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中国史・現代中国関係のブログ

現代中国における社会福祉の学術思想序説

2011-12-10 08:16:03 | Weblog
畢天雲「現代中国における社会福祉の学術思想序説」『学術探索』2011 年6 月
http://www.sociology2010.cass.cn/upload/2011/11/d20111128100519500.pdf


1 中国社会福祉価値理念論

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2 社会福祉発展目標論

 社会福祉の発展目標は中国社会建設の中の重大問題であり、中国共産党が第17回全国代表大会(2007年)で「民生の改善を重点とする社会建設の推進を加速させる」ことを提示した後、学術界ではこれに対する熱気に満ちた議論が展開され、「中国福祉社会論」が提示されている。

(1)中国福祉社会概念の提出
 2007年以来、中央から地方まで明らかに社会福祉システムの建設のプロセスが加速し、新しい社会福祉政策が次々と登場し、社会福祉の投入は年を追って増え、社会福祉がカバーする範囲は日に日に拡大し、都市と農村を統合する社会福祉システムがまさに形成されつつあり、「中国福祉社会」の概念がこの機運に乗って生まれている。2008年1月に、徐道穏は「発展型社会政策で発展型福祉社会を構築する」(『深圳大学学報』2008[ 1])という一文の中で、「発展型福祉社会」の概念を提示し、2008 年10月には、鄭功成が『中国社会保障改革と発展戦略———理念、目標と行動方法』(人民出版社、2008年)という本で「中国の特色ある社会主義福祉社会」の概念を提示し(42頁)、劉継同が「社会福祉制度の戦略の上昇と中国の特色ある福祉社会の構築」(『東嶽論叢』2009[ 1])という文章で「中国の特色ある福祉社会」の概念を提示し、2009年3月には康新貴が「多元化する福祉社会――中国発展の道に対する探求」という文章で、「多元的福祉社会」の概念を提示し、2009年8月には景天魁らが「中国の特色ある福祉社会を建設する意義」(『社会科学論壇论坛』2、2009年)という文章で、「中国の特色ある福祉社会の建設は、中国の特色ある社会主義社会建設の遠い先の目標である」と提示している。

