崇峻元年(588年)、飛鳥の地に法興寺(飛鳥寺)が起工され、
養老2年(718年)に平城(現在の地)に移され寺名を「元興寺」
に改められた。この寺こそ仏教推進派であった蘇我氏が建立した
伽藍である。

当時の伽藍は、東大寺が4千町歩に対し2千町歩あった。この大
きさは興福寺が1千町歩、法隆寺が5百町歩と定められていたので
当時の伽藍は広かったことが伺える。

鎌倉時代の「東門」があり、元は東大寺西南院にあったが元興寺
の極楽坊正門として応永18年(1411)に移築されている。
撮影は禁止されていたが、「阿弥陀如来坐像」や「聖徳太子立像」
をじっくりと鑑賞できたことも良かった。
(奈良市中院町11)
養老2年(718年)に平城(現在の地)に移され寺名を「元興寺」
に改められた。この寺こそ仏教推進派であった蘇我氏が建立した
伽藍である。

当時の伽藍は、東大寺が4千町歩に対し2千町歩あった。この大
きさは興福寺が1千町歩、法隆寺が5百町歩と定められていたので
当時の伽藍は広かったことが伺える。

鎌倉時代の「東門」があり、元は東大寺西南院にあったが元興寺
の極楽坊正門として応永18年(1411)に移築されている。
撮影は禁止されていたが、「阿弥陀如来坐像」や「聖徳太子立像」
をじっくりと鑑賞できたことも良かった。
(奈良市中院町11)