この日を指折り待ってた!ステキな和服姿で法政大学総長時代から日曜朝の報道番組のゲストの顔となっていた田中優子さん!江戸時代を研究する学者だ。引退後はいくつかの興味ある講座を開催、オンラインでも受講もあった。けど参加しいない。じかに接しての受講じゃないとミーハーの身は満足しないよ。
この日は市内で「江戸時代から見る差別の構造」と題した講演があった。
彼女がゲスト出演するときの日曜日の朝は首ったけ!優しいなで肩に趣味のいい和服が吸い付くように似合ってる。きっりとしたショートヘア。我ながらミーハーなふるまいではある。
会場には当然、前のほうの席を確保すべく早めに行くも、先には人、人・・・。でも控えデスクの斜め前の前から二番目の角をキープ。彼女が壇上に上がる前に座る席に近い!後ろを振り向くと老若男女がぎっしり。立姿も。完全にタレント人気だよ!
やがて彼女が現れ着席する。周囲を見渡す彼女から目を離さずにいると、遂にオババン女子の座ってる方向にお顔を向けた、ではないか!
とっさに頭を下げた!すると、なんと優子先生も会釈してくださったのだ❣ありがとうございます。
我思う。優子先生は、その日の着物の色半襟に、黄色を選んでいる!
暑さにウンザリでけど暦は秋。黄ばむ季節が来たから?それとも平和運動を女性の有識者たちと立ち上げた彼女はウクライナを想ってか?我知らず。ただ、その日のオババン女子のバッグは30x20センチの黄色!そのバッグが優子先生の目に飛び込んだのだとしか考えられん!黄色は超目立つからねえ。
憧れの田中優子先生さんと目が合った!こんなうれしいことありかあ・・・。年取ると出番が少なくなり華やぐ場もほぼほぼなく、ワクワクすること稀有。ホントに人生で何本かの指に残る記憶が刻まれたぜ。
開口一番、「50代頃から白髪が出始めて・・・」とシルバーに金色がかった髪に手をやりながら親しみやすい場作りをする。
彼女が江戸時代に深く魅かれ研究者の道を選んだ理由。生まれ育ったのは横浜の下町。そこが長屋だったことだと。優子先生の母はシングルマザーでお茶屋を営む母に育てられた。江戸時代は庶民はみんな長屋に暮らしお互い助けけ合って暮らしていたととぐらいは歴史にドンでも知ってるね。それが江戸時代研究の原点。
差別についての深く思い及ぶきっかけは、子供の頃にお婆さんから関東大震災混乱期に、朝鮮の人が刀で殺害されるのを目にした、と何度も聞かされたことのよう。詳しい内容の多彩な資料を用意され、質問にもわかりやすく答弁された。益々ファンになりました。暑さ乗り越えて吉日に!
あちこちで樹木伐採の話が出ている。手入れが無様な小さい庭だけど
野鳥が羽を休めてさえずる枇杷の木、椿の木が。周りの道沿いにはエゴノキや山茶花,むくげの花が目に楽しい。すぐそばに桜の大樹が何本もあり、大イチョウや小さい並木もある。
「省エネ、樹木の生き方・暮らし方」のタイトルが気になり、樹木医の
石井誠治先生の講演にも酷暑をものともせず?出かけたよ。
現物の草木を用意され、参加者が葉の手触りや小さな芽の付き具合などが確認できるように、それらが手から手へ渡る・・・。楽しい雰囲気は先生の人柄と豊富な講演歴と見るね。広葉樹は横に広がり針葉樹は上へ上へと生きていく。
日本を象徴する桜。若い枝を切ると樹皮の内側からあふれる透明な樹脂・ヤニは細菌やウイルスから木を守る、つまり人間のリンパ液と同じと知る。人間は手がベタベタになるから正月に松を生けるときにはしかめっ面しちゃってきたけどごめんなさい。
イチョウは漢字表記がみあたらない。銀杏の木など・・・。この木の神秘は明治時代の日本人によって明らかにされ世界に知られた。
イチョウには風媒花だ。花の色カタチは目立たず,鳥や蝶の手助けによらずに健気に生き残る❣
で4~5月に雌雄とも開花する。といっても葉の付け根に、雄は2,3㎝の穂、雌は小さい球。雄はサッサと風に乗って飛散する。この時に雌の珠に神秘をもたらす。雌の珠が大きくなった頃、樹液がじわじわと。飛んでった雄が残した精子が動き出し、やがてみんなが知るところの銀杏になる!銀杏の雌、これってシングルマザー的働きだよね、ビックリぽん❣
子育て真っ最中に横浜の山下公園近くの集合住宅に住んだ。海沿いの道はイチョウ並木で有名。もちろん銀杏が実る木もある。秋も深くなるころには待ってたホイと早朝に銀杏拾いに繰り出す輩がいる。ある年、子育て仲間のパパの一人がめちゃくちゃかぶれて目鼻口を出しただけの包帯グルグル巻きのお面になっていたっけ!もうすぐその季節到来。思い出し笑いこみ上げてくるよ・・・。
椿の葉や幹,枝がツルツルなのはなぜ?って知ってる?椿は大島や五島列島が名産地。すなわち塩害を避ける、小さな塩つぶをを寄せ付けないための自らの防御力だってさ。賢い!
文学少女じゃなかったけど、国木田独歩の「武蔵野」の名前は教科書でならった。そこには武蔵野の名前の関東平野の雑木林の美しさを賞賛してる。かたや大阪を中心とした関西は大阪湾の大海原の上に成り立ち、草木が繁る土壌ではない。里山と呼ぶような人家に近いところ雑木林などないことなどは、石井誠治先生の講座後に触発され、いろいろ調べた結果、わかったよ。
社会問題えぐったステキな名画、感動もの❣
シネコヤは月2、3回行く。移民問題がほっとけない、料理好き、でもあるので絶対に外せかったフランス映画。「ウイ シェフ!」。
孤児院で育ちそこで料理に興味を持った女の子がシェフに。30歳を過ぎた頃に移民の少年たちに自立支援で料理を教える仕事につく。キッチンの整理整頓から食事のサーブ、マナーまで手ほどきする。ときに畑に出向き農作業。収穫した野菜をその場で食べ、食材をリスペクトする・・・。やがて少年たちも目を輝かせ希望を持つ。そんななかで彼女は大きな料理コンテストに出場。見事に優勝!大金を得る。自分の店を持つうとも大事だけど彼らをプロのシェフに、育てるための調理学校開設に翻弄する・・・・。
主役の生い立ちにホロリ、移民の少年の未来を案じるけど、明るく勢いのある作品の仕上がりに拍手👏忘れられない映画の一本になったよ。

