承のようです。
また敵味方数多の兵士が亡くなった激戦地でもある事から、土地の人々が祠を建ててその霊を弔ったとのこと。
敵見ヶ森稲荷神社といいます。

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