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さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

まだまだテレビ局にはカネが余ってる証拠でしょ<東海テレビ、いきなり「セシウムさん」テロップ事件

2011-08-05 04:48:27 | Weblog

今までBSで、サッカー日本女子代表のW杯ドイツ戦の再放送を見ていた。再放送でも、実況スレは大いに盛り上がっていた。DFやGKが120分、必死に守り通した上での勝利だったのだとよくわかる。

 

で、昨日から世間を騒がせているのが、東海テレビでの「セシウムさん」テロップ事件である。

私もyoutubeなどで動画を見たが、通販か何かの商品紹介をしているときに、脈絡も何もなく、以下の画面に切り替わった。音声はその直前の商品紹介の続きのままだったので、素人が見てもミスとわかる画面表示だった。これが、23秒間流れたとのこと。

 

 

この事件についてはネットでも批判が集中しており、さすがに、東海テレビのキー局のフジテレビでさえ、午後11時半からの「ニュースジャパン」で扱っていた。

また、昨日深夜から、東海テレビのトップページに以下のような表示が出るようになっている。

 

この事件を、「不謹慎だ」と表現しても何も意味はない。「不謹慎だ」という言葉に、多くの人が共感できる「基準」が、現代社会においては存在しないも同然だからである。

むしろ、震災直後は「不謹慎だ」という言葉で他者を非難することで、根拠のない同調圧力的な空気を作らないようにすべきだと提言していたマスコミさえある。そう、あの朝日さんである。

 

「自粛」「不謹慎」同調圧力に警鐘 識者ら(朝日さん 2011年4月5日11時5分)

 歴史的な災厄に直面する日本社会に今、「正しさ」を錦の御旗に掲げた同調圧力が働き始めてはいないか。識者たちから、そのような懸念が聞こえ始めている。オールジャパン的な体制が必要視される状況にあって、「団結」の内実を問おうとする視点だ。

 「私は『自粛』『不謹慎』反対運動を立ち上げることにしよう」。ジャーナリストの佐々木俊尚は週刊ポスト4月1日号に、そう記した。

 ある音楽公演に「不謹慎だ」「節電しろ」と批判が相次いだことを紹介。「節電は必要だが、我々は普通に経済活動をし、日常生活を送ればいいのだ」と述べたうえで、こう警鐘を鳴らした。「『人がつながって一致団結する』ということと、『圧力をかける空気をつくりだす』という行為は表裏一体で、容易にダークサイドに転ぶ」

 フランス現代思想が専門の内田樹も同誌で、「『この非常時に、そんなふるまいが許されるか』という恫喝(どうかつ)から『非国民』という名指しまではわずかの距離しかない」と述べた。

 作家の高橋源一郎は3月下旬、ツイッターで「祝辞 『正しさ』について」と題する連続ツイートをした(http://togetter.com/li/114133)。

 震災を前に「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴える学生に、「『正しさ』への同調圧力」に押しつぶされないように、と助言する。悲劇を前に連帯や希望を語ることは「正しい」。しかし「社会の全員が同じ感情を共有しているわけでは」ないのだよ、と。

 「自分にとって大きな負担となる金額」を寄付する意思を明かしつつ、それも「正しいから」ではなく「ただ『時期』が来たから」するのだと、正月に還暦を迎えた作家は記した。

 「気をつけて」と、高橋はツイートで次世代に呼びかけている。「『不正』への抵抗は、じつは簡単です。けれど、『正しさ』に抵抗することは、ひどく難しいのです」(塩倉裕)

 

何だか小難しく言葉を転がしているだけで、要するに「根拠が薄い言葉で他者を批判する空気を作ると、逆に自分たちにその矛先が向くと、抵抗しづらくなるよ」と言っているだけの駄文である。

ゆえに、この東海テレビの事件も、「不謹慎だ」という言葉で批判することには意味がない。批判したければ、これだけ意味が明確な言葉で行うべきである。すなわち、

 

東海テレビの制作者(社員とは限らないかも知れないので)たちにとっては、

「怪しいお米 セシウムさん」「汚染されたお米 セシウムさん」という言葉を、「仮テロップ」として、言葉遊びとして使えるくらい、

テレビ番組の制作という現場は、ふざけた言葉遊びをしながらでも給料がもらえる(=収益が上がる)、実に楽な業界なのですねえ。

 

ということだ。

さらに、このテロップの作成者が東海テレビ社員かどうかに関係なく、テロップのチェックをするディレクターは、東海テレビの社員のはずだ。だとすれば、ディレクターレベルで見ても、この程度の言葉は、「言葉遊び」として許容できるレベルの「大したことないダミーテロップ」である、ということになろう。

そして、ディレクターに限らず、画像や音声を管理する担当者が、まちがえてこういう映像を出す可能性を考え、間違って映像が出てしまっても問題がない範囲の「言葉遊び」にとどめさせようとする上司が、この現場にはいなかったということである。

上に貼った「おわびのページ」では、

 

・今後はこのようなことが二度と起きないよう、社内の綱紀粛正を図るとともに改めてコンプライアンス意識を徹底させました。

 

と書いてあるが、「綱紀粛正」と「コンプライアンス意識の徹底」で、こういう問題は生じなくなるのかという根本的な問題には一切触れていない。その意味で、上に貼った「おわびのページ」も、全く意味のない、視聴者をバカにした、形だけのもので終わっている。

