春日通りと中山道が交差する交差点には古い高層の都営住宅があって、北側の壁には「都営何とかアパート」って縦に日本語で字が書いてあります。
今時はメゾンだの、シャトーだの、アーバンだのと、出来るだけ素敵な感じをイメージした名前がついているものなのに、この実用性のみでつけられた名前と言うのは今ではかえってすごいインパクトです。
地下鉄の入口も暗い緑色のタイルを張った時代を感じるもので、昔に続く穴に降りるって感じでいいです。
左側の細い道を入っていくと今はやっていないけど1階がマーケットになっていたみたいで、古い看板のかかった閉まった入口があります。
そのまま道なりに適当に歩いていくと、古い家がたくさん残った落ち着いた住宅地になります。
このあたりは東大の裏側で、そのせいか分からないけど、昭和の初めころの映画に出てきそうな旅館や、下宿屋風の建物がたくさん残っていてこれはもう本当にすごいことだと思います。
通りからガラス戸の開け放たれた玄関とホールのあたりがが見えます。
玄関は掃き清められ、ほとんどの内装材が天然の木材のようなのでホールは暗い色調なのですが、床も壁も磨き込まれて黒光りしています。
新しいきれいな明るいホテルとは違って、古いけど掃除が行き届き、長年大切に手をかけてきた空間は空気が違います。
お客を迎える意気込みのような緊迫感があります。
そういう旅館や、古い民家や大きく育った植木などに年月を感じながら歩いていきました。
小雨がふるこどもの日だったので、私達は傘を差していたのだけど、途中、合羽を着た、若いおとうさんと、小学3、4年生くらいの女の子と、5,6才位の男の子が3人で街並み探検散歩をやっているのを見かけました。
男の子が転んで膝をすりむいてしまったので、道の端によけてお父さんがばんそうこうを貼ってあげていました。
ばんそうこうを持っているお父さんというのも用意のいいことだと思ったことです。
傘ではなくて、合羽というのがいいです。
傘をさして歩いたのでは特別なイベントになりません。
お母さんはどうしたんだろう? と思いました。
お母さんは雨の日に用もないのに外を歩くのなんか嫌いなのかしら?
いえいえ、きっと赤ちゃんがいて世話をしなくてはいけないのでおとうさんと子ども達を出してあげたのですね。
なんて話を考えていて、私も小学生の時はよく父親と東京の街を歩いたものだと思い出しました。
街並み探検隊なんて特別なものではなくて、休みで暇だから歩きに行こうという感じです。
思えば今気が付いたけど、うちの母親もただ歩くという時には一度も一緒に来たことはありませんでした。
昔は、そんなことは大人の女の人はしないことだったのだと思うのです。
健康ブームでお年よりはよく街を歩いていますが、今だってほとんどの女の人は用もないのに歩いたりはしないのだと思います。
女性は散歩はしないものなのかもしれません。
うちの父親は下町(上野)生まれなので、私を連れて昔よく歩いたのも、日暮里から上野、御徒町、秋葉原、神田、あと、浅草とか時々都電に乗って銀座の辺りまで行くこともありましたが下町が多かったようです。。
それで覚えているのが、秋葉原か神田の辺りだと思うのですが、国電(昔はJRのことをそう呼びました。)のガードの下の小さいコーヒーショップに入ったときのことです。
そこは、カウンターと止まり木みたいな丸い小さい椅子が7,8個あるだけで、天井の方からはゴーゴー電車が通る音がして、ちっとも洒落ていないし、メニューは飲み物とホットドックくらいしかないお店でした。
そこに入って父はコーヒーを頼んで、私にはココアかミルクかなにか、それからカウンターの端にあったガラス瓶に入ったドーナツを買ってくれました。
小ぶりで、べーキングパウダーを使って膨らました硬いタイプのもので、グラニュー糖がまぶさった甘いドーナツです。
昔の子供は今ほどふんだんにおやつを食べられたりはしなかったので、いつも甘いものに強く憧れていました。
それで、私はあっという間にドーナツを食べてしまい、指なんかなめていたのかもしれません。
そして父は「もう一つ食べるか?」と言って、もう一つ買ってくれたのです。
そうやって、ドーナツを3個食べたように思うのです。
暗黙の了解ごとで、何か買ってもらうときは一つに決まっていたのにです。
母には子供にドーナツを3個も食べさせるなんて思いもつかないのです。
父との、そんなことを何十年も経った今も覚えているのです。
もしかしたら、雨の日に合羽を着てお父さんと散歩をした男の子は、転んですりむいたことを覚えているかもしれません。
または、女の子の方が、弟が転んだことや、道端のよその家のガレージのあたりのことなど覚えているかもしれません。
若いお父さんは子供達とお昼は何を食べたのでしょう?
古いお蕎麦屋さんにはいったでしょうか? それとも、マクドナルドでいつものセットを頼んだでしょうか?
