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2010-05-14 | ヒストリ:広瀬武夫

■サイト更新 「The Lovely Eventful Days 7」

更新です。広瀬武夫創作の続き。
はいはい。展開早いですYO!もう日本に帰る算段ですYO!(笑)
以前も書きましたが今回の創作は公文書に合わせてものですので、その通りに内容が推移してきます。
そのせいもあるのか、登場人物だけはやたら多いシリーズになってます。
創作ではもう二度と出てこないだろうなと思う人が結構…(笑)
まあ、今回は内容に関しては特にブログでも書く事は無い感じなのですが、それではそっけないので。

6話では露国公使付海軍武官は八代六郎、更に同話の引きで後任野元綱明と書きました。
7話の頃には更に交代しておりまして、酒井忠利大佐となります。
前回更新の「公文書にみる広瀬武夫」でもちょろっと書きましたので、既に読まれた方もおられるかと思いますが、この公使付武官、ひっじょ~に誤解が多いです。

広瀬武夫は公使付武官だと思っている方がとっても多い。
本を書いてらっしゃる方でも間違っておられる方がとても多いです。
序列から言うとこうなります。

公使付武官 ― 駐在員 ― 留学生

例えば明治32年に加藤寛治がロシアにやってきた頃の露国メンバーを当てはめてみると

公使付武官 ― 駐在員   ― 留学生
野元綱明  ― 広瀬武夫 ― 加藤寛治

こうなります。
公(大)使付武官は大佐クラス。駐在員と留学生は中佐~少佐クラス。
公(大)使付武官は公使の補佐官という立場もあり、外交特権を付与されていました。
言ってみれば軍人であるけれども外交官でもあるという2重の地位を持っている結構重い立場です。
更に現地の駐在員と留学生の取締り・監督官も兼ねています。
なので広瀬と加藤の上司は公使付武官ということになります。
また前後の状況を見ていると留学生は大体1年で駐在員に格上げになっていたようですね。

八代が帰朝する際、広瀬を後任の公使付武官とする積りで本国に打診し、またそれとなくロシア人の知人に引き合わせたりしていたようです。
そしてそれを本人に打ち明けた所、豈図らんや、本人が大反対(笑)
できませんの一点張り → 大喧嘩。
結局やって来たのが野元になります。
野元としてはこれが2度目の露国駐在で、どうもあまり喜ばしくは感じていなかったようです。
野元が就任して暫くは広瀬との仲もあまりしっくりいってかなかったようなのですが…(これは広瀬書簡に愚痴があります)

広瀬側から言うと、野元は兄と慕い良くも悪くも慣れた八代の後任。
表に出さなくても、ふたりの上司を比較してしまうこともあったと思います。
八代さんだったらこうなのに、と。

野元から見ると、余り歓迎していない2度目の露国勤務。
しかも広瀬が断った露国公使付武官としての赴任ですよ。
…あまり面白くなかったんじゃない?

性格の問題もあると思うのですが、最初の掛け合わせが悪かったんじゃないでしょうかね?

ただですねえ…
野元綱明氏、大正期に米内光政候補生が乗組んだ常盤の艦長さんをされていた時期がありまして。
そこで酷く米内しゃまをいじめていたそうなんですよねえ…
(これ見た時、なんやとー!広瀬に飽き足らず米内しゃままで!と私は思いました…)

そう思うと、上記に加えてもしかしてただの意地悪だったという線もあるのかなーと(^^ゞ

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