できるだけ多くの人に落ち着いてほしいと思い、昨日のブログ記事を書いたのだが、「ホットスポット」などのキーワード検索でどんどんアクセスが増えている状況である。昨日の記事を読んでいただいて、メッセージがどれだけの方に伝わったのか、複雑な思いである。
今やっていたTBSのnews23では、SPEEDIによる計算結果をなぜ早く公表しなかったのかについての追及を行っていた。
曰く、
原子力安全員会としては、「データが足りない」という理由で、計算結果の信頼性が低くなるために、SPEEDIの計算結果を当初は公表しなかったとしていた。
しかし、原子力安全委員会の緊急時のマニュアルによると、「緊急時には、仮定のデータを入力して計算する」とある。だから、仮定のデータでも、情報は公表すべきだった
ということである。
例として、以下のように、原発から遠いところへ避難しようとして、南相馬市から飯舘村に避難した人々もいた。この場合、かえって放射線量が高い地域へ避難してしまったわけで、SPEEDIの計算結果がもっと早く、もっと多く公表されていたら、このような被曝は防げたとしている。
※ちなみに、飯舘村の子どもの甲状腺に残っている放射線量は、今のところ全員基準値以下とのことである。今後も継続して経過を観察しなければならないが、まずは不幸中の幸いとして胸をなで下ろした。
↑ これが、「痛ましい避難」のパターンである。しかし、これは、3/24までのデータを積み上げた結果初めてわかったことであって、例えばこういう発表が、3/14(大震災の3日後)にできたかというと、疑問である。簡単に言えば、「後でまとめられたデータを見て、『あのときこの情報を発表してくれたら』と言っても、『それは無理な話でしょ』」ということである。
例えば、仮に3/13時点のSPEEDIの計算結果が以下のようなものになっていたら、飯舘村に避難することは「正しい」方針だったであろう。(仮定として、赤い部分が「放射線量が高い」とする)
また、次の仮定として、「飯舘村の放射線量が高いと予測される」と発表されたとして、以下のように避難場所を変えたとする。
しかし、情報は刻一刻と変化しうるわけで、次の発表では、避難した先の地域の放射線量が高いと発表される可能性もあるわけだ。以下の図のように。
こうなると、次に放射線量が低い地域を探し、また別の地域に避難することになる。下の図のように。このように、風向きや、一日一日の天気しだいで、計算結果が大きく変わる可能性は当時から否定できなかったわけで、実際のSPEEDIの計算でも、時刻によって、あらゆる方向に放射線が拡散している。
このように、刻一刻と発表結果が変わることで、逆に「政府の発表が信用できない」と見なされる危険性が出てくる。この情報発表を最終的に誰が、どの機関が管轄していたかはわからないが、誰が発表するにしても、「いつの時点で、どこまでの情報を公開すべきか」という問題は、非常に悩ましいと言わざるを得ない。
実際に、昨日の記事に書いたように、福島原発から200㎞も離れた柏~金町地域に、さながら障子に空いた穴のようにポツーンと「ホットスポット」ができているということを信じている人々もいるわけで、福島県から柏市の親戚の家に避難してきた人々がその「情報」を信じると、また別の地域に避難したくなる、という、「避難ジプシー」のような状況も考えうる。
この記事を書いていてふと思う。もしかすると、政府内で、誰もその「情報発表の責任」を負おうとしなかったのではないかと。原子力安全委員長も、原子力安全・保安院長も、そして首相も官房長官も、このような「情報発表のリスク」を負いたがらなかったのではないかと。そのせいで、「仮定に基づく計算だが」という前提をしっかり説明した上で、「暫定的な情報」を早めに公開することができなかったのではないかと。
だとすれば、私が思考実験したことは何の意味もない。数日間の計算結果を見て、上の思考実験のような「放射線が強い地域のぶれ」の可能性が低かったとしても、この「情報」は早く開示はされなかったであろう。
追記
改めて、3/24の読売朝刊にあった、SPEEDIが出した初めての図を再掲載する。
3/24朝発表の時点では、こういう計算結果になっていた(しかも、内部被曝についてのもの)わけで、この等位線を見て、「南相馬市より飯舘村の方がより放射線量が強い」と判断できるかどうかは、誠に微妙であると言わざるを得ない。よって、このnews23でのSPEEDIデータの扱い方は、どうしても「後づけの批判」であるとしか思えない。