86と花咲け歌々同窓会

花咲け歌々同窓会と静高86期卒業生諸君!!好き勝手なこと書いていますが他意はありません。たかがブログ・・・・

フラワーバレンタイン!

2015-02-13 22:10:31 | 管理人と遊ぼう

さて、明日はいよいよ2月14日、バレンタインデーです。

上の派手な写真は、花業界が必死で盛り上げようとしている「フラワーバレンタイン」、

世界でも特殊なケースなのが我が国の女性から男性にチョコレートをプレゼントする習慣、

かなり少数派(国)です。


どういうわけか欧米のこういったものが日本に入ってくる時、必ずアレンジされてしまって、

本来とは変わってしまうものが多いようです。英語力なのでしょうか?


ブライダルブーケのマナーもそうです。日本以外の殆ど国がブライダルブーケは

男性から女性に贈るものとされていますが、日本では殆ど女性がご自分で用意してしまいます。

洋食を食べる時、フォークの背中にライスを乗せて食べるのも日本だけでしょう。

スパゲティを大さじの上でくるくるとフォークに巻きつけるのは食べやすくて、

あれは良いと思います。時には日本式にアレンジして良い場合もあります。


しかし、「男性から女性にプレゼント」が「女性から男性にプレゼント」に

変わってしまうのは、ブラジルのお寿司屋さんでチョコレートが寿司ネタとして

通ってしまうほどのびっくりです。



で、得意の「ウィキペディア」で調べてみました。


それによると、「日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については、判然としていない。」

が冒頭の答えでした。説はいろいろあります。


「神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説」

「メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹説」

「森永製菓説」

「ソニープラザ説」

様々な「説」があるようです。(↑「ウィキペディア」クリックでご確認ください)

昨年の今頃、半年あまりで撤退してしまった私の売り場のご近所の「タイ式マッサージ」店の

タイ人のお姉さんに「タイでもチョコレートで盛り上がるの?」って聞いたら「タイシタコトナイヨ。」とは

言っていましたが、タイも「男性から女性にお花を贈る」のが主流なのだそうです。

世界各国2/14は「男性から女性にお花をプレゼント」という国が圧倒的に多いようですね。

何故日本だけが女性→男性になってしまったんでしょう、ブライダルブーケもそうです。




フラワーバレンタインは生花店さんたちが中心になって盛り上げようってことらしいのです。

私も花屋の端くれ、もちろん頑張っていますが、今年も空振りっぽいですね。

それでもチョコレートに添えてくださる方は増えてきました。

しかし、男性は知らん顔ですね、日本で(バレンタインデーに)男性→女性に「お花」を

プレゼントなんて日は100年待っても来ないと思いますよ。ね。



チョコレートが集まらんヽ(`Д´)ノ

2015-02-12 10:05:58 | 管理人のぼやき

今日現在、まだ1個や。

20年前のピーク時でも20数個だから、大したことないけどね。

あまり頂いても(負け惜しみ)お返しが大変だ。


今週はスタートからウチのスタッフが病欠で参ったね、じいじは疲れるばかり。


ボンソ閉店以来、飲食店さん情報もめっきり減り、その新陳代謝もよくわからない。

唯一パサージュさんkoyahiさんのブログで近場の情報は確保しているのですが、

パサージュさんのブログもさる事ながらkoyahiさんの新しい方のブログが

なかなか面白い。どちらも、このブログの左のブックマークに入れてありますので、

わからなくなったら、そこからお入りください。



2人とも写真がとても上手で、ラーメンなどの“汁物”の油のテカリが

上手に撮れているので美味しそうです。文章力も私と違って上手なのですが

koyahiさんのルックスと文章が男っぽいかなと思っているところに、突然女性言葉のような

言葉回しが入り、面白いです。例えば「よくって」「・・・なんですもの」など

明治時代の女学生みたいです。ま、宇崎竜童さんも「♪ジルバがとっても

うま“くって”よ~」なんて言いましたが、お二人とも随所に流行言葉も取り入れ、

お若い女性たちに、ご自分の若さのアピールをしているようにもとれます。


koyahiさんの一番新しい記事では、浅間通りの有名なおでん屋さんに、最近

バナナマンや志村けんさんが本当のアポ無しで訪れていることを知りました。


こんな楽しい情報源があれば自分が動く必要が無くなっちゃいますよ、お花のお客様にも

退屈させないトークができます。(さも、自分が体験してきたような)

