山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。
――太宰治「走れメロス」
「走れメロス」を読んでいると、最近のスポーツに欠けているものが分かる。「「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。」こういうのはスポーツで解消すべきで戦争にしちゃだめなのである。つまりナチス五輪は惜しかったのだ。五輪に暴力を封じ込めるのに失敗したのがいけなかったのである。リーフェンシュタールではないがそこに「美」なんかを見出しているのがいけない。その点、鉄球を投げるところに苦しみをみてしまうような小林秀雄も同類だ。
太宰なんかは、ちゃんと暴力を書いているからかなりましであって、山賊よりも灼熱の太陽にメロスが負けるところなんかは、兵士よりも天皇の責任を追及しているようであいかわらず嫌らしいやり方と思うが、とにかく暑いのはコマル。
きょうなんか、木曽が35度とかだったらしいが、すると高松が38度とかいうのは嘘で、ほんとは83度ぐらいになっているはずだ。フェイクニュースであろう。
甲子園大会は九回ではなく七回にするとかいっているが、七回でも十分暑くて死人が出るかも知れない。普通にドーム球場でやればよろしいのではないだろうか。あるいは金はかかるが、急遽甲子園をドームにして涼しくしてやればいいのでは。
暑いと思うから暑いんだみたいな、昭和の根性で、――わたくしもグリーグのピアノコンチェルトの弾ける部分だけ弾いてみたが、まったく寒くなってこない。ノルウェイももはや暑いのであろう。