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移転しました(2014/1/1)

蘆花夫婦の話

2011-08-22 | ヒストリ:近代MTS

昨日徳冨蘆花の話が出たので。
と言っても蘆花について大して知らないので、まあ適当に流して下され。
 
この人の本、暗いよね…(第一声がそれか)
いや、本当にそういうイメージしか無いの。ごめん。笑。
蘆花の作品の中には『灰燼』という凄く短い小説があって、それが西南戦争の話になります。
丁度昨日まで書いていた可愛嶽突囲の所から始まる。
薩軍メンバーの話なのかと言われたらそれは違いまして、家族から薩軍に参加した兵士を出した一家が崩壊する話になります。
本当にそれだけ。
なんというか、まあ救い難い。

代表作のひとつは『不如帰』ですが、このモデルが大山巌の娘信子になります。
大山信子は鬼県令と呼ばれた三島通庸の長男と結婚したのですが、結核に罹り離縁されてしまう。
大山巌、山川捨松夫妻はこれを非常に憤ったそうで、信子を家に戻し、特に捨松夫人が献身的に看病したそうです。
しかし残念ながら信子さんは20才程で亡くなってしまう。
当時の結核と言えば、死を宣告されたのと同じですからねえ…
葬儀の際、三島家から生花を献花されるも突っ返したと言いますから、大山家としては相当な怒りだったのでしょう。
というか、相当可愛がっていたんだと思います。
 
徳冨蘆花の妻、愛子夫人の追想録(題忘れた)によると、夫妻が静養に出かけた先の旅館で、ある女性と同宿になった。
この女性の旦那が大山巌の副官で、それで色々と大山家の事情を知っていたらしい。
それを旅先でぺらぺらと…(恐ろしい…)
愛子夫人は山川捨松の姉と知り合いで、その縁で信子と会った事があったため、話を聞きながら同情心が押さえきれなかったそうで。
ただ蘆花はその輪には入らず、柱に凭れかかって少し離れた所で聞いていたようですが、突然、
「これだ、これを小説にしよう」
というインスピレーションが。

モデルは大山家、三島家ですが、小説は実際あった話とは若干変わっていて、要するに山川捨松が悪者になっている。
帰ってきた娘をいびる継母。
実際はそうではなかったのですが、小説が本当だと信じた読者が山川捨松を嫌った。
随分誹謗中傷されたようで、捨松はこの風評被害で亡くなる迄苦しむ事になります。
気の毒過ぎる。

愛子夫人の追想録では、モデルにしただけで話は殆ど蘆花と夫人の創造の産物、と言う事でしたが、
そんな事は一般読者には関係ないわけで、というか多分あまり知らない訳で、
傷付けた方は「気の毒な事をしました」の一言で終わるんか、という何だか酷く後味の悪い感想を持ってしまう話であります。

徳冨蘆花は明治元(1868)年の生まれ。
え、そうなんだ。と初めて見た時は思った。
だってこの人、私の知っている明治元年生まれと違いすぎる(笑)
元年生まれと言う事は広瀬武夫、秋山真之と同い年なんですよ。

熊本県人で幼少期は水俣、熊本で過ごしている。
ということは、これまた同年生まれの石光真清と顔見知りかもしれない(熊本市生)。
調べてみないと分からない。
父親が横井小楠系列なので、ありうるなあ…
秋山、広瀬、石光は軍人ですが、蘆花は新聞記者だったり小説を書いたり、要するに文筆業です。
そして一家あげてのクリスチャンでもある。
 
蘆花は若い頃に京都に出て新島襄の同志社に学びます。
その時に熱烈な恋に落ちる。
相手は山本覚馬(同志社創立者のひとり)の娘の久栄。
ただこれは実りませんで、後に愛子と結婚するのですが、この恋愛が結構尾を引いていたらしい。
愛子は結婚当時は田舎に育った当時の一般的な(控えめで従順な)女性ですので、蘆花からすれば山本久栄の後では相当物足りなかったのだと思います。
全然情熱的じゃない!笑。
 
この時代ですので、当然ながら旦那の大所帯の中に奥さんが入っていくわけですが、そんなこんなでまずふたりきりの時間がない。
両親にも兄(徳冨蘇峰)にも気に入られ、彼らがそれとなく愛子さんを家風に沿うよう指導していこうとすると、蘆花にはそれがまた気に入らない。
兄には親に対するように接しなさいと言われていたから、ある時ネクタイを結んであげたら殴られた。
義兄のネクタイをと言うのはちょっとやり過ぎかな~…と思いますが、殴る事はない…(TT
て言うか、蘇峰結婚してなかったん?(スイマセンよく知らない)

要するにアレです。
蘆花は愛子に自分だけを見ていて欲しい。自分だけを愛して欲しいのにそれが全然伝わらない!
ていうか無茶言うな!明治だぞ!大家族だぞ!
そして嫉妬に駆られてDVに走る。
愛子も何でこんなことになるのか全然分からなかったようで、本当に困惑するばかりだったようです。
というか、蘆花、随分今風ですよね。

