2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

貧乏な民主主義

2010年10月20日 | 民主主義の行くところ
貧乏な民主主義がどんなものか考えても、なかなか実態は想像しずらいし、実際そういう状態になるのを望んでいるわけではないし。

なので、まず、現在の資本主義がうまくいっていて民主主義をやっている現在の状態を確認してみたいと思う。

よい民主主義の基本になるお金の出どころの資本主義は、日本の場合簡単ではなくなってきている。

資源を持たない国は単純に資源を売ってお金を得るというわけにはいかないからだ。

資源を加工して優れた製品を作り輸出するということをして、日本は今までやって来たのだった。

これからもそうしていくしかないのだが、地球全体で資源はなくなってきているので、資源を持つ国はその価値を認識し始めていて簡単に安い値段では外に出さなくなってきている。

お金持ちになる方法としては、内需拡大という自国の中で物の売り買いを活発にして、みんなでお金持ちになりましょうという方法もあるようだ。

これは国民が買いたいものがたくさんあるうちは良いのかもしれない。

でも、例えば、

「小さな街においしいケーキ屋さんができて大人気になりました。街の人はすごくおいしいので毎日のように買って食べていたら、冷蔵庫の中はケーキで一杯になってしまいました。そのうちに街の人はだんだん贅沢になってケーキをおいしく感じなくなってしまいました。ケーキ屋さんはあまり売れなくなりました。」

というような話が、資本主義の内需拡大にはあるのだと思う。

日本の国の上に建てられた、こんなに沢山ある家のなかには、とてもたくさんの物が詰まっていて足の踏み場を狭めている。

もう何か買っても置くところがない、という状態の家は多いのかもしれない。

内需拡大がだめなら外に買ってもらうしかない。

今、先進国はどこも外にものを売ることを考えている。

少し前まで世界の「買う係」の国だったアメリカでさえ中国にものを売りたいと思っている。

世界中が中国が次の「買う係」の国と思って行動している。

日本も先進国の仲間としてお金持ちを続けたいなら外国に物を売らなくてはならないのだ。



今まではお金持ちだったので民主主義もとても上手くいっていた。

仕事がたくさんあって、国民は仕事をしてお金を得て豊かに暮らすという良い循環が長く続いていた。

でも、ケーキ屋さんが売れなくなったように、国民は必要なものはほとんどすでに手に入れてしまったので内需では仕事は余ってしまった。

国民の仕事を確保するためには外国にものを売るしかない。

外国にものを売るためには国際競争力が必要となった。

小泉さんがやった改革の中には派遣法の緩和などもあったけど、これは企業が人件費を抑えるために役にったって、たしかに輸出企業は伸びることができたのだった。

最近は急に雇用も、輸出も厳しいことになってきている。




民主主義では最低の生活が保障されているので、困った時は生活保護が受けられる。

民主主義では義務教育を受けられる。

民主主義では選挙権がある。

民主主義では言論の自由がある。

民主主義では表現の自由がある。



のだけど、

生活を保障するというのはお金がかかるので、雇用対策や、生活保護や、年金や、医療保険や、子供手当など財源が心配されている。

こうしてみてくると、世間が民主主義で大事だと思っているのは生活の保障関係が主だとわかる。

教育は拒否しているらしい国民もいるらしい。

選挙権も半数以上が放棄している。

言論の自由と表現の自由は器用に使いこなしているようだ。

「民主主義を60年やっていると国民はこんなふうになる」というのが今の日本を見渡したら分かった。

それとは別にひとつ大事なことがあると思うのだけど、民主主義では大義として「正義が勝つ」というのがあったけど、最近は本当に正義が通っていると思う。

民主党になってから急に正義が勝つようになったと思うのは気のせいだろうか?

理想の世界に近づいているのかもしれないのに、残念な事にお金がなくなってきている。



貧乏な時代になったら、ということを具体的に考えるのはよくないと思った。

豊かな時代を過ごしてきたわけだから、お金がなかったらどうなるのか想像してみるのも大事かもしれない。

全体に貧乏になる時代は人と同じことをしていたら貧乏になってしまう。

これからは自分の頭で考えることが一番大事なのだと思う。


貧乏な時代になっても民主主義をやっていきたいと思う。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。