(2)中国福祉社会の基本的な意味
 筆者(畢天雲)が提案するのは、人々が「社会」概念を異なる意味で使用しているため、「中国福祉社会」もまず「社会」という言葉が定義する範囲を明確にすべきだということである。「社会」という言葉は、異なるレベルから解釈される。広義の社会は、「自然と社会」のように自然界に対する人類の共同体を指し、中義の社会は「経済と社会」のように経済に対する社会を指し、狭義の社会は経済、政治、文化に対する社会を指すものである。「中国福祉社会」のなかの「社会」概念は、おもに狭義の「社会」を指すものである。この意味において、中国福祉社会は実質的には中国の特色ある社会主義の社会形態を指すものであり、中国の特色ある社会主義の経済形態や政治形態、文化形態とは区別される。このように、「中国福祉社会」は「中国の特色ある社会主義社会」の一つの構成する部分にすぎない。筆者の考えでは、中国の特色ある社会主義の社会形態としての中国福祉社会は、人を根本として民政を重んじ、人民の福祉の増進を目的とする社会であり、それは三つのレベルの意味を含むものである(畢天雲「論中国特色福利社会」『雲南60 年――理論与実践刷新』雲南大学出版社、2009年、420-422頁)。
 第一に、人を根本とすることが中国福祉社会の「価値立脚点」であることである。社会発展の結果の最終的に、「物の蓄積」と「人の発展」という二つの点に体現されており、究極的な意味からいえば、「人を本とする」「物とを本とする」という二種類の価値選択に他ならない。「人を本とする」という価値選択を堅持することによってのみ、はじめて福祉社会を生み出すことができ、中国福祉社会となりうるのである。人を根本とすることを堅持することは、すべてを人民の根本の利益と要求から出発して、「物の蓄積」を手段として「人の発展」を目的とし、最も広範な人民の根本利益をよりよく実現、維持することに努力しなければならない、ということである。
 第二に、「民生を重んじる」ことは、中国福祉社会の「現実の出発点」であることである。「人を本とする」における人は、現実的で具体的な人であり、「人を本とする」というのは抽象的な理念に留まるものではなく、必ず「現実の人」の身の上に実行されなければならない。第17回全国代表大会では明確に、「民生の改善を重点とする社会建設の推進を加速させる」ことが提示され、「人を本とする」の実質は「民を本とする」に、「民を本とする」の基礎は「民生を重んじる」こととされた。ここにおいて、「人を本とする」という中国福祉社会が、「民生を重んじる社会」に具体的に転化したのである。民生の角度から見れば、中国福祉社会も全体人民の「学ぶ者には教育を、労働には所得を、病気には医療を、高齢者に養育を、住みたい者に住居を(学有所教、劳有所得、病有所医、老有所养、住有所居)」という社会として理解することできる。
 第三に、「人民の福祉の増進を目的とする」は、中国福祉社会の「最終的なゴール」である。これは社会主義の本質、社会主義の生産目的、党の根本的な主旨と執政理念によって決定されるものである。小平が語っているように、「社会主義の本質は、生産力の解放し、生産力の発展、搾取の消滅、両極分化の解消によって、最終的に共同富裕に到達すること」なのである(小平『小平文選』第三卷、人民出版社、1993年、373頁)。中国福祉社会の建設とは、全体の人民の共同富裕を実現し、社会主義の本質を堅持することの必然的な要求であり、必ず通るべき道なのである。社会主義の生産目的は、人民の日に日に増える物質的・文化的な需要を満たすためのものである。すなわち、中国福祉社会の建設を通じて、人民大衆の物質的・文化的な要求を満たし、中華民族の生活の質量を上昇させるものである。全身全霊で人民に奉仕することが党の根本主旨であり、「立党は公のため、執政は民のため」は党の執政理念であり、福祉社会を建設することは党の宗旨と理念の実現に有利である。

(3)中国福祉社会を建設する必要性
 景天魁らは二つの点から中国福祉社会建設の必要性を描き出している。第一に、福祉社会の建設は社会発展の必然であるということである。・・・第二に、福祉社会の建設は後代の人民大衆の現実的な要求だということである。・・・

(4)中国福祉社会建設の実行可能性
 筆者は、新中国成立から60年余りの発展を経て、中国が福祉社会を建設する条件は既に備わり、その時機はすでに成熟していると考えている(畢天雲「試論建設中国特色福利社会的可行性」『学術探索』[増刊]2009年)。
一つは、思想的な基礎である。中華民族には独特の福祉思想の淵源があり、自らの社会福祉思想を有している。たとえば、「人は、一人として、自分の親のみを親、自分の子のみを子としない。老人にはその生涯を終える所、壮年者には仕事をさせる所、幼年者には育つ所があり、矜(妻を亡くした男)、寡(夫を亡くした婦人)、孤(父母を亡くした子)、独(子の無き老人)、廃(不具者)、疾(病人)、これら皆を養う」という「大同社会」は、ずっと中華民族が孜々として求めてきた社会の理想である。毛沢東が唱える「全身全霊の人民のための奉仕」や、小平が掲げる「共同富裕」、江沢民の主張する「三つの代表」の重要思想、胡錦濤同志を総書記とした党中央の提出する科学発展観は、中国の特色ある福祉社会を建設するために提示された、確固とした理論的な基礎である。
 二つは経済的な条件である。60年あまりの発展を経て、我が国の経済的な実力は日増しに強まり、経済の総量は世界第二に躍進し、福祉社会のための堅実な経済的基礎を打ち立てた。
 三つには実践的な基礎である。中国の建設する福祉社会は「白紙に絵を描く(白手起家)」ものではなく、より現実の実践的な基礎を有している。60年あまりの建設を経て、我が国はすでに、主には就業保障制度、最低生活保障制度、養老福祉制度、健康福祉制度、教育福祉度と住房保障制度など、初歩的に都市と農村をカバーする福祉システムを築き上げている。
 四つには時機の成熟である。グローバルな金融危機の爆発は、中国が建設する福祉社会のための一つの非常により歴史的な「契機」を提供した。2008年後半以降、グローバル金融危機のマイナスの影響は、既に輪額の経済社会の生活のなかに次第に現れるようになっている。つまり、金融危機を背景とした保障と民政の改善の機会は、福祉社会を建設するまさにその時なのである。府福祉社会の建設を通じて、社会保障への投資を増加し、社会保障の能力を強化することは、全国人民の金融危機に対する対応と抵抗を強化していくだけではなく、人民大衆の消費心理指数を上昇させ、住民の家庭消費と国内需要を喚起し、中国経済の持続可能な発展が可能になるのである(景天魁・畢天雲「従小福利邁向大福利――中国特色福利制度的新階段」『理論前沿』2009年)。


