正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

生活を煩わす「煩悩」

2005-11-21 | 手引書④

 「煩悩」とは、私達の身心に一生涯付きまとう煩わしいものであり、生活の中で共に付き合っているわけです。私達の心を思い煩わせ悩ませる存在が「煩悩」です。御本尊様に御題目を唱えれば、「煩悩」が薪となって私達の生活を明るく照らします。『御義口伝』に、
 「今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは生死の闇を晴らして涅槃の智火明了(みょうりょう)なり。生死即涅槃と開覚するを「照は則ち闇(やみ)生ぜず」と云ふなり。煩悩の薪(たきぎ)を焼いて菩提の慧火(えか)現前(げんぜん)するなり。煩悩即菩提と開覚するを『焼は則ち物生ぜす』とは云ふなり。爰を以て之を案ずるに、陳如(じんにょ)は我等法華経の行者の煩悩即菩提・生死即涅槃を顕はしたり云云」(御書1721)
と仰せの如く、煩悩の扱い方次第で悟りが開かれるのであります。
 「煩悩」という意味は、衆生の心身をわずらわし悩ませる一切の妄念。貪・瞋・癡・慢・疑・見を根本としますが、その種類は多く、「百八煩悩」「八万四千の煩悩」などといわれています。「八万四千の聖教」という言葉がありますが、釈尊が説かれた経典の全てであり、一つ一つの煩悩について全て解決方法を説かれたものです。その究極の教えが「南無妙法蓮華経」であります。
 「煩悩」に身心が害されると、気持ちが平常心を失い、冷静さがなくなり、落ち着きもなくなります。ある縁によって「煩悩」は生まれます。またその縁と自分自身が持ち合わせている、考えや思想によって「煩悩」は生まれます。故に性格的な「好き嫌い」などの感情に大きな原因があります。この感情を完全に無くせば問題はありませんが、実際問題そう言うわけにはまいりません。
 世の中の人は、この「煩悩」の扱い方に迷い振り回されていると言っても過言ではありません。日蓮正宗の信心は「煩悩」をよりよい方向に、生活が快適になるよう取り扱っていくものです。人間が苦しむ原因は「煩悩」があるからです。「煩悩」は残念ながら完全に無くすことが出来ません。「煩悩」を完全になくしてしまえば、この身を殺し死ななければなりません。これでは小乗教の灰身滅智になってしまいます。大乗教である法華経の考えは、完全に滅するのではなく、正しい「煩悩」の取り扱い方法が説かれているわけです。
 世の中には使い方一つで良くも悪くもなる事柄が多くあります。「煩悩」もこの理屈と同じように、悪く考えるから「煩悩」として存在するのであり、良い方向性に考えを向けることで「煩悩」という存在が「菩提」に変わってしまうのであります。それが日蓮大聖人が説かれる教え「煩悩即菩提」という考え方です。
 「煩悩」をよく火に譬えられますが、火も扱い方次第で生活を快適にしますし、一歩間違えると、火事を引き起こし生活を全て失う可能性を持っています。「煩悩」もこの理屈と同じです。
 御本尊様に向かって御題目を唱えるところに「煩悩」の正しい扱いと生活を快適にする方法が見出せるのであります。勤行唱題は、「煩悩」という心に燃え盛る火を、御本尊様から智慧を頂いて大事に至らないよう解決させて頂き、「煩悩」をもって生活を楽しくし幸せにします。