できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

朝日さん、天声人語で、「日本という国」を愛していないことを逆に明言してしまう(笑)

2012-05-04 23:41:01 | メディアリテラシー・マスゴミ考察

ついこの前、お茶の水の三省堂の本店に行ったが、学参コーナーでこりもせず朝日さんは「天声人語ノート」なるものをかなり大々的に売り込んでいた。まあ「顧客に売ろうとしていた」直接の主体は三省堂書店だが、「天声人語ボックス」(笑)なる、やたらでかい箱まで用意して、まとめ買いができるようなパッケージまで作ったのは他ならぬ朝日さんである。まあ、先日ここで採り上げた毎日小学生新聞に限らず、どこの新聞社も、できるだけ早いうちに

「うちの新聞社の論調が『普通』なのだ!」

という「刷り込み」をすることによって、将来の安定的な購読者層を獲得しようと躍起になっている点では同じだ。

 

そんな必死な朝日さんが、昨日(5月3日)の憲法記念日に書いた天声人語が以下のものだ。まずは全文紹介。

 

朝日新聞 天声人語 2012年5月3日

 小欄には多くのご意見をいただく。不完全な人間が限りある時間と紙幅で書く話だけに、どんなご指摘もありがたい。匿名の声ほど言葉は荒いが、いかに一方的でも、言論による訴えは歓迎だ。

 朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲われ、記者2人が問答無用で殺傷されて25年になる。脅迫文に「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」とあった。いきなり戦場に引き出された思いで、負けられぬと誓ったものだ。

 同世代の小尻知博記者(享年29)とは家族の年齢もほぼ重なる。父上は昨夏、83歳で旅立った。妻裕子さん(52)はピアノ教師を続け、娘の美樹さん(27)はテレビ局で働く。かたや目出し帽の男は生死も不明、数ある未解決事件の中でも見たい顔の一つだ。

 一連の襲撃で彼らが目の敵にしたのは、本紙の論調だった。この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが、ともあれ言論へのテロである。

 この四半世紀、インターネットの登場で、表現の自由をめぐる環境は一変した。65歳の憲法21条に守られ、自由を謳歌(おうか)するネット世界。そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい。新聞やテレビはすっかり敵役だ。

 大手だろうが個人だろうが、異論を許さぬ言説は何も生まない。社会を貧しくする、言葉の浪費である。誰もが発信できる言論空間を守り育てるためにも、形を変えて横行する「覆面の暴力」に用心したい。(ここまで)

 

このエッセイを読み、何か、ここに来てもまだ朝日さんは「何らかの被害者」であることをを装い続けているのかと感じた読者は私だけではないだろう。例えばここだ。

>65歳の憲法21条に守られ、自由を謳歌(おうか)するネット世界。そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい。新聞やテレビはすっかり敵役だ。

卑屈ぶっていること自体が「実はそうではない=実は新聞やテレビは言論「圧殺」などしていない」という態度表明なのだが、「実は新聞やテレビは言論「圧殺」などしていない」と積極的に「主張」することもしていない。だったら何のための部分なのここは?と、普通の小論文講師ならツッコミを入れるだろうね。

答えは実に簡単で、「実は新聞やテレビは言論「圧殺」などしていない」と「主張」するには、「根拠」をつけるスペースがないからだ。すなわち真の問題は、「根拠」をつけるスペースがないほど、「根拠づける」にはスペースが必要だというのなら、その「根拠づけ」の中身とは何なのか、ということだ。

それはすなわち「朝日イズム」である。「朝日イズム」とは、

 

・根拠もなく原発には反対

・根拠もなく戦後の自民党政治にも反対

・根拠もなくナショナリズムは否定

・根拠もなく「反日ではない」とクチだけでは言える

・根拠もなく歴史問題については中韓の発言の方が絶対に正しいと密かに思っており、クチでは時々否定するが隠しきれない

 

この5点ほどに集約できるだろう。うーん。確かに「天声人語」の字数としてはきついが、朝日さんが憲法記念日の天声人語として、本当に主張したいことがあるのであれば、「天声人語増補版」などと銘打って、字数が多いバージョンを出してもかまわないだろう。しかし朝日さんはそれを絶対にしない。「大震災後の社説特集号」などはホイホイやるにもかかわらずだ(笑)。

