朝日新聞劇評で冷たく突き放されたような扱いを受けていた、この舞台。
「どこに向かおうとしているのか分からない」みたいな書き方はちょっとキツイのでは? と思いつつ出かけると
評者の思いも、さもありなん……。
前日に、仁左さまの圧巻の舞台を観ていたからではありません。
先ずふざけ過ぎ。
勘九郎にしても獅童にしても渋谷の若者が喧嘩でもしているかのような乱暴な言葉づかいで、
そうした会話の応酬が延々と続いてけたたましく、非常に聞き苦しい。
あまりにも現代的な話し言葉が多いため、たまに歌舞伎の型や台詞が出てくるとそちらのほうが喜劇的に映る有り様。
BSテレ東の「まったり鈴之助」で羽目を外すのとは訳が違います。
松也君だって、歌舞伎では新作に出てもおふざけはありませんから。
もともと勘九郎は真面目な芸風で楷書の演技をする実力のある役者だと思っているので、
ここまで騒々しいと「無理してる感」さえ漂ってきます。
「女方の型から外れている」と評されていた七之助はどこをそう言われたのかと見ていると、
おそらくラストの立ち回りシーンではないでしょうか。
男が女になりすます「三人吉三」のお嬢吉三と違い、ここでは本物の女という役柄なのに
立ち回りの動きは男でした……。
お父さんの勘三郎丈の創作歌舞伎も敬遠していた私ですが、それは「才能の浪費」だと
思わずにいられなかったから。
こんなに舞台に出ずっぱりで体を壊さなきゃいいけど、新作や創作をやる時間があったら
休養なさったらいいのにと心配してたら早世されました。
ただ、勘三郎丈は自身も楽しみ、歌舞伎に馴染みのない人にも楽しんでほしいと
歌舞伎の間口を広くするために歌舞伎と無関係の脚本家や演出家、俳優を起用して
何とか舞台を盛り上げようと頑張ってこられたのだと思います。
勘九郎ももちろん、その思いを引き継いで必死に勤めているのは十分伝わってきますが、
お父さんとはキャラクターが全く違う。
むしろ無骨で不器用(演技ではなく性格が)な雰囲気で、痛々しささえ感じてしまうのです。
楽しみに行っているのにそれでは、あまりに哀しい。
全員が歌舞伎の型を破るというより無視して演じているように思えたなか、救いは扇雀さん。
彼も勘三郎丈ご存命のときは、コクーン歌舞伎で高い身体能力を駆使して
弾けた強烈な演技をしていましたが、今回は押さえの役どころに徹して上品でした。
扇雀@久助は、前半では後に天日坊と称する勘九郎@法策に対して慈愛に満ちた様子で実の兄のように接します。
終盤にさしかかると詮議のお役のために下男・久作にやつしていたのが一転、
立派な衣装を身につけて格調高く登場しました。
そこでも、悪にどっぷり浸かった天日坊に対するまなざしはどこか優しく、
実生活でも中村屋兄弟を温かく見守る様子が漂い一人、美しい存在感を放っていました。
喜寿を越えた仁左衛門が毎月、本舞台に立って過酷なお役を命を削るようにして勤めている今、
本当にこれでいいのかなと疑問に思えてなりません。
コクーンで若者開拓という狙いもあるのでしょうが、三階バルコニー席から下を眺めると
白髪頭や杖を持つ人、中高年男女の姿ばかりが目につきました。
こんなことを続けていたら以前からの歌舞伎ファンから見放されてしまうのではと、
勝手に危機感を抱いた次第。
歌舞伎座も完売になるのは仁左玉の舞台ばかりで、いつまでもお二人に頼っていていいのかなぁと
歌舞伎を愛する私としては気になって仕方ありません。
勘九郎も七之助も力のある素晴らしい役者なので、本来のフィールドでの活躍を願っています。
2月26日千穐楽。