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「NHKに圧力はかかったのか?」問題はどこへ行く

2005-01-20 05:22:43 | Weblog
 ウチは朝日ではないのであまり気にしていなかったが、「NHK番組に対して、安倍晋三氏が番組内容変更の圧力をかけたかかけなかったかという問題」がテレビと朝日新聞でしつこく扱われている。一昨日、TBSラジオの「アクセス」をたまたま聞いていたらそのテーマを扱っていたが、ネットや電話などの媒体によって「政治家の放送に対する圧力を認める/認めない」の割合が見事に逆転していた。参考までに書いておくと、確か

電話では、「認める:認めない」=1:9
ネットでは、「認める:認めない」=9:1

であったと記憶している。統計学的にはいろいろツッコめそうだし、「ネットは右傾化か?」などと激論をしたくなる人もいるだろうが、それは置いておいて、「トータルすると半々なのか」くらいの印象を私は持った。


 また、昨日は朝日新聞の取材を受けたとされるNHKの幹部職員が記者会見し、「政治的圧力や介入があったとは全く思っていない」と強調した。

安倍氏面会の圧力を否定-NHK当時の放送総局長が会見(サンスポ)
NHK幹部が会見し完全否定(読売新聞)
※朝日は今の時点で、手頃な記事が見つからない。

 このページをざっと読んでもそうだし、テレビを中心とした一連の報道やコメントを聞いて思うのが、「圧力の範囲ってどこからどこまで?」という議論がボコッと欠落しているということだ。

 朝日新聞は権力批判でメシを食っているという自負があるだろうから(半分以上皮肉)、政治家がテレビ内容について「公正中立であってほしい」程度の発言をしても「圧力」と取りたがるであろうことは、当然のごとく理解できる(納得できるかどうかは別だが)。ただ、その程度の発言や行動を「圧力」と言うのであれば、今の日本のテレビ番組を巡る状況は圧力ばかりである。朝日ともあろう者が、なぜここを論点にしないのか、全く理解できない。

 例えば、選挙の季節になるたびに、「報道が不偏不党かどうか」が問題となるのだが、これがさらにさまざまな問題を引き起こす。昨年の参議院選でも、投票1週間くらい前に、テレビ朝日の「報道ステーション」が、民主党の「次の内閣」発表(民主党が政権取ったらこのメンツが大臣やるぞ!のお披露目)を大々的に採りあげたという出来事があった。自民党はこれに対し「明確に激怒」した(笑)。すなわち、

「投票日直前に、民主党のあからさまなパフォーマンスに乗るとは何事だ!テレビ朝日は選挙報道を通して、民主党に有利な報道をしようとしている!!」

という抗議をテレビ朝日にしたらしい。その報復(!)として、自民党本部は、「投票直後の自民党議員のテレビ取材を断れ」というお達しを自民党候補者に下したのだ(この問題が、選挙直後の「朝まで生テレビ(テレビ朝日)」で田原総一朗によって採りあげられたので、一般人の知るところとなった)。そんなわけで、確か多くの自民党候補者が、当選直後のインタビューを、テレビ朝日に対してだけ断っていたはずだ。

 いかがであろう。朝日新聞的には、こちらの事件の方がはるかに「圧力」と呼ぶにふさわしかろう。朝日新聞的には、「不偏不党という言葉をてこに使うことで、報道の自由を侵害している!!」と激怒してしかるべきところである。しかし、この問題は、私の知る範囲ではあるが、今回の事件よりはるかに小さなモノとして、すなわち「なかったもの」として扱われたようだ。一体なぜだろう…。結局私には、朝日の「むら気」にしか思えないのだ。朝日には失礼だが。

 私はここで朝日新聞を叩きたいのではなく、「圧力」や「不偏不党」、そして今回は「公平中立」などの言葉の意味内容を議論しないまま、お互いに煽り合っているから小学生の学級会みたいな「言い合い」のレベルに落ちている、ということを指摘したいのだ。先ほどのラジオも、圧力を認める/認めない以前に、圧力とは何なのかを突っ込んで議論してほしかったのだが、番組の最後まで一応聞いても、そういう話は出てこなかった。残念である。

 あらゆる議論において、キーワードの定義は、きわめて重要である。大人達もこのように、定義の問題を外れて議論が徒労に終わり(かける)ことがよくある。受験生や大学生ならなおさら肝に銘じておくべきことであろう。 

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