大正12年(1923)の関東大震災で焼失を免れた大蔵省の文書
「震災焼残文書」が展示されていた。
その文書は大蔵省が昭和40年代に焼残文書として一括して整理
されたもので、一部には焦げたような跡があり、当時の面影を残し
ている。
写真でも判るとおり、大震災の被害は甚大で大蔵省だけでなく各
省も公文書をなくしている。そんな苦い経験を生かし大蔵省はコン
クリート製の不燃書庫を建造している。
ところがまたしても災難が待ち受けていた。1940年、落雷による
火災により大蔵省の事務室内に置いてあった文書を失う。しかし一
方で、不燃書庫に納められていた「昭和財政史資料」は難を逃れる
ことができた。
(千代田区北の丸公園3-2)
「震災焼残文書」が展示されていた。
その文書は大蔵省が昭和40年代に焼残文書として一括して整理
されたもので、一部には焦げたような跡があり、当時の面影を残し
ている。
写真でも判るとおり、大震災の被害は甚大で大蔵省だけでなく各
省も公文書をなくしている。そんな苦い経験を生かし大蔵省はコン
クリート製の不燃書庫を建造している。
ところがまたしても災難が待ち受けていた。1940年、落雷による
火災により大蔵省の事務室内に置いてあった文書を失う。しかし一
方で、不燃書庫に納められていた「昭和財政史資料」は難を逃れる
ことができた。
(千代田区北の丸公園3-2)