爺のたわごと

毎日の世相やニュースで感じた事を、書きこみます。
別に学識あるわけで無く、ひがみや偏見もあるのでご容赦ください。

百田尚樹と村上春樹の読み比べ

2013-04-21 09:29:17 | 話題

本屋大賞になった百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」と村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み比べた。
どちらも今一番話題の本である。「海賊と呼ばれた男」は出光興産の創業者、出光佐三がモデルの小説。戦前から、戦後にかけての明治人の気骨のある男の立志伝である。
とにかく冒険小説を読むごとく、ハラハラドキドキの連続で、読みだしたら止められない。ただ百田尚樹氏の小説のいつものパターンだが、泣かせよう、感動させようと、誇張しすぎるのが気になる。
一方村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。中身を一切明かさないで、予約を取り、話題を盛り上げ、一気10万部もの本を売り上げるとは、世界的にも有名作家だからこそ出来る技だろう。
天の邪鬼の爺はそんな手に乗せられてたまるか!と無視しようとしてたが、本屋さんに行ったら、その本が山積みされてて、ついいつの間にか、手に取りレジに向かっていた。
正直言って、村上春樹氏の小説は、爺の好みでないと、食わず嫌いで、一度も読んだことが無い。
読み始めは、先入観からか、哲学的な話に眠気を模様してたが、読み進む内に、ドンドン引き込まれ、あっという間に読んでしまった。
内容は、「多崎つくる」という男の心の彷徨で、村上文学の独特の文脈で綴られてる。あまり内容はバラサナイ方が良いと思うので、この程度にしておく。
この二つの作品を読み比べてみると、音楽に例えるなら、百田尚樹の「海賊と呼ばれた男」は演歌で、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はクラシック音楽というところか?
要は好みの問題だ。爺は「海賊と呼ばれた男」の方が、快食、快便の後のようなすっきりした気持ちになった。