法政大学名誉教授・前総長 田中優子さん(立憲民主党阿部ともこ事務所主催の講演)

老若男女で会場は盛況

樹木医の石井誠治さん

シネコヤ上映のウィ、シェフ!の映画ポスター

最近飲んだ、イタリアのオーガニックジンジャーエール(黒ニンジン、多彩なスパイス、味わったことのない新鮮なおいしさにビックリ)

カッペリーニで作った自家製の冷製パスタ(しらす、シーチキン、大葉)

信州松川村の秋映え(酸味と甘みのバランスが良く味が濃い、美味。8個400円でゲット!)

名残の百日紅(コロナ前に強風で倒れた親のひこばえ)
それに、講演でも音楽会でも座席に座っているのは1時間が限界。この限界は身体的というより精神的なもののようです。
寂聴が90歳を越えても反戦や反核の集会に出ていたように、高齢者なれども社会的関心は失ってはいけないことは分かっているのですが。
東京までコンサートに行ける体力・気力羨ましいです。
確率としては死んでもおかしくありません。もちろん、統計なので明日死ぬかもしれませんし、100歳迄生きるかもしれません。どのように受け取るかは人それぞれでいいのですが、私は、明日死ぬという気持ちで生きたいと思っています。
1時間が限界といったのは、コメントに書きましたように主に精神的な問題です。状態は違いますが、小学生が50分(確か)授業にしているのは、それが精神的に限界だからでしょう。
田中優子氏についてはブログ記載の日曜日のTV番組で視聴するくらいですが、横浜ご出身とは知りませんでした。今夏8月下旬~9月初旬にたまたま、「かながわ県民センター」1F展示場で「戦争の加害パネル展」の特集展示で『関東大震災朝鮮人虐殺』の展示を見ましたので、田中優子氏の人間性形成にはあの事件に関するお祖母様からのお話が関わりがあったことに興味を覚えました。もしかしたら賢かった田中氏は、そのお話から長じて流言飛語や差別の恐さなどへ意識を高められたのかも、、、と勝手に想像しました。
世間の狭い私は、樹木医の石井誠治氏を存じ上げませんでしたが、個人的にイチョウの樹、葉が大好きでベランダにギンナンの実から20年以上育てた1m程の木があり毎年四季の変化を楽しみます。街路樹や神社の御神木の樹もありますが、イチョウの樹が関東大震災時や戦時下の空襲に耐えた、ということも有名ですね。
ちゃんと料理して栄養に気をつけているのは、さすがですね。
ウイ、シェフ!は見たかったけれど•••
シネコヤは大体1週間サイクルでしょうか、なかなか予定が合わなくて💦残念です😢