2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

「やる気を出せ!」と子供を怒っていて思った。

2008年11月19日 | 地球のこと
家に帰ってきて、成績の下がった家の豚児に「やる気をだすのだ!!」と怒ったのだった。

怒ったが「やる気」はやはり出なかったようだった。

出ないだろうとは思う。

出せといわれて出るものじゃない。

もしかして、出ないのが当たり前のものではないのか?

親の自分だって「やる気」を出すのは大変なのである。

やりたくないことに「やる気」を出すのは、本当はおかしいのではないか?

やりたくないことはやらないで、だらだらしているのが本来の正しいありようではないかと思ったのだ。

というのは、

地球上を見回したときに、やる気を出してやたら働くのは人間だけではないか。

動物は食べて暮らすこと意外は何も余計に働いたりしない。

一番重要な食べるということも、必要以上には働かないし、食べ過ぎることもないようだ。

ライオンなど、おなかが空いてどうにも仕方がなくなったときだけ、仕方なく働いて食べているのかもしれない。

これ以上おなかが空くと体が動かなくなって狩ができなくなってはやばい!というあたりを考えているのかもしれない。

基本的にはやる気はないようだ。

食べて暮らせるだけの最低限の仕事だけして、後はだらだらしていようと決めているようだ。

もし動物がやる気を出して、必要以上に働いて草をめいっぱい食べたり、どんどん狩をしたりすると生態系が乱れて、地球の再生が間に合わなくなるのかもしれない。

そういうだらだらしたものだけがのんびり暮らしていた地球に人間が発生して、やたら「やる気」を出して働くものだから地球の環境が乱れてしまったのではないか。

「やる気」は出してはいけないものだったのだと思う。

地球に悪いのは人間の「やる気」だったのだ。

人間のやる気は食べ物に困らないくらい蓄えを持っても治まらず、果てしなく続き、推奨され、人間は働くことが止まらなくなっている。

それで、地球は環境が破壊され、人類の存亡の危機にまで陥っているのだか、まだやまらない。

ところが、地球が危ない、人類の未来が危ない、となったら、新エネルギーの開発やら、低炭素社会への移行だとか、人間はそういうことにも「やる気」を出して取り組み始めた。

人類の危機を招いたのもやる気だが、人類の危機を救うのもやる気であるらしい。

まったく、人間は何をやっているんだ、と思う。

そういうわけで、やる気もほどほどでいいのではないかと思うのだ。

だから大人がやる気を出さないのは地球に優しいことなのだ。

でも、子供にはやる気を出せと一応は言っている。

人間は一生懸命勉強はしても、一生懸命働いてはいけないのだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。