で、なぜ「天声人語増補版」ができないかというと、上に挙げたように、どの主張にも根拠がないということを見透かされてしまうからだ。

例えば「原発反対」。朝日さんが社説で「原発反対」を訴えたことは何度もあれど、

・なぜ原発に反対なのか

についてはほとんど語ったことがない。おそらく

・事故が起こったときの被害が甚大だから

とでも言いたいのだろうが、池田信夫の『原発「危険神話」の崩壊』をななめ読みするだけでわかるように、福島第一原発の事故は大したことではなかった。原発外へ数万ベクレル規模以上の放射性物質が漏れれば、それはチェルノブイリ原発事故と同様の「レベル7」とされるが、チェルノブイリとは違い、原子炉が壊れたわけでも、原子力燃料そのものが漏れたわけでもない。福島第一原発で漏れた放射性物質は63万テラベクレルで、チェルノブイリ原発事故で飛び散った520万テラベクレルの12%しかない。しかし朝日さんはそのことを黙ったままだ。

ICRPと武田手のひら返し邦彦が「お題目」として必死に守っている「平時は外部被曝は年間1ミリシーベルト未満!」にも何の医学的根拠がない。捏造データはあれども、年間1ミリ~100ミリシーベルトの被曝線量で、がんや病気が有意に増えたという「普通のデータ」はいっこうに出てこない。ECRRのトンデル論文などは以前ここで書いたように、結果がそう出るように、あらかじめデータを「修正」する体たらくだ(笑)。逆に言えば、トンデル論文でさえ、データを「修正」しなければ、低線量被曝が体に悪いということをデータで説明することもできないわけだ。

したがって、

・事故が起こったときの被害が甚大だから

と言ってしまうと、「違うだろアホ」と100倍くらいの証拠をつけて反論されてしまうので、そういう理由がつけられないのだ。どんだけお粗末な新聞社だよ(笑)。

そして、そのお粗末な新聞社のお粗末なコラムを

・「入試の国語に出る!小論文力にもつながる!」

とか煽って「書写」させる塾や予備校講師の国語力のなさはいかほどのものか(笑)。もう笑うしかない。それだけで、その塾や予備校は辞めてもいいくらいだ。学校の教師が言っているのなら、「税金返せ!」と訴訟をしてもいい(笑)。なぜなら、自分で根拠づけられないことを、結論だけ必死に繰り返す朝日さんの姿は、「言論メディア」のそれではなく、単なる「気持ち悪い新興宗教の教組」のそれに過ぎないからだ。

あの・・・「国語力」とは、「教組サマの考え通りに効率よく染まる能力」では全然ないんですが???

 

次。

・根拠もなく戦後の自民党政治にも反対

これも、民主党政権が始まって日本が良くなるどころか、坂道を転げ落ちるように悪くなっているだけだ。どの議員も責任を取らないですむように、「議論する会」だとか「検討会」とか「協議会」だけは雨後の竹の子のように「生やす」けれども、その結果として行政のスピードは笑えるほど落ち、阪神大震災と比べても全くと言っていいほど震災復興は進んでいない。しまいにゃ「被災がれきは実はないのだ」などという真っ赤なデマまで出る始末だ。つまり、朝日さんのこの姿勢は、

・自民が敗れて、「他の選択肢」が実は何もなかった

ことに気づかされただけなのである。しかしそれを認められない朝日さん。橋下批判に力がないのは、「じゃあ誰がやるの?」というもっともな問いに、朝日さん自身が答えられないからである。

 

次。

・根拠もなくナショナリズムは否定

姜尚中などもそうだが、ナショナリズムを嫌っているわりには、ナショナリズムの定義がこれまた全然出てこない。朝日さん的には、「ナショナリズム=軍国主義」なのだろう。

しかも笑えるのが、朝日さんや姜尚中に限らず、いわゆる「朝日さん的知識人」のほぼ全員が、「ナショナリズム=軍国主義」だと思っている点だ。例えば旧司法試験第二次試験考査委員の一人になっている、長谷部恭男東大教授も、その著書『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書)の中で、「ロバート・グッディン教授」のアイデアに乗っかるならと仮定した上で、以下のように述べる(こういう態度もセコいが(笑))。

 

 逆にいえば、国籍が人権の保障にとって持つ意味も、せいぜいその程度のものにとどまる。もし、ある人が、母国の政府によって人権侵害を受けているような場合には、原則にもどって、むしろ他の国がその保護に努めるべき状況が回復することになるであろう。もともと、人権を保障すべき義務は、すべての人にあり、したがって、全ての国にあったはずだからである。