「クチコミ」の発信源となるわけですから、良いことかもしれません。



このブログの左の下の方の数字ご覧下さい。

例えば昨日1日だけで690人の方に「ご訪問」いただき、3,736回「閲覧」いただいているわけですよ。

大したもんでしょ~~



ありゃりゃりゃりゃ~~~~

2個めGE~~T!!

出掛けにこんなの渡されちゃいましたよ。



封筒の表書きには「チョコレート」



開けてみたら、メッセージと現金。2階の紳士服売り場で仰せの通り

ピンクのハート柄のトランクス2枚買ってきましたよ。










♪雀、目白、ロシヤ、野蛮国、クロバタキン・・・・

2015-02-11 12:18:30 | 管理人のぼやき
「上のタイトル」の前に「ちと寒すぎやせんか?」

私の人生で寒いな~と思ったのはこれで3回目。

1回目は小学校の登校時、これは1回と言うより、長い期間寒かった。

中堀全面に氷は張るわ刑務所の長~い塀による日陰も長~いわ、

そこに半ズボンの登校だし、これは寒かった。(昔、静岡の刑務所は

今の静岡文化会館のあたりにあったのさ)

その次、凍えそうに寒かったのが、大学のスケート&ゴルフ合宿。

ウチの大学はスキーも1週間合宿で(この時は寒さを感じなかった。白樺湖の

後ろの栂池とかいうところで3級以上取らないと卒業できない。)