「仮テロップを作るときは、まちがえて放映されたときのことを考え、言葉遊びも無難なものにしておけ」という「綱紀」ないしは「法令」「ガイドライン」なるものがすでに東海テレビにあったのか?だとしたら意味のあるおわびだとは思うが、おそらくそんなものはないであろう。

ということは、どのような綱紀を守るのか、どのような法令・ガイドラインを守るのか、上記のおわびページでは、何も語っていないことになる。

この事件は、このことこそ問題である。とりあえず頭を低くして、「東海テレビ叩き祭り」が過ぎるのを待てば、そのうち視聴者は忘れてくれるだろう。それまでの辛抱だよと、現場の連中は心の中で舌を出しているようにしか見えないのである。

言葉の意味を考えない「おわび」は、対象者をますます怒らせるだけである。東海テレビというテレビ局は、そんなイロハのイすら知らないようだ。この点にも、東海テレビの、お気楽なことをやっていれば楽に給料がもらえるという、実にだらしない内情が透けて見える。

 

私が東海地域に住んでいたのはもう10年以上前だが、当時から東海テレビは軽かった。キー局のフジテレビの軽いところを強化したようなものである。上のテロップにもある、

「夏休み プレゼント主義る祭り」

という言葉にも、その軽さはよく表れている。「プレゼント主義る」が、「プレゼントすぎる」からの変形だとしても、「プレゼントすぎる」ってどういう意味なの?とツッコミを入れるのが「野暮」なテレビ局なのだろう。

そういえば、週刊ポスト2011.07.15号では、

「テレビ視聴率大暴落 タブーな内幕」

と銘打ち、テレビの平均視聴率がこの数年でどれだけ落ちているか、そのせいで、どれだけ番組の制作費が削られているかを特集していたが、実際にはこの東海テレビと似たり寄ったりであろう。制作費は削るけど、社員の年収は下げないようにきっちりソロバンははじく。番組内容も、「最近ネットが強くて」を言いわけにすれば、視聴率が低くてもそんなに困らない程度のものである。だから相変わらず現場での「ノリ」を大切にするような番組作りなのだろう。

そうとでも解釈しなければ、上のような仮テロップを、どういう発想で作ったのか、少なくとも私には全く理解できない。

 

待てよ。穿った見方をすれば、こういうテロップを作ったバカがいると、わざとまちがえてこのテロップを放出することで、放送業界のひどい内情を暴露しようとした確信犯が、このスタッフの中にいるのかも知れない。

しかし、そうだとしても、本番前に直接上司に、このテロップがもし放送事故として本番に流れたら大問題になりますよという苦言を呈することさえできない会社が東海テレビなのだということをさらけ出すだけである。

 

最後に、もう一度要点を繰り返しておく。この事件は、この仮テロップが不謹慎かどうかではなく、こういう仮テロップが普通に使える現場の「親方日の丸的体質」にポイントがあるだろう。東海テレビに限らず、テレビ業界はまだまだ安泰であるということがよくわかる事件であった。



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2 コメント

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水徒然 (tetsu)
2011-08-06 08:53:40
初めまして。
先行き不透明な、除染・浄化対策(案)も指示されていない現状先行き不安ですね。
もう少し、まじめに報道をしないと困ります。
 文中に「親方日の丸」という表現に目が止まりました。
無政府状態の現状。
よく使われている「国」「権力」「政府」「官僚」(政治経済を動かしているもの?)という言葉がありますが、「親方日の丸」とは一体何を意味しているのでしょうか?
 封建時代の名残なのでしょうか?

 今の日本の場合、一体どんな仕組み、バランスで誰(どこが)がイニシアチブをもって発動、統制しているのでしょうか?基本的には、政府(首相)、与党だとは思っていますが、・・・。
 特に、有事に対する復旧・備え、エネルギー方針転換における予算配分など、はっきりしていないと思いますが・・・・。

 選挙の仕組みを変えて、「3バン」がなくても、もっと見識のある人物を選択しないと、・・・。心配ですね。
 一次的な傀儡政権?では何もできないシステムなっているのでしょうか?
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コメントありがとうございます (白河)
2011-08-06 16:34:25
「親方日の丸」とは、こういう放送ミスをしても、(部分的なものも含めた)停波処分を受けることがない、現状のテレビ業界のぬるま湯状態のことを指します。

放送法第3条には、国内の番組について「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などの義務規定を設定していますが、これらを守らなかった場合の罰則が何も設定されていません。

さらに、テレビ局と新聞、局によってはそれにラジオ局も合わせて一つの企業グループを形成している点も、マスコミ系列企業一社の発言力を必要以上に大きくしている原因となっています。こういう状況では、「報道の自由」の建前の下に、一部のマスコミ企業グループが好き勝手に「情報流布」することを可能にしてしまいます。

報道の自由という概念は非常に重要ですから、罰則として国家権力が介入する余地はできるだけ排除すべきだと私も思っていますが、現在の日本のマスコミ体制は、私企業どうしによる相互チェックがあまりにも弱いですね。

こういう状況全体を指し、「ある放送局(もしくは新聞社)で驚くべきミスがあったとしても、停波するぐらいの事態にはならないだろう」と、マスコミの経営陣が安心しきっている状態を「親方日の丸」と表現しました。
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