 同じように、とりたてて母国の政府によって人権侵害を受けているわけではない人が、日本に定住し、生活している場合でも、国家間の任務分担の問題や、日本で生活する人々のコスト負担の公平に関して特別な困難をもたらさないのであれば、それらの人々に対して、日本人に対するのと同様の権利を保障しても構わないという結論が導かれるはずである。たとえば、定住外国人に対して選挙権を付与してはどうかという提案も、こうした考え方からすれば、実現の可能性を十分検討する余地があるということになる。(p.101)

 

この人も「朝日新聞社 報道と人権委員会委員」なる役職に就いているのだから、十分に朝日さん的な学者だと思っていいだろうが、上記の考察には、「日本」という「利益共同体」としての「国家」を維持することが、最終的にはその「国家」に属する「国民」の福祉の向上に役立つという観点が全くない。長谷部にとっては国家とは「たまたま産み落とされた人間が属していた国」であり、「国家」を維持するためのコストとして、経済的なもの以上のものは全く考えていないようだ。こういう論法が、「ナショナリズム」そのものを無視しているという意味で、ナショナリズムを軽視、あるいは嫌っている文章の代表例であると言えよう。しまいにゃ「定住外国人に選挙権を付与することも十分検討する余地がある」などと書いているに至っては鼻水が出る。

ナショナリズムとは、単に「外国人は出て行け」と外国人を毛嫌いするような思想ではない。「日本」という国に属するからには、その「日本」という国家の利益を共に考え、投票という形で意見を述べ、その投票結果を自らの責任として引き受けるという一連の「責任ある行動」を必要とする思想である(この概念を「ナショナリズム」と名づけることには私には異論があるのだが、この問題を正面から論ずる人間が極端に少ないのでしかたあるまい)。よく「愛国心」と同一視されるが、「今の形のままの日本を愛する」という意味での「保守主義」的な愛国心だけでなく、どういう国であることが、日本国民が一番利益を受ける国であるかということを考え、行動するという意味においては保守も革新も右も左もないのである。しかし、日本国籍を持たない人間は、その「責任を取る」能力がないのだから、それに伴う「権利」も当然持たない。ゆえに、日本国籍を持たない人間に選挙権を与えるなどという議論は「論外」なのである。これが、「ナショナリズム」を普通に理解している人間が当然のように至る結論のはずなのだが、なぜか長谷部先生はそこに至らない(笑)。実に不思議だ(笑)(笑)。

そしてというか案の定と言うか、この天声人語からは、「日本という国を愛する」という文言が巧みに外されている(笑)。朝日さんはどんだけ「日本」という国家が嫌いなのか。このように「達観」できれば、「日本という国を愛している」と普通に言えるだろうに。なぜなら、それは必ずしも「保守主義」を意味しないのであるから。

>この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが、ともあれ言論へのテロである。

↑ほら。「この国を国として愛し」という文言「だけ」がないでしょ?これじゃあ単なる「頭の悪いネトサヨ」と同レベルだということだ。朝日さんはどこまで頭が悪ければ気が済むのだろう(笑)。あ、朝日さんって「無政府主義」だったの?(苦笑)

 

次。

・根拠もなく「反日ではない」とクチだけでは言える

まあこれは先にも引用した

>この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが、

の部分にあり余るほど示されている。「反日ではない」と本気で言えるのなら、上記のように達観した上で、「日本という国を愛しているのだから」という文言を入れられるだろう。上の議論と同じだ。

 

最後にこれ。

・根拠もなく歴史問題については中韓の発言の方が絶対に正しいと密かに思っており、クチでは時々否定するが隠しきれない

 

例えば今年4月21日の社説はこうだ。

 

 北朝鮮の事実上のミサイル発射失敗をめぐって、政府の対応が混乱した。野党に追及され、政府は検証を進めている。

 一方で、お粗末な事態の再発を防ぐため、発射を探知した米軍の早期警戒衛星を、日本も持つべきだとの声が政府内から出ている。

 一連の議論は、どうにも筋違いだと言わざるをえない。

 今回のミサイル騒動の本質は、日常的な外交の問題であると認識すべきだ。

 確かに、政府の初動はぶざまだった。韓国国防省が発表し、米韓両国のメディアが速報しているのに、首相官邸の第一報は「発射を確認していない」。緊張感に欠け、誤解も招いた。

 米軍から発射情報を伝えられたが、日本のレーダー網でとらえる前に落下したため、うまく対処できなかったという。

 何のことはない。システムの不備というより、情報を扱う人間の問題なのだ。経緯を検証するのは当然だ。

 だが、これをもって開発費を含めて数千億円規模とされる早期警戒衛星を持つべしと唱えるのは、どうみても論理の飛躍だ。北朝鮮への対応を口実にした、過剰な要求でしかない。