スケートは富士急ハイランドだったと思うが、ホテルから出たら

寒さで手も足も動かない、それで私1人部屋に帰りサボり。

それ以来の寒さですね、本日も。バス停に5分以上立っていると寒いので、

ギリギリまで行かない。元々寒さには大変強い方なのですが、参ったね。


一昨日ブログを書いたあと驚きました。

静新夕刊の1面トップで特集として取り上げてたんだ、「満州」関係の話。

そして、産経新聞でも戦後70年経ってもどうしたこうしたで「イスラム国」絡みで

ツイッターが炎上で、本日も尾を引いているとか、憲法の問題ですね。





その昔、弱虫大和民族は、勇猛果敢な蒙古や中国・朝鮮に終われ

東南アジアの東の果てに追いやられて、大人しくアリのように集団で

行動を取っていましたが、あまりにも可哀想で神様が「知力を武器にしなさい」

と与えてくださいました。やがて地形の変動で四方が海に囲まれ、

もう、敵は攻めてこない、平和な国となりました。「知力」というものは

凄いものです。東大卒ですが静高卒では無い、Oさんという読売新聞の記者が

いまして、よく政治家の「囲み取材」がTVに映るとき、後ろ向きでペンを走らせて

いました。私と同じヘアスタイルの方でなので直ぐ分かりましたが、この方が

静岡支局時代、何時もいっていました。「ペンは剣より強し」

この方東京の方ですが、別れた奥さんが87期で静岡西武の社員でした。

高校時代、私がマークしていた隠れた美人だったのです。


話は変わって、私には3人の姉がおりまして、幼少時はいつもその姉たちと

遊んでおりました。途中から兄が「これではイカン!」と可愛い

弟がダメになってしまう、「強い子に\(○ `O´ ○)/トゥーー!!」の

作戦に出たわけですが。


「お手玉遊び」などもよくやりまして、その時の掛け声とかに面白いものが

ありました。正しくは覚えていませんでしたが、やたら「ロシアが野蛮な国だ」

のアピールのフレーズが出てきます。

http://www2.ocn.ne.jp/~happyman/mukasi.htm

↑これの79番をご覧下さい。

他のサイトでも

爺さんから聞いた「陸軍の、乃木さんが、凱旋す、進め、目白、ロシヤ、野蛮国、

くろばたきん、金玉、マグロフ、ふんどし、締めた、高じゃっぽ、ポンヤリ、

李鴻章のはげ頭~」こんなシリトリ歌知らないですよね。

こんなのがありましたが、

静岡では「すずめ、めじろ、ロシヤ、野蛮国、クロバタキン、金玉、マカロフ

ふんどし、しめた、高シャッポ、ポンヤリ、陸軍の、乃木さんが、凱旋す」

こんなシリトリだったと記憶しておりますが、ロシアの野蛮さは全国の子供たちにも

浸透していったわけです。


私が大学生の時に拝見させて頂いた、隣国の小学校1年生の教科書には

日本軍の悪口があちらにもこちらにも載っていました。子供に教えて

もらったのですが、1年坊主に「お前の国、悪いんだぞ~」と

言われてしまいました。摺りこみ学習ですね。

マナーのよいわが国ではそういったことは無かったと記憶しておりますが、

1人、アメリカの悪口ばかり言っている小学校の臨時の先生がいらっしゃいましたが、

この方、やがて校長先生になられたようです。



お手玉の歌というものもあります。これも姉たちが歌っていました。

♪1で談判破裂して 2・日露戦争始まった 3・さっさと逃げるはロシヤの兵

4・死んでも尽くすは日本の兵  5・5万の兵を引き連れて

6・6人残して皆殺し  7・7月8日の戦いに  8・ハルピンまでも攻め寄せて

9・クロパトキンの首を取り  10・東郷元帥万々歳


これになんと「新お手玉の歌」として、替え歌ができていたのです。

1・いきなりテポドン命中し 2・日本国中大騒ぎ 3・サッサと逃げるはアメリカ兵

4・死んでも目覚めぬ日本人 5・強姦・殺人大好きな 6.露・中・朝・韓連合軍

7・七里ガ浜(鎌倉の海岸)に上陸し 8・やっと反撃 自衛隊

9・「9条」見直し始めたが  10・とうとう日本は滅亡す



大人が作ったのか子供が作ったのかわかりませんが、凄いですね~~


一昨日と本日はこんな記事になってしまいましたが、偶然にも本日は

亡き父の誕生日でした。






昭和90年

2015-02-09 11:20:07 | 管理人のぼやき

今年は昭和で数えれば90年、世の中何もかも変わってしまいました。

この上ない便利なのは良いのですが、何でもスマホに撮り、瞬時に動画アップ、

本当に人々が望んでいるのでしょうか。

大きなお世話のような「便利」もあるような気がしてなりません。


個人的に16年前頃からどっぷりとハマってしまった、パソコンとネット社会。

私、ここ数年前から、拍車を掛けてえらい勉強家になっています。

中学生の頃からこれだけ勉強しておけば人生変わっていたのではと思うほど。

別に書物がその代わりだったんだから、本で勉強すれば同じことだったのですが、

大の読書嫌いでバカまっしぐらになってしまいました。


今、挽回に入ろうと日々努力をいたしておりますが、ウルトラマンのように

「ピコーン、ピコーン」と鳴り始め、「もう残り時間は少ないよ」と警告

されているようです。




前にも一度勉強しかかったのですが、自分が生まれる前のことなので、

分からないことが多く、父母は早々亡くなっていて、直接教えてくださる方が