まあ、DVは結構酷かったようです…
周りがあんな虐待によく堪えられるね、とか、話を聞いた実家が怒って離縁させようともした。
けれどもそれだけは嫌と頑と言い張って、死ぬまで連れ添った。
(多分DVは若いころだけで終わったんじゃないかと思いますが)

まあ、若い頃はこんな感じだったものの、お互いの気持ちを隠さない夫婦で、結構喧嘩もしてたようですね。
ふたりが明治生まれだと思うと、ちょっと新鮮な感じがしますなあ。
 
そんな晩年、蘆花が山本久栄との話を文章に起こして発表しようとした。
その原稿を読んだ愛子は、まあ…、ちょっと堪えられなかったんですね……
こいつまだ山本久栄が好きかと。
私は身体だけの関係かと。
そう受け止めたようです。妻としてのプライドが原文の発表を許さなかったと思われ候。
そこで蘆花に表現を変えるか、発表を止めるか、どちらかにしてくれと。
でも蘆花は頼むからそのまま発表させて欲しいと懇願した。
ただこの時は愛子も必死だったようで、
「分かりました、それなら私も覚悟があります」
そんな感じになり、
「発表するなら別れます(そして死んでやる)」(←マジ)
  
そこで蘆花も折れた。
原稿を全部愛子に与えて、あなたの好きにしなさいと。
この原稿どうしたんだったか、捨てたんだったか、燃やしたんだったか…確か処分されていたと思います。
肝心な所がうろ覚えで申し訳ない。笑。
『黒い目と茶色の目』という山本久栄のことを書いた話もあるのですが、これとはまた別物なのか。
本当にあれこれ分からんことばかりですいません。
なら書くなよ?ホントそうですね。すいません。
でも朝の15分とか30分のメロドラマにしたら面白いと思うよ、この夫婦。
    
 
何に驚くかと言われたら、これが広瀬と同年生まれの人間か、っちゅう所です。
いやあ、私は良くも悪くも明治を見る時の軸は広瀬武夫なんです。
つい広瀬(軍人世界)を中心にして見てしまうので、蘆花のような人を見ると、こんな人いたんだ!と思ってしまう。
詳しくは知らなくても、かなり鮮烈な印象が頭にインプットされてます。

蘆花の場合はちょっと特殊例かもしれませんが、近代はがちがちの家族制度に固められたイメージがありますので、こういうのを見るとなんというか、うん、まあ、不思議ですな…
色んな家族の形があるなあと。
  
 
(愛子夫人の追想の原文が今手元にない事が悔やまれるorz 日本何とか全集の徳冨蘆花の巻に載っていた、蘆花死後の追想録です)


※追記(2013/12)
 
蘆花夫婦に関しては『蘆花の妻、愛子―阿修羅のごとき夫なれど』という本があります。
さらーっと読みましたが…なんというか、常人には理解しがたい所のある色んな意味ですごい夫婦でした…
赤裸々過ぎてビビったorz 
蘆花が本当にすごすぎて、奥さんよくついて行けたな…


>greenさん (反転して下さい)
はじめまして!
市来さんですが、調べてみたら誕生地は南洲神社の近くのようですね。そう考えると桐野生誕地の吉野はちょっと離れすぎですか。
明治6年に帰鹿した後は清水町に屋敷を構えていたようで、地図を見てみたら、稲荷川を挟んで直線距離で大体300m位かと。近いと言えば近いかな?
あと、郎女様と仰る方は申しわけありません、存じません…歴史系のブログ/サイトで継続的に見ている所がないんですorzスイマセン…



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2 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2011-08-23 10:28:51
明治元年といえば、鬼貫こと鈴木貫太郎や夏目漱石、ニコライ2世もそうなんですよね。
岡田啓介も確かそう。

徳富蘆花を中心にたぐると、妙に會津に繋がるんですよね。

今風繋がりではないですが、久栄の叔母の八重子にしても、新島襄に好かれた理由が、勝ち気というか、あの当時に旦那を呼び捨てにしていたという…

それについて、蘇峰は『鵺』みたいと嫌ってたから、実っていても、蘆花が山本家から嫁を貰うのは厳しかったかもですね。

それと石光真清(熊本では、微妙にすれ違っていたと思います。)の子・貞清が、柴五郎の回想録記してますし。

脈絡ないコメントですいません
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2011-08-23 23:58:48
そうなんですよ。
あの辺りの人は大体明治元年前後の生まれですし、海兵15期には多いですね。
とはいえ、つい『坂の上の雲』を軸に=軍人を軸に見てしまうので、え、この人も?となってしまう。

蘆花は仰る通り不思議と会津との縁がありますねえ。山本覚馬も会津ですし。

石光真清は青年期、柴五郎に一時期預けられていましたから、余計ですね。
柴との縁は、彼が元々石光の叔父野田豁通(ひろみち)の書生であった所からです。
やんちゃが過ぎて、真面目にやれと言う事で、柴に預けられている。

野田の許には斎藤実も後藤新平も書生として入っていまして、不思議と東北と縁のある家族です。
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