福岡万葉散歩

街の様子や木々や草花を眺め乍ら、先人の俳句や和歌を織り込んで、今の季節を楽しみたい。たまには万葉散歩も楽しみたい。

2012.12.29(金) 太宰府天満宮に句碑、歌碑を訪ねる

2013-01-28 | 万葉紀行
太宰府天満宮に漱石の句碑、道真の歌碑、それに万葉歌碑を訪ねた。

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西鉄太宰府駅前から太宰府天満宮参道を望む

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西鉄太宰府駅前の灯明台の一面を飾る夏目漱石の句碑

   反橋(そりばし)の小さく見ゆる芙蓉かな      夏目漱石

この句の句稿は前書きつきで次のようになっているとのこと。

   太宰府天神   反橋の小さく見ゆる芙蓉哉

夏目漱石は妻鏡子と二人で明治29年9月の初めに1週間九州地方を汽車旅行したという。明治29年6月9日、漱石は熊本市光琳寺町の自宅で中根鏡子と結婚式を挙げている。

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太宰府天満宮の心字池に架かる太鼓橋(反橋・・そりばし)の第一橋

漱石が詠んだ「反橋の小さく見ゆる芙蓉かな」の反橋は、太宰府天満宮境内の心字池に架かる三連の太鼓橋で、本殿への参拝路となっている。三連といったが実際は第一橋は反橋(太鼓橋)、第二橋は平橋(平らな橋)、第三橋は反橋(太鼓橋)と成っている。太宰府天満宮は鳥居をくぐって境内に入る前に、左手斜めの方向に第一橋と第三橋の反橋を見ることができるのだが、普段は気付かない。第一橋は近く第三橋は遠くにあるので、二つの反橋のうち第三橋の反橋の方が小さく見える。よって、漱石が「小さく見ゆる」と詠んだ「反橋」はどちらかというと、二つ目の反橋(第三橋)の方が相応しいとする論考がある。

そこはかとなく艶っぽくて気品漂う淡紅色の芙蓉の花越しに太宰府天満宮の太鼓橋が望まれる。華やかな風景の先には太宰府天神のお社があるのだ。

ここのところ、ずっと長い間、芙蓉の花木を見つけることができない。

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太宰府天満宮参道   突き当りの三の鳥居をくぐった境内の右手に東風吹かばの歌碑がある

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東風吹かばの歌碑

  東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅(むめ)の花
       あるじなしとて春な忘れそ      菅原道真

福岡県瀬高町出身の書家・助弘桂雪の書 昭和23年(1948)建立

結句が「春な忘れそ」であるこの歌は十訓抄(1252年頃成立)や太平記(1370年頃成立)に出てくるという。拾遺和歌集(1005年頃成立)と大鏡(1080年頃成立)では結句を「春を忘るな」としているようだ。
道真は901年(昌泰四年)2月1日に京都を出発し流罪の地、筑紫大宰府に下ったという。

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太宰府天満宮楼門から本殿を拝す

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太宰府天満宮内庭から楼門を見る

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太宰府天満宮本殿

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太宰府天満宮 飛梅 左近の梅 (右近の橘、左近の梅)

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太宰府天満宮の菖蒲池越しに左右を梅林に彩られている万葉歌碑を見る 背景には宝物館と文書館がある

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万葉集梅花の宴の梅花の歌三十二首のうちの一首・筑前介佐氏子首(こびと)の万葉歌碑

  萬代(よろずよ)に年は来経(きふ)とも梅の花
      絶ゆることなく咲き渡るべし     筑前介佐氏子首
             万葉集巻五-830

  筑前介(ちくぜんのすけ):介は国司の二等官。令制では大国と上国とにおかれた。大国では正六位下、上国では従六位上相当。筑前は上国。当時筑前介は山上憶良のすぐ下の役だったわけである。佐氏(さし):佐伯氏か。子首(こびと):伝未詳。

天平二年(730)正月十三日、大宰の帥・大伴旅人は自邸において、府官および管下諸国の国吏等をまねき、盛大な梅の花の宴を催した。その折の人々が詠んだ歌が梅花の歌三十二首と題されて万葉集に収録されている。


