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塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 陰秘録

2015-01-14 05:41:57 | ミュージアム巡り_2015
 町奉行の名裁きといえば、大岡越前守忠相(1677~1751)が有名。
享保2年(1717)2月から元文元年(1736)8月まで江戸南町奉行を務
めた大岡は、八代将軍吉宗の改革の一翼を担ったこともあり、亡く
なった後も講釈などの民衆娯楽で伝説的な名奉行として称えられて
いる。
 その“大岡裁き”は、後の「大岡政談」などに納められたほとんど
の話が完全な創作か、他の奉行の事績とされている。この背景には、
悪がえん罪の無いように懲らしめられる正しい裁判を希求する庶民
の願いがあったからだ。

 展示された「陰秘録」(全1冊、昌平坂学問所旧蔵)は、大岡の死
後20年に満たない明和6年(1769)の奥書のある写本で、大岡裁きの
小話が多数収録されている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 諺芥集

2015-01-13 05:44:41 | ミュージアム巡り_2015
 次の「諺芥集」(げんかいしゅう、成立年不詳、全5冊、北川狂歌
堂旧蔵)は、繰り返し禁じ手も後を絶たない博打を取り締まるため、
京都所司代・板倉勝重が打ち出した斬新な対策が紹介されている。
その内容が、博打で負けた分を訴えがあれば所司代が取り返すとい
うもの。

 また同書には、曲淵景漸が大坂町奉行(1765~69)の時にスリの被
害を少なくするため、スリ全員に浅黄頭巾(あさぎ色の頭巾)を被ら
せた話も掲載。
 多くのスリにどのように頭巾を被せたのか、またその効果はいか
ほどだったのか、被害を減らすための方法として、この秘策は本当
にあったという。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 本朝桜陰比事

2015-01-12 06:06:14 | ミュージアム巡り_2015
 次の「本朝桜陰比事」(元禄2年・1689、全5冊、昌平坂学問所
旧蔵)は、「好色一代男」などの作品を生んだ井原西鶴が著した裁
判物語。それは、卓越した裁きで訴訟事件や犯罪を解決した44話
を収録。

 展示資料の話は、“四つ五器かさねての御意”。内容は、京に漆
器を売りに来た売り子が盗難に遭う。盗人を捕らえるが、その盗人
は町の人々に“自分こそ盗難の被害者だ”という。はたしてどちら
が盗人か、判断に迷い訴えたところ、御前が見事に裁く。

 これには原話があり、中国の「裳陰比事」の「符盗並走」で、板
倉重宗の裁判話として、西鶴が小説的に仕上げている。西鶴が板倉
の裁判話にしなかった理由は、当時の裁判話が文学作品として徐々
に受容されてきたことが伺える。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 板倉政要記

2015-01-11 05:39:46 | ミュージアム巡り_2015
 江戸時代の裁判の判決は、担当する奉行が判例を参考にしながら
下すため、刑の決定はその時々の担当者の判断にゆだねられた。そ
の結果、名裁きは庶民の話題となり、その裁きを題材にした物語も
誕生している。
 次の「板倉政要記」は、板倉勝重・重宗の親子二代にわたり京都
所司代を務め、その優れた施政と名裁きの記録と裁判の例の書で、
元禄(1688~1704)以前に成立している。
 裁判の実例よりも文学的色彩が強く、中国の裁判実話集「棠陰比
事」(13世紀成立)にある原話を翻案した内容もある。

 同記は日本で最初の裁判物語で、後の「本朝桜陰比事」や「大岡
政談」などに影響を与えている。同記の中には、酒を強く勧めた人
も責任を問われた判例“酒狂人之事”など、現代に通じる内容も含
まれている。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 元禄御法式

2015-01-10 05:24:54 | ミュージアム巡り_2015
 「公事方御定書」以前にも「元禄御法式」という裁判に関する文
書が作成されている。
 これは明暦3年(1657)から元禄12年(1699)の間に、小伝馬町の
牢に収監された者の判例「御仕置裁許帳」を引用して条文の形式に
編集したもの。
 また、それぞれの罪について相当する刑を示して裁判の準拠した
「公事方御定書」と異なり、複数の判例(死罪や赦免等)を挙げてい
るのが特徴。そのため、先例を速やかに調べ上げるために編集され
たことが伺える。当時の手引き書としての参考書である。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)