フリクション機能の次ぎに登場したのが、電池式の玩具だった。
おもちゃの技術は大戦後、精巧な造りのものに取って代わる。それ
を“アクション玩具”と呼んだ。

さらに、無線操縦のラジオコントロール(ラジコン)機能のついた
「ラジコンバス」(昭和30年代)は、おもちゃの増田屋が世界で初
めて発売したもので、梱包には発泡スチロールが使われている。

そして同じく昭和30年代に登場したのが「SONICON BUS」。こ
れはラジコンに対抗して作られた波動で動く玩具で、笛を吹くとア
ンテナが回り、その向いた方向へバスが走り出すという精巧なもの
だであった。


その他、ブリキの精巧なおもちゃも登場する。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
おもちゃの技術は大戦後、精巧な造りのものに取って代わる。それ
を“アクション玩具”と呼んだ。

さらに、無線操縦のラジオコントロール(ラジコン)機能のついた
「ラジコンバス」(昭和30年代)は、おもちゃの増田屋が世界で初
めて発売したもので、梱包には発泡スチロールが使われている。

そして同じく昭和30年代に登場したのが「SONICON BUS」。こ
れはラジコンに対抗して作られた波動で動く玩具で、笛を吹くとア
ンテナが回り、その向いた方向へバスが走り出すという精巧なもの
だであった。


その他、ブリキの精巧なおもちゃも登場する。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
大戦後からは、ゼンマイ仕掛けのおもちゃからフリクション玩
具が人気を得る。玩具内部にはずみ車と呼ばれるフライホイール
が内蔵され、車輪の摩擦を原動力として作動した。
1957年10月4日、ソビエトが人類史上初の人工衛星「スプー
トニク1号」を打ち上げる。アメリカは1969年7月20日、アポ
ロ11号によって人類初の月面着陸を成し遂げる。

この「MOON ROCKIT」(ブリキ)は、横になった状態で走り、
突然立ち上がりながら止まるフリクション機能が搭載されていた。
さらに搭乗口が開いて階段が下がり、宇宙飛行士が出てくる仕掛
けも備わっている。

宇宙ものでは、地球儀貯金箱やアポロ宇宙船、月旅行積み立て
貯金箱も登場。

さらには、「原子力発電所」(昭和30年代後半)と名付けられ
たおどろしい玩具は、アルコールを用いて点火し、蒸気を作って
稼働させる精巧な化学実験タイプもあった。

もう一つ興味のものがあった。「蒸気玩具」は、蒸気を発生さ
せるもので、右のホイールを回し、他の玩具と接続して動力源と
して使っていたという。ドイツ・BING社製、明治の頃のもの。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
具が人気を得る。玩具内部にはずみ車と呼ばれるフライホイール
が内蔵され、車輪の摩擦を原動力として作動した。
1957年10月4日、ソビエトが人類史上初の人工衛星「スプー
トニク1号」を打ち上げる。アメリカは1969年7月20日、アポ
ロ11号によって人類初の月面着陸を成し遂げる。

この「MOON ROCKIT」(ブリキ)は、横になった状態で走り、
突然立ち上がりながら止まるフリクション機能が搭載されていた。
さらに搭乗口が開いて階段が下がり、宇宙飛行士が出てくる仕掛
けも備わっている。

宇宙ものでは、地球儀貯金箱やアポロ宇宙船、月旅行積み立て
貯金箱も登場。

さらには、「原子力発電所」(昭和30年代後半)と名付けられ
たおどろしい玩具は、アルコールを用いて点火し、蒸気を作って
稼働させる精巧な化学実験タイプもあった。

もう一つ興味のものがあった。「蒸気玩具」は、蒸気を発生さ
せるもので、右のホイールを回し、他の玩具と接続して動力源と
して使っていたという。ドイツ・BING社製、明治の頃のもの。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
進駐軍は、アメリカ本土でおもちゃの供給不足を解消するために、
日本と小麦やトウモロコシなどの食糧品との物品交換として、おもち
ゃの輸出を奨励していく。
日本のおもちゃ産業は、占領軍による支援政策において復興が早ま
り、制作技術も戦前のレベルに達してくる。

木製の「シューティングゲーム」には、日米の人気キャラクターが
描かれている。また、セルロイド製の「水兵さん人形」の服は布が使
われている。それらの日本製品には占領下日本製を示す「occupied
japan」のシールが足の裏に縫い込まれていた。


さらに、昭和の初期から30年代まで浮きもの玩具として風呂場や
水場で遊ばれた「金魚のガラガラ」(ブリキ、陶製、セルロイド)の裏
にも「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の刻印が印刷されていた。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
日本と小麦やトウモロコシなどの食糧品との物品交換として、おもち
ゃの輸出を奨励していく。
日本のおもちゃ産業は、占領軍による支援政策において復興が早ま
り、制作技術も戦前のレベルに達してくる。

木製の「シューティングゲーム」には、日米の人気キャラクターが
描かれている。また、セルロイド製の「水兵さん人形」の服は布が使
われている。それらの日本製品には占領下日本製を示す「occupied
japan」のシールが足の裏に縫い込まれていた。


さらに、昭和の初期から30年代まで浮きもの玩具として風呂場や
水場で遊ばれた「金魚のガラガラ」(ブリキ、陶製、セルロイド)の裏
にも「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の刻印が印刷されていた。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
時代は再び遡り、昭和10年代に横浜にあったおもちゃ問屋が使
用した輸出向けのおもちゃの見本帳が展示されていた。

これは、おもちゃの寸法や通し番号が書き込まれ、この見本帳を
元に問屋は注文を受けたという。

同じ時代の「マジックボート」は、樟脳舟とも呼ばれ、舟元に樟
脳の欠き片を載せて、水面を走らせるもの。
そして昭和初期の頃、国産ゼンマイの品質が向上し、歯車やカナ
の改良も進むと、金属製玩具の動きも複雑化して音響や発火動作も
加わる。

「戦闘機D-O35」は発火玩具で、ライター石やヤスリをゼンマイ
仕掛けの中に組み込み、火花が散るように工夫されている。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)
用した輸出向けのおもちゃの見本帳が展示されていた。

これは、おもちゃの寸法や通し番号が書き込まれ、この見本帳を
元に問屋は注文を受けたという。

同じ時代の「マジックボート」は、樟脳舟とも呼ばれ、舟元に樟
脳の欠き片を載せて、水面を走らせるもの。
そして昭和初期の頃、国産ゼンマイの品質が向上し、歯車やカナ
の改良も進むと、金属製玩具の動きも複雑化して音響や発火動作も
加わる。

「戦闘機D-O35」は発火玩具で、ライター石やヤスリをゼンマイ
仕掛けの中に組み込み、火花が散るように工夫されている。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)