3 中国社会福祉発展モデル論

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 畢天雲は1968年生まれの社会学者で、雲南師範大学に所属している。『社会福祉の場のハビトゥス―福祉文化民族性の実証研究』という題名の著書があるように、ブルデューの場の理論を用いて社会福祉の思想・文化を研究しているようである。

 ここで頻繁に語られる「中国に特色ある福祉社会」は、一見したところ1980年代の日本で隆盛した「日本型福祉社会」を思わせるが、そうではなく「中国の特色ある社会主義」と関連する概念である。要するに西欧型の福祉国家が、市場経済と私有財産制を基礎にし、階級対立を制度化するものであるのに対して、「中国福祉社会」はあくまで中国共産党の「社会主義」を基礎にしているというわけである。

 ただし、「中国に特色ある福祉社会」の具体的な内容を読んでみると、通常の西欧型の福祉国家に近い。「人を根本とする」というのも、失業や疾病に対する保障よりも教育や保育、職業訓練などの人的投資を重視するようになっているという、近年の福祉国家のトレンドに即したものであり、どこが「中国特色」なのかは、中国の古典や共産党指導者の概念や言葉を参照しているという以上の意味は正直よく理解できないところもある。畢天雲の他の文章を調べてみると、北欧型でもアメリカ型でもない、儒教文化的な「中庸の道」として「中国福祉社会」が説明されているが(http://www.chinaelections.org/newsinfo.asp?newsid=204245)、正直なところ内容空疎である。あくまで、中国共産党の政策イデオロギーの要請に応じて、それを「解説」したものと理解されるべきなのだろう。

 現状の中国が国際比較に堪え得るような「福祉国家」かどうかという問題をひとまず措くとすれば、古典的な「残余的/普遍的」という二分法的類型では残余的であり、エスピン-アンデルセンの「自由主義」「保守主義」「社民主義」の三類型では自由主義的な性格が強いことは、間違いないだろう。しかし、ここで語られている「中国に特色ある福祉社会」は、ほとんど普遍主義的かつ北欧型社民主義のそれである。事実、2000年代以降の中国共産党も、80年代の自由主義的社会保障改革の失敗の反省から、普遍主義的な方向の改革に転換していることは確かである。しかし、都市・農村および職種や地域・自治体ごとの制度的および給付水準の格差の問題や、農民工や貧農などの低所得層の保険加入のインセンティヴ低下(これに急激なインフレが拍車をかけている)の問題などが大きなハードルとなって、残余的自由主義の性格は基本的に改まっていない。

 本当に「中国に特色ある福祉社会」を確立していくのであれば、「日本型福祉社会」のイデオローグだった村上泰亮が高度成長期の日本の近代化の独自性を理論化したように、中国の近代化に関する独自の理論が必要になるだろう。ただ、そうした理論の登場は中国の経済成長が一段落するまで待たなければいけないかもしれない。