 むしろ、韓国との情報交換を円滑に進めるなど、できる対策から進めることこそ必要だし、効果的だ。

 日韓両国はいまだに、やりとりした軍事情報を保護する協定を結んでいない。今回、韓国から発射情報が提供されなかったのはこのためだ。昨年1月の日韓防衛相会談で、協定の必要性を確認しあったのに、慰安婦問題などで足踏みしてしまった。

 つまり、ふだんの外交努力で日韓関係をもっと緊密にできていれば、今回の混乱は防げたかもしれなかった。

(後略)

 

へ?「慰安婦問題」で足踏みしたのは「100%韓国政府」であって日本ではない。それを、責任が半分は日本にもあるかのような物言い。ここに「朝日イズム」の最後の論点がしっかりとにじみ出ている。 

しかも、李明博大統領は、就任時に言っていた「謝罪と反省は求めない」をきれいに手のひら返しした上での「従軍慰安婦問題」へのこだわりようである。←ちなみに前大統領の盧武鉉(ノムヒョン)も同じことをやらかしている。

 

2008年1月17日 産経新聞

 韓国の李明博次期大統領は17日、当選後初めて外国記者団と会見し、対日関係については「謝罪と反省は求めない」と明言し「今後は形式的なことはやめ、実質的に両国にプラスになる外交を進めたい」と述べた。これは「韓国の歴代大統領は決まって過去問題を取り上げ日本に謝罪や反省を求めてきたが、李次期大統領もそうするのか」との日本人記者の質問に答えたもの。

 李次期大統領は「謝罪、反省の問題では日本も形式的にやってきたのは事実で、そのため韓国国民にそれほど感動を与えることができなかった。しかし、自分としては成熟した両国関係のために謝罪や反省は求めない。日本も要求がなくてもそういう話ができるような成熟した外交をすると思う」と語った。

 また、李次期大統領が強調する「実用主義外交」と対日外交との関係については「形式的なことはやめ、実質的にうまくやろうということだ」と述べ、「日韓関係は今後、未来志向的に進めなければならない。日韓関係をよい関係にすることは朝鮮半島だけでなく東北アジアの平和にもプラスすると考える」とし、未来志向を強調した。

 李次期大統領が、日韓関係でいつも問題になってきた「過去問題」に触れたのは初めて。発言は日本にも注文をつけた形にはなっているが、それよりも「自分としては」との言い方で、新政権として過去問題にはこだわらないとの基本的姿勢を明らかにしたものとみていい。

 一方、今後の対日外交日程については、具体的に触れなかったが、首脳が相互訪問し合う「日韓シャトル外交」については「福田首相に電話で提案しそうしようと話し合った」と述べ、復活の方向を確認した。大統領就任式(2月25日)での福田首相の訪韓は確実視されているが、李大統領の初訪日については3月以降、訪米の帰途、日本に立ち寄る案が双方で検討されている。【ソウル=黒田勝弘】

 

天下の朝日さんが、まさかこのような事実を知らぬはずもあるまい。2008年から4年経った今だから、「どうせ読者はこんなこと忘れているだろう」と思って、韓国政府と一緒になって従軍慰安婦問題を蒸し返して大騒ぎしているのだ。でなければ、社説で、

 

>ふだんの外交努力で日韓関係をもっと緊密にできていれば、今回の混乱は防げたかもしれなかった。

 

などとは紙が裂けても書けないだろう。

 

以上、「朝日イズム」について丁寧に批判を試みた。結果として、朝日さんは天声人語で「日本という国」を愛しているとは言っていない!ということを逆にさらけ出してしまった。最後に、全国各地の国語および小論文の先生方へ。

 

あのさ、こんな「ニセエッセイ」を、「書写」する価値ってどのくらいあると思ってんの?そんなことやらせてるから、大学に入って新興宗教にハマる学生になっちゃうんだよ?少しは「リアルに想像」しなよ。

 

さらに言えば、エッセイや社説をいくら「書写」しても、「日本語力」や「論理的思考力」としての「国語力」、および「小論文力」は1ミリも伸びないと保証してもいい。せいぜい漢字が多少書けるようになるくらいだ。しかしそれも、漢字そのものを練習する方がよほど効率が良い。だから、新聞のエッセイや社説を書写するという「学習法」は、「宗教的儀式」以上の何物でもないのだ。そこに「教育」の要素は全くない。

 



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