いません。父と一緒に暮らしたのは15~6年間、母とは約40年間、父の訃報は

担任が伊丹先生の時、授業は「ショウジョウバエ」の研究家中村先生の時でした。

中村先生が私を廊下に連れ出し、小声で「お父さんが・・・・早く帰りなさい・・・」

と知らせてくれて、足早に時々ハンカチで涙を拭いながら、長谷通りから

堀端の正春堂という武道具屋さんの前、常葉学園の前、マルトパン、精華学園の前

を通り、当時鷹匠2丁目だった我が家に辿り着きました。


私の家は引揚者で父は復員兵、東条英機 に似た風貌で「鷹匠町の東条さん」

と呼ばれていたそうです。


むしろ風化させて知らなかったことにしておけばよかったものを、

「イスラム国」の一件で、そこまでの経緯は違うものの「満州国」に再び興味が沸き、

ネットを使えば父母も戦前生まれの兄姉は仕方が無いが、戦後生まれの

私を入れ残る3人には絶対に伝えようとしなかった、戦争の悲惨さ

凄惨さを大雑把に捉えることができるのではと、パソコンに向かいました。

日本の進撃に関わりがあった、東南アジアの国々の眉唾な作り事のような

話も知ることになりました。日本軍の「イスラム国」など比べ物にならない

残酷さ、これらは戦争と言う非常事態の中、人間を狂人にさせてしまい

殺戮の「善」も「悪」も判別がつかない状況の中で起こりえたことなので

何も申し上げられません。


母は平成元年に80幾つかで亡くなりましたが、それより10年ぐらい前頃から

ポツリポツリと引き上げる少し前のあたりのことを話してくれるようになりました。

「どこの家にも子供が沢山いて、全員は連れて帰れないので、満人に売ったんだよ、

満人は日本人は頭がいいから是非売ってくれと押し寄せてきた。それで

竹薮のあちらこちらで家族が大きな声で泣きながら抱き合って別れを惜しんで

本当にあんなに可哀想なことは無かった。」

そして、こんな話も・・・・

「日本の敗戦が決まった後、ロシア軍が攻めてきて、町中を戦車で

走り回るんだけど、満人達を平気でひき殺してくんだよ、夜はロシア兵が

ウオッカをラッパ飲みしながら、丸太んぼうに仕留めた虎を吊るし、大きな声で

歌を歌いながら歩いてるんだ、恐かったよ~~」


さらに、あまりにも人口が増えすぎた対策として、満人は些細な犯罪でも

即刻斬首処刑となり、自ら自分が埋められる穴を掘り、その前に正座させられ

日本兵は職務として淡々とその作業をこなしていったそうです。

「お父さんもやらされたと思うよ、何も言わなかったけど、昼間

何かあったな?という日は必ず大きな声で魘されるからわかる。」



もうこんなことを教え伝えてくれる方々は生きていても100歳を越えてしまい、

その生々しい話を少しだけ聞いた私もこの歳ですから、次の世代に

伝えるべきか、パソコンにお願いするか、もう忘れてしまおうかと

思っていた時の「イスラム国」事件でした。日本が70年も前に卒業してきた

ことがまだ繰り返されているということです。




やはり、ネットで見つけたものですが、確かご自身も引揚者だったと

思いますが、左翼の作家・森村誠一さんの「夕映えの殺意」に描写されています。

森村さんの小説の前の一説は引用です。


大日本帝国は満州(中国東北部)の農民から、土地を安い金額で半強制的に同意させ

買収しました。このため敗戦後現地の中国人から、残忍な仕返しを受けます。


日本の入植者の中には、半強制的に安い値段で取り上げた土地だという事を

知らない人もいました。 また自力で荒地を開拓して入植した方々もおられた事を、

日本人の名誉のために付け加えておきます。




しかし満州国崩壊後は、荒地を開拓した日本の入植者たちも、

中国人たちに殺されています。




「(だまして)武装解除させた裸の開拓民に(中国人の)暴徒は襲いかかった。

石を投げ、木槍で渡り合う抵抗も束の間、押し寄せる暴徒の前にもみ

潰(つぶ)された。 暴徒は無抵抗の女子供の区別なく、

まるでニワトリでも絞めるように殺していった。

鎌が草でも刈るように子供の首を切り落とす。鉈(なた)が女の頭に振り下ろされる。


あまりに突きまくったために先端が丸くなった木槍を、今度は棍棒(こんぼう)にして

振り回している暴徒。 いずれも返り血に染まって、まさに悪鬼のようであった。

虐殺の後には根こそぎの掠奪(りゃくだつ)が始まった。

(逃げ出した日本人たちは、中国人暴徒の執拗な追撃に)とても逃げ切れられないから、

ここでみんな自決しようということに決まった。

せめて死体を辱(はずかし)められないように、女たちは川の中で死ぬことにした。

家族に死ぬための時間を稼いでやるために、男たちは最後の力を振り絞って、

暴徒に抵抗した。 その間、幼な児たちは母親によって首を絞められて川に

投げ込まれた。子供たちも、泳げないように後ろ手に縛って次々に川へ放り込んだ。

子供の始末をつけた女や老人たちが、子供の後を追って川へ飛び込んだ。

その女を追って、暴徒が川の中まで入り込み、陵辱(りょうじょく)するために

岸に引きずり上げようとする。 彼らの流す血の色によって川水は赤く染まった。

この世の眺めではなかった」

森村誠一著「夕映えの殺意」より抜粋


この日本人開拓民の悲劇を、どのように感じますか?