小さいころのことというのは、何が思い出に残るのか分からないものなのです。
お父さん頑張れ! と、心の中でよく分からない応援をしたのでした。
なんてこともほんの一瞬の通りすがりにあったのでした。
小雨の降る日の散歩というのもなかなかいいものでした。
今時はメゾンだの、シャトーだの、アーバンだのと、出来るだけ素敵な感じをイメージした名前がついているものなのに、この実用性のみでつけられた名前と言うのは今ではかえってすごいインパクトです。
地下鉄の入口も暗い緑色のタイルを張った時代を感じるもので、昔に続く穴に降りるって感じでいいです。
左側の細い道を入っていくと今はやっていないけど1階がマーケットになっていたみたいで、古い看板のかかった閉まった入口があります。
そのまま道なりに適当に歩いていくと、古い家がたくさん残った落ち着いた住宅地になります。
このあたりは東大の裏側で、そのせいか分からないけど、昭和の初めころの映画に出てきそうな旅館や、下宿屋風の建物がたくさん残っていてこれはもう本当にすごいことだと思います。
通りからガラス戸の開け放たれた玄関とホールのあたりがが見えます。
玄関は掃き清められ、ほとんどの内装材が天然の木材のようなのでホールは暗い色調なのですが、床も壁も磨き込まれて黒光りしています。
新しいきれいな明るいホテルとは違って、古いけど掃除が行き届き、長年大切に手をかけてきた空間は空気が違います。
お客を迎える意気込みのような緊迫感があります。
そういう旅館や、古い民家や大きく育った植木などに年月を感じながら歩いていきました。
小雨がふるこどもの日だったので、私達は傘を差していたのだけど、途中、合羽を着た、若いおとうさんと、小学3、4年生くらいの女の子と、5,6才位の男の子が3人で街並み探検散歩をやっているのを見かけました。
男の子が転んで膝をすりむいてしまったので、道の端によけてお父さんがばんそうこうを貼ってあげていました。
ばんそうこうを持っているお父さんというのも用意のいいことだと思ったことです。
傘ではなくて、合羽というのがいいです。
傘をさして歩いたのでは特別なイベントになりません。
お母さんはどうしたんだろう? と思いました。
お母さんは雨の日に用もないのに外を歩くのなんか嫌いなのかしら?
いえいえ、きっと赤ちゃんがいて世話をしなくてはいけないのでおとうさんと子ども達を出してあげたのですね。
なんて話を考えていて、私も小学生の時はよく父親と東京の街を歩いたものだと思い出しました。
街並み探検隊なんて特別なものではなくて、休みで暇だから歩きに行こうという感じです。
思えば今気が付いたけど、うちの母親もただ歩くという時には一度も一緒に来たことはありませんでした。
昔は、そんなことは大人の女の人はしないことだったのだと思うのです。
健康ブームでお年よりはよく街を歩いていますが、今だってほとんどの女の人は用もないのに歩いたりはしないのだと思います。
女性は散歩はしないものなのかもしれません。
うちの父親は下町(上野)生まれなので、私を連れて昔よく歩いたのも、日暮里から上野、御徒町、秋葉原、神田、あと、浅草とか時々都電に乗って銀座の辺りまで行くこともありましたが下町が多かったようです。。
それで覚えているのが、秋葉原か神田の辺りだと思うのですが、国電(昔はJRのことをそう呼びました。)のガードの下の小さいコーヒーショップに入ったときのことです。
そこは、カウンターと止まり木みたいな丸い小さい椅子が7,8個あるだけで、天井の方からはゴーゴー電車が通る音がして、ちっとも洒落ていないし、メニューは飲み物とホットドックくらいしかないお店でした。
そこに入って父はコーヒーを頼んで、私にはココアかミルクかなにか、それからカウンターの端にあったガラス瓶に入ったドーナツを買ってくれました。
小ぶりで、べーキングパウダーを使って膨らました硬いタイプのもので、グラニュー糖がまぶさった甘いドーナツです。
昔の子供は今ほどふんだんにおやつを食べられたりはしなかったので、いつも甘いものに強く憧れていました。
それで、私はあっという間にドーナツを食べてしまい、指なんかなめていたのかもしれません。
そして父は「もう一つ食べるか?」と言って、もう一つ買ってくれたのです。
そうやって、ドーナツを3個食べたように思うのです。
暗黙の了解ごとで、何か買ってもらうときは一つに決まっていたのにです。
母には子供にドーナツを3個も食べさせるなんて思いもつかないのです。
父との、そんなことを何十年も経った今も覚えているのです。
もしかしたら、雨の日に合羽を着てお父さんと散歩をした男の子は、転んですりむいたことを覚えているかもしれません。
または、女の子の方が、弟が転んだことや、道端のよその家のガレージのあたりのことなど覚えているかもしれません。
若いお父さんは子供達とお昼は何を食べたのでしょう?
古いお蕎麦屋さんにはいったでしょうか? それとも、マクドナルドでいつものセットを頼んだでしょうか?
小さいころのことというのは、何が思い出に残るのか分からないものなのです。
お父さん頑張れ! と、心の中でよく分からない応援をしたのでした。
なんてこともほんの一瞬の通りすがりにあったのでした。
小雨の降る日の散歩というのもなかなかいいものでした。