2012.12.12(水) 忘年会で天神へ出る

2013-01-21 | 街角風景
今日は二水会の忘年会ということで天神へ出た。福岡の中心、天神の街は師走の賑わいの中に、街路灯のイルミネーションが寒空に冴えていた。

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天神交差点の天神ビルを見る

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益正天神店にて

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天神交差点の天神ビルを見る

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天神交差点より南の方に渡辺通りを見る


2012.12.2(日) 柚子の実がなる

2013-01-19 | 
柚子(ゆず)の実がなっている。中国から伝わり、奈良時代から栽培されていたといわれる柑橘類だ。木そのものを「柚」(ゆ)といい、「柚(ゆ)の実(ず)」という意味合いから「柚子(ゆず)」という名が付いたようだという。
古来から料理の薬味として用いられて今に至っている。

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柚子(ゆず)

   柚子すべてとりたるあとの月夜かな      大井雅人


2012.12.1(土) 花梨の実がなる

2013-01-19 | 
花梨(かりん)の実がなった。今年は生育が遅れていたが、豊作だ。花梨の実は豊作、不作を一年ごとに繰り返すが今年は当たり年のようだ。
春に薄紅色の五弁花を咲かせ、夏から秋にかけて青い実が大きくなり、黄色く熟す。楕円の実は梨より大きめで、もぎたての実を室内に置いておくと、部屋中がなんともいえない甘酸っぱくてクリーミィーな芳香に包まれる。

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花梨(かりん)の実  唐梨(からなし)  きぼけ  海棠木瓜(かいどうぼけ)  安蘭樹(あんらんじゅ)  榠樝(かりん)の実
バラ科の落葉高木 中国原産 江戸時代に伝播と

   一つ一つ榠樝(かりん)は癒(いや)すもののかたち
                       川崎展宏

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花梨(かりん)の実  唐梨(からなし)  きぼけ  海棠木瓜(かいどうぼけ)  安蘭樹(あんらんじゅ)  榠樝(かりん)の実

   くらがりに傷つき匂ふくわりんの実      橋本多佳子


2012.11.30(金) 同窓会の忘年会で岡垣町に行く

2013-01-08 | 旅行
今年の高校同窓会は福岡県遠賀郡岡垣町のスローリゾートと銘打った「ぶどうの樹」の和食レストラン「野々庵」で開かれた。一年に一、二度会う間柄だが、語りあえば昔の自分に戻ったような感覚におそわれることがあり、来し方を想い感慨に耽ることがあった。

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ぶどうの樹「野々庵」から見る風景  中央の山は孔大寺山(499)だろう

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「野々庵」の前で

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「野々庵」の前で

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記念の一枚

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「ぶどうの樹」の入口

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「ぶどうの樹」の園内

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チャペル前

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チャペルのセレモニー用の人力車に乗ってみた

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チャペル内

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コーヒータイムを過ごしたカフェ

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JR鹿児島本線・赤間駅で解散

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帰路のJR博多駅の博多口はクリスマスイルミネーションで彩られている


2012.11.14(水) 二水会で天神へ出る

2013-01-07 | 街角風景
二水会で天神へ出た。天神は福岡のビジネスセンターであり、この時刻はサラリーマンらしき人々も街に多く活気がある。

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天神交差点辺りを背にして南の方に福岡市役所広場の方を見る

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天神交差点の天神ビル

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益正天神店にて


2012.11.3(土) 横浜観光に出る

2013-01-07 | 旅行

横浜観光に出かけた。国指定の名勝「三渓園」を訪ね、中華街で食事をし、みなとみらいを巡った。新都市みなとみらいの荘厳とも見える威容に度肝を抜かれた。

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三渓園

三渓園は、明治末から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三渓(本名 富太郎)が、東京湾に面した三之谷と呼ばれる谷あいの地に造り上げた、広さ約53,000坪の日本庭園で国指定の名勝という。
三渓は、当時の文化人や財界人たちと広く交流したことでも知られ、三渓園は美術・文学・茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもあるという。

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中華街のにぎわい

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横浜港大桟橋からみなとみらい「中央地区」を望む

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みなとみらい大観覧車「コスモクロック21」

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日産スタジアム前を新横浜駅方面へ向う


みなとみらい遠望


富士川鉄橋の新幹線から富士山を見る