さらに、便利なウィキペディアやネット検索が歴史の授業に出てこなかったと思う

こんな事件、「敦化事件(とんかじけん)」をも知ってしまうことに

なりました。記憶がないですね。やはりあの国は信用できないわ。



本日の記事はかなりマジになっていますが、途中何度も込み上げる

ものがあり、書けなくなってしまうことがありました。


最後に、満州国とは。(←クリックで)




北街道の現在駿府町(当時追手町)と呼ばれている、駿府城の

外堀を埋めてできた商店街は、当時「大陸マーケット」と呼ばれていました。


中国大陸からの引揚者たちが住まわせてもらい、今日に至っております。


今年81歳になった私の兄は、小学校6年時に引き揚げてきましたから、満州の

風と土の匂いを嗅いできて、それを語れる残り少ない日本人の1人かもしれません。


















今月の曲

2015-02-06 06:08:33 | 同窓会への道

ボンソではSネダ隊長のお陰で色んな「洋楽」を知ることができました。

T氏からも有難いご指導をいただきました。たまにこの洋楽も歌いたくなる時があります。


百貨店のBGMは曲だけの洋楽のピアノバージョンとか編曲したものも

多く聞かせてもらえます。テンポも原曲より凄くスローだったりすると、

「おっ、いい曲じゃん!」なんていうのもあります。

あれ、聞いたことがある曲だな、と思ったら「ビコーズ」、1964年の曲だったん

ですね、半世紀昔ですよ。翌日しずてつストアに行ったらここでも「あれ?」、

またBGMに「ビコーズ」が、思わず首を振って歌ってしまいました。

その時思いました。今月の第4はこれ行ってみるか。







画面に歌詞が出てくるから覚えやすいし、画像が良い。

詩の意味はこちらでお勉強してください。


この曲はカラオケにありますから、みなさんも覚えておくと良いかも、

ハモリが上手な方がいましたら一緒に歌ってもらうとなお良いでしょう。

歌いやすい覚えやすい良い曲です。日本のGS時代の曲風で、ノリが「さらば恋人」

あたりにも似ています。

あと、自分自身が完成させたい洋楽が「トワイライトタイム」「ミスティー」

「When man loves a women」「Laughter In The Rain / 雨に微笑みを 」



こんなの↓も歌えるようになりたいね。






洋楽と言えば、洋楽好きの「お弁当屋さん」Y川君、

私が独身のころ、よく一緒に鷹匠を飲み歩きました。それで「街、行ってみる?」

って両替町や呉服町に行き、また鷹匠の弁天横丁に戻ってくるんですよ、

彼歌上手でしたよ。ボンソでは「マイウエイ」や「ブロンソンの何とか(マンダム)」

左トンペイさんのものまねで「ヘイ!ユー!ワッチャネーム?」ってのがあったでしょ?

このあたりが十八番でした。お弁当買いに行って「ヘイ!ユー!」って言ってごらん

「????」となると思うよ、また一緒に歌ってみたいね。

で、その彼の店が再開、こちらです。

このブログの管理人さんはこのY川君のお店の近所なのですが、

この人、写真も文章も上手なんですよ、文章がとっつきやすいのは、

日常の言葉使いで力が抜けた自然体だからだと思います。

むやみに難しい漢字の熟語を多用しないのがいいですね。


「天峰」さんの記事なんか直ぐ行ってみたくなりますね。(他の日付のも見てみてください)


私と同じgooブログで1日の閲覧数2500~3000獲得ってのは凄いことです。

ランキングも600位前後、私のもう1つの方のブログはどんなに頑張っても

1日の閲覧数が2000弱でランキングは5000位くらいですからね。

そのあたりの層は厚いんですね。