終戦後の8月28日、連合国軍の先遣隊が厚木航空場に到着し、9
月15日には東京・日比谷の第一生命相互ビル内にGHQ本部が置か
かれた。それから連合国軍は日本各地に進駐する。

そこで目にするのは進駐軍のジープだった。おもちゃ業界は人気
のジープの玩具を量産する。模型の他、鉛筆削りやお菓子のクッキ
ーまであった。

その中で、戦後初の金属玩具といわれる「小菅のジープ」(ブリキ)
がある。小菅松蔵さんが軍需用のブリキを使って手作業で金型を作
り、塗装は吹き付け、動力は輪ゴムだった。
製品を入れる箱はなく、むき出しで京都の丸物デパートで10円
で売り出された。時は1945年のクリスマスとあって、瞬く間に数
百個の在庫が売れたという。
爆発的な人気は東京にも伝わり、多くのおもちゃ会社がジープを
製造し業績を伸ばしたという。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
月15日には東京・日比谷の第一生命相互ビル内にGHQ本部が置か
かれた。それから連合国軍は日本各地に進駐する。

そこで目にするのは進駐軍のジープだった。おもちゃ業界は人気
のジープの玩具を量産する。模型の他、鉛筆削りやお菓子のクッキ
ーまであった。

その中で、戦後初の金属玩具といわれる「小菅のジープ」(ブリキ)
がある。小菅松蔵さんが軍需用のブリキを使って手作業で金型を作
り、塗装は吹き付け、動力は輪ゴムだった。
製品を入れる箱はなく、むき出しで京都の丸物デパートで10円
で売り出された。時は1945年のクリスマスとあって、瞬く間に数
百個の在庫が売れたという。
爆発的な人気は東京にも伝わり、多くのおもちゃ会社がジープを
製造し業績を伸ばしたという。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
終戦を迎えると日本のおもちゃは進駐軍兵士の間で、帰国時の土
産物やプレゼントとして人気を博す。
1945年12月21日から1ヶ月間、上野公園の日本美術協会会館で
日本玩具博覧会が開催され、戦前の品質の良いおもちゃを集めて展
し、進駐軍関係者へ日本のレベルの高いおもちゃの認識をアピール
している。
1947年2月20日には、おもちゃだけでなく日用品などの輸出品
はGHQより「メイド イン オキュパイド ジャパン」(占領下日本製)
という刻印を押すことを義務づけられる。

1949年にはこの刻印の他に、「メイド イン ジャパン」と「ジ
ャパン」の刻印も選択できるようになる。
写真は、1951年から製造された「B29爆撃機」(ブリキ)で、車輪
を回すとプロペラが回る、はずみ車(フリクション)の頂点モデルで、
当時、アメリカで爆発的な人気を集めた。

そして、マッカーサー人形(1943年・アメリカ製、コンポジシ
ョン)で、この人形はおが屑と粘土を混ぜ合わせたものを型抜きし
て作られている。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
産物やプレゼントとして人気を博す。
1945年12月21日から1ヶ月間、上野公園の日本美術協会会館で
日本玩具博覧会が開催され、戦前の品質の良いおもちゃを集めて展
し、進駐軍関係者へ日本のレベルの高いおもちゃの認識をアピール
している。
1947年2月20日には、おもちゃだけでなく日用品などの輸出品
はGHQより「メイド イン オキュパイド ジャパン」(占領下日本製)
という刻印を押すことを義務づけられる。

1949年にはこの刻印の他に、「メイド イン ジャパン」と「ジ
ャパン」の刻印も選択できるようになる。
写真は、1951年から製造された「B29爆撃機」(ブリキ)で、車輪
を回すとプロペラが回る、はずみ車(フリクション)の頂点モデルで、
当時、アメリカで爆発的な人気を集めた。

そして、マッカーサー人形(1943年・アメリカ製、コンポジシ
ョン)で、この人形はおが屑と粘土を混ぜ合わせたものを型抜きし
て作られている。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)