goo blog サービス終了のお知らせ 

塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り オキュパイドJおもちゃ 戦時下

2013-12-11 05:41:41 | ミュージアム巡り_2013
 昭和12年から終戦までの時期は、おもちゃも戦時色の強い製品
が増えてくる。それにより物価統制が敷かれ、1938年には銅や真
鍮、鉄鋼を使った国内向け玩具の製造禁止令が出される。
 その2年後には、金属類や金、銀等を衣服、その他の民生品に使
用することが禁止され、統制品は軍需品に向けられる。
 そのため、おもちゃメーカーの打ち出した方法がブリキ材をスト
ックして、代用品の圧縮ボール紙や木、竹等の素材を使用し、動力
もゼンマイからゴムの動力に転換する。
 さらに戦局が悪化してくると、小国民の戦意昂楊を目的に双六や
家族合わせ印刷おもちゃが登場する。

 写真は、お面や軍人遊びが出来る用具、装甲車。

 次の写真は、戦費不足で国民に貯蓄と献金を奨励した「報国貯金
箱」や、白い割烹着姿で出征する軍人の世話や見送りをする「大日
本国防婦人会」人形(陶製)。

 いろはかるた、97式飛行機とガスマスクの貯金箱、陶器の飛行機。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)


ミュージアム巡り オキュパイドJおもちゃ 鉄棒と幸福

2013-12-09 05:40:45 | ミュージアム巡り_2013
 戦意高揚を目的とした「肉弾三勇士」の量産により、国内に広ま
った中、ホッとした安息を求められるようなおもちゃも作られた。
 それは、ゼンマイを巻くとセルロイドの人形が前後に揺れながら、
ハンドルバーを軸にして回転する「TRICKSFEATS SWINGING」と
名のついた輸出玩具(昭和初期)。構造はシンプルだが、精巧なおも
ちゃである。
 そして、「HAPPY LIFE」(幸福な時代)と名付けられたゼンマイ
仕掛けのおもちゃ。“長椅子が揺れる”“人形が首を振る”“パラソルが
回る““5色玉が音を立てる”“水鳥が回る”“鳥が鳴く”と6動作を20分
間続ける精緻なおもちゃだ。
 この製品には120パーツの部品と、製作者は350箇所を施行
したという、当時のロングセラーだった。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)


ミュージアム巡り オキュパイドJおもちゃ 昭和時代

2013-12-08 06:09:59 | ミュージアム巡り_2013
 大正から昭和になると、1929年の世界大恐慌で日本経済も混乱
を来す中、玩具産業は輸出産業として重きがおかれ、それから6年
後には日本のおもちゃは最盛期を迎える。中でもアメリカのおもち
ゃ輸入製品の75%が日本製だったという。
 日本のおもちゃの人気は、単価が安いうえに、仕掛けのアイデア
で人気が高かった。セルロイドからゴム、金属製品と主力の素材も
代わり発展していく。
 ただし、この好景気も1937年に始まった日中戦争で、アメリカ
が輸入抑制を強いたために、輸出が減少していく。
 この時代に誕生したのが、「肉弾三勇士」また「爆弾三勇士」だ。
これは、1932年の第1次上海事変で国民革命軍に対して決死隊が
選ばれ、江下武士、北川丞、作江伊之助の3人の活躍で英雄化され
たもの。その後、映画化や書籍まで登場しブームとなった。
 写真の上段は、三勇士の素焼きの蚊取り鉢(昭和初期)で、上面に
は穴が幾つか空いており線香の煙が出る。
 下段の左側は、セルロイド製(昭和7年以降)で破壊筒を持ってい
る。3人の顔の表情がハッキリと描かれている。そして、右側は、
ブリキ製(昭和7年)で、こちらはそれぞれが破壊筒を持っている。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)

ミュージアム巡り オキュパイドJおもちゃ キューピー

2013-12-07 06:46:17 | ミュージアム巡り_2013
 キャラクター玩具のひとつ「キューピー」。
 1909年にアメリカのローズ・オニールによって生み出され、大
正初期にキューピー人形の量産と日本への輸入が始まる。
 おもちゃだけでなく子供雑誌や絵本、商業広告にも掲載されてキ
ューピーが普及していく。

 写真はセルロイドとブリキで作られた三輪自転車に乗るキューピ
ーで、ドイツ製が手本になっている。なんと背中にはうちわのよう
な羽根が付いている。ゼンマイで動いたのだろう。

 また、キャラクター玩具のひとつ、「ノンキナトウサン」がある。
1923年11月26日の号から報知新聞に4コマ漫画が掲載される。
作者は麻生豊さん。
 この掲載は同年9月に起きた関東大震災後の復興の目的で、国
民の気持ちを明るく愉快にしたいという主旨で連載が始まる。
 内容は失業中ながら楽天的で、いろんな職種にチャレンジする
愉快な主人公のキャラクターが親しまれ、大変な人気となる。
 この写真の上段にはブリキのトウチャンコマ、下段にはハッピ
ー・フリーガン(アメリカ輸出用)やノンキナトウサンの首振り人
形、正チャンの首振り人形もあった。
 この人形を見ると、笑福亭鶴瓶さんを思い出す。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)

ミュージアム巡り オキュパイドJおもちゃ 二号海軍ボート

2013-12-06 05:38:05 | ミュージアム巡り_2013
 おもちゃの先進国はドイツで、世界の消費量の約半分を製造して
いたという。しかし、第一次世界大戦の影響でドイツのおもちゃ産
業も壊滅的な被害を受ける。
 日本は、大正時代に入ると経済産業も発展し、ドイツに代わって
おもちゃが海外に進出していく。
 この頃から新聞や雑誌、ラジオ放送、映画などで親しまれたモデ
ルのキャラクター玩具が登場してくる。
 写真は大正末期のブリキ製「二号海軍ボート」で、ゼンマイ仕掛
けの製品。なんとパッケージ付きで残されていた。
(杉並区郷土博物館別館・杉並区天沼3-23-1)