紫乃の琴話し

高知県で琴・三弦・二胡の教室を開催している松村紫乃の公式ブログです。
教室の様子や日々の出来事を綴っています。

文化教室木曜講座

2012年11月15日 17時08分00秒 | ノンジャンル
午前中に、田野の教育委員会の安岡氏とコンタクトが取れて、岡御殿で演奏が決まりそうです。

母方の曽祖父が土佐藩最後の大目付役であったので、岡屋敷には、殿様とご一緒に参上、また奉行の仕事で良く行かれたと、子供のころ 祖母がたくさん話してくれた。
年を重ねた今 先祖に対する思いは切なく胸を打つ・・

明日は東京です。松村エリナと二人で演奏前向きに話し合ってくる。

父方の曽祖父は、蘇我一門の出を語りたくなかったようだったし、生前の父の前では、蘇我という言葉も法度であった。、実は誇りであったろうに代々密にして過ごした先祖たち・

父の残してくれた家系図や書物に心を寄せて、千年昔の先祖を想う
(今はあまり蘇我家を悪くは言わず見直されている様だが・・藤原家に何かあると、蘇我の祟りと言われたらしいから)・・妙な因縁で、父方は蘇我家・母の父親(祖父)は藤原家敵対関係の子孫の私・世の因縁を感ずる


文化教室本校受講生はバッチリ弾け出した

筝 レッスン日

2012年11月14日 08時19分00秒 | ノンジャンル
今日は琴のレッスン日です。今月の琴レッスンは、14日・28日の(水)です。(一部三弦レッスン者含む)

21日(水)はコンサート反省会で集まりましょう・

嬉し~い・・菊原光冶先生から電話あり(実は生徒の練習途中先生に電話・折悪しくお留守で要件を留守電入れた)
師から折り返し電話あり『浪速菊』の練習音が留守電に入ってたらしい・初見練習の上無駄話も・・(*_*)恥ずかしいい・

電話の向こうの先生のお声は30年前私が習っていた頃と、ちっともお変わりない

先生作曲の『浪速菊』来年文化祭用に、楽譜三弦譜20冊・琴譜20冊依頼した。

今日は全員『浪速菊』所見譜だが、初めから私三弦と個人琴でマンツーマン合奏でスタート。地歌発声で私の喉は疲れた。皆意欲満々
(挑戦者 川村・坂井・金平・山崎・内田・前島・西村・野村・志村)でした。

チラシ・チケット・パンフレットデザイン料と印刷代金を広島デザイナーさんに送金支払い完了



三弦レッスン日

2012年11月13日 21時19分00秒 | ノンジャンル
急遽 三弦だけのレッスン日で・・

個人レッスン・唄もの古典曲 五人頑張った。

久しぶりの三弦レッスンは、やっぱり気分が良い。

これから古典の発声法など、どこにも負けないように頑張ってもらいたい・実は私負けるのが嫌いで頑張って生きてこられたから・・

明日も邦楽レッスン日・


今回コンサートの委嘱作品の作曲家 川崎先生からメールあり・・また創作をお考えくださってるご様子bomb2
『古事記』の国生み神話・・『土佐国は、優々健依別(たけよりわけ)と謂う』とあり古来雄々しい国とされてきた。

『土佐の霊場』四国八十八渇箇所(二十四~三十九番札所)
いろいろテーマを考えて下さっておられる。私って本当に幸せ者です。

私の先祖の 任申の乱に流刑された”蘇我赤兄をテーマに是非作って欲しい気持ち

感謝の日

2012年11月12日 20時25分00秒 | ノンジャンル
今日ポストに嬉しい便りが・・フルートの重鎮 甲藤先生から流暢な手書きの、心温まるコンサート批評のお手紙をいただいた。

(お手紙抜粋)

美しい音の世界にゆったりと身をゆだね至福の一夕でした。 

ステージの演奏者は表情からして音楽そのものの豊かさ

今夜妻との食卓は余韻の中で格別だったと・・(ご夫妻で聴きに来てくださったようで)

私とエリナの心温まる雰囲気は、これからも郷土ファンのためによろしくと・・

最後に興奮冷めやらぬ初冬灯の下にて。甲藤と筆を置かれていた・・(11月9日)


昔コンサートグループに、大学声楽の先生が推薦くださったことがあったが・・ある邦楽の先輩の反対で入れてもらえず泣いた。もうとっくにその先輩を許す私も大人になった。

陽が東か登ると、華やかでもいずれ西の空に沈むを・目のあたりに実感・人生とはそういうものですねェ・・心豊かに私は生徒たちと生きてゆきたい。

そのコンサートグループの甲藤先生から数年前・paを使ったら生音が台無しだと苦言を下さった。(当時は照明と音響を・・夢を持って効果期待であったが)アドバイス頂いて以来電気音響は使ってない・

コンサートに先生ご夫妻が聴きに来てくださって、100%嬉しい。

生まれて今までのコンサートで、今回は一番充実である。

学芸会的演奏会は好きくないから、発表会風な演奏会は一度もしてこなかったが、それでも演目は稚拙な曲も多々あったと反省

昔は国会議員の塩見俊二先生・仮谷忠夫先生が、私の後援会長や顧問になってくださった時代もある。県議会議員の市原芳郎さんも応援くださった・・皆故人となった。当時は私も甘ちゃんでした。

戴きものお花たち

2012年11月11日 18時24分00秒 | ノンジャンル


エリナに来たお花は、東京に持ち帰りましたが、上は私に来たお花です。

文化教室でレッスン始めたばかりの生徒からもお花やお菓子をイッパイいただきました。お花の中にいるのは幸せ気分です。

今朝早々に甘健民さんから、ありがとうお疲れ様電話ありました。とても至っていて、これからも良いお付き合いができそうです。うんと仲良しになりました。

今日・受付けを担当してくださった昔の門人の和子さんとあう。実はホール満席以上で、消防法に違反だけど定員オーバーの(半券チケット嬉しい悲鳴)
和子さん曰く、紫乃先生が一生涯”heart夢見る夢子さん”だからエリナさんは、苦労しながら立派になったと思うと言う・・

今だに夢見てますョ私は。


こんな仕事で生きてきたので新聞記者さんもたくさん存じてますが、長~いお付き合いの、かつて学芸部記者だった(・・添氏)は人間性が変わらず、どんな時も客席に来てくださり、そして素敵なお花や批評文を下さるのです。エリナも私も幸せもの 御恩は一生忘れてはならじと思う・

エリナと演奏したことのある尺八の先生広島から、わざわざ聴きに来てくださったり、東は室戸市から、西は宿毛市からも、こんな時人の情が身に染みる。有難うございます。