紫乃の琴話し

高知県で琴・三弦・二胡の教室を開催している松村紫乃の公式ブログです。
教室の様子や日々の出来事を綴っています。

オーケストラアジアコンサート

2011年02月25日 23時14分00秒 | ノンジャンル
 エリナの午前中の練習は殺気だって・・プロは集中力が違うと感心

午後・久しぶり王さんと逢って嬉しかった。偶然東南アジア支援センターのNさんと知り合ってこれから新しい世界も見られそう・・音楽で役立てば

夜オーケストラアジアのコンサートを四谷の紀尾井ホールに・・今回の佐藤容子さんに委嘱作品曲は邦楽器での演奏は演奏者泣かせの難曲だと司会の奈良氏は云っていたが、エリナは中心演奏を充分こなして・私の気分はステージママ・

またモンゴル歌手 オドバルに、ソウルから出演 韓国歌手崔修正さん、日本民謡歌手佐々木理恵さんそれぞれの国の言葉で同じ曲を歌った。この三っつの国は同じ文法だから通じるもの多々あり

馬頭琴奏者モンゴルの、チ・ブルグッとさんの演奏は味があった。崔さんのキン アリランはさすが・・心に沁みた

PM11:00時 オドバルさんとエリナから電話あったが、打ち上げの場所からか聞こえにくくて残念


四谷紀尾井ホール演奏中撮影禁止で残念(演奏前の楽器)20弦と17弦・・13弦は全く使用されてない・圧巻 横笛・琵琶・三弦・尺八・打楽器(小鼓・ほか)




五菖様の墓

2011年02月20日 17時30分00秒 | ノンジャンル

曽祖父の弟君である五菖様の墓を訪ねた。没落故に参る人なく元の所から墓所泥棒に追いやられてやっと探した。天満宮に句碑が有ると聞いたので訪ねて見るつもり・・ご先祖あって私の今が有るから・・この墓所の事も役所で聞いてみなければならぬ・・

先祖の墓にも昨年来訪れること久しい・・掛川からの土佐の国入り四百年以上前の墓は茅が凄いこれを又掃除をしなければ栄華を誇った時も有ろうに・・手前の写真に入ってない部分は源太郎氏が二日で茅刈ってくれていた。多分全部終わるのは一ヶ月以上は掛ろう

眼鏡つくったがイマイチ似合わぬ・・少し練習した。

上は、20日記す

(2月21日・・天満宮に五菖様の漢文句碑有り・・奈良五条にいる詳しい歴史を知る従姉に来月は逢いに行き・・これからの人生少し暇をつくって一冊の本にまとめて私の生涯の仕事としたい・・母のルーツだから)・・困った父のルーツ蘇我赤兄は????誰が??


悲観的甘感情

2011年02月18日 11時45分00秒 | ノンジャンル
私は、子供時代から変わった性格で、学生時代は何時も肩を落としてうつむき加減で寂しそうに廊下を歩いていたそうな・・いわば不幸を背負っての雰囲気だったと同級生男子は皆言う。文学少女であったからの関係?・・大体親友は無かったしつくらなかった。B型で喜怒哀楽は尋常でない・・


≪昨日の報告≫高岡教室・レベルアップ曲アップアップでも頑張った・・秋のコンサート曲もスタート
夜本町もbomb2レベルが揃って来た
かるぽーとホール演奏写真が出来てきました。1枚800円想い出に是非買ってみては?申し込みは私のところで受け付けてます。

息子の大学時代の友人の宮君が母にと・・をもって訪ねて来て、慰めの言葉を戴いた。

『想い出』母は昨年ケアハウスから高知新聞の今日の運勢を読んでは其の日の生き方のアドバイスの電話を毎朝かけて来てくれた。"有難うわかったョおかあさんと返事をするも・・私の心上の空・・”電話代が勿体無いにと思ったが、今親心を切ないほどかみしめている。昨今新聞を購読しない人が多いが、母は死ぬ前日までまで新聞を読んだ。生きざまの見本である

≪今日の報告≫お局様中国古筝のレッスン・・目を白黒・・老化防止に一番だァ・・老化予防治療に着てると思えば良いョ

母と交流のあった大久保さん~今日病院にお見舞いに行ったら、先生のお母さんが居なかった・・と泣きながら電話有った

母の祖父と両親

2011年02月12日 17時28分00秒 | ノンジャンル

母の祖父・・源正胤・尾崎要     (土佐藩大目付役)

母の父上・・・藤原朝臣晃實・加藤勇吉郎(医者)わたしからの、この祖父の兄上は・・貴族院議員であった

母の母 

私から言うと・・曽祖父の杯を片手の写真は今日始めて見た ・・ところが曽祖父は下戸であったらしい山内の殿様に”笹の露”をたっぷり注がれて困ってる顔だと・・土佐藩の中一番体格も良くいけ面だったと言うが口が大きいねェ・・けど蓉堂公は詩まで詠まれたそうな・この祖父の実弟に五昌様が居られたが、凄く素敵な方で、殿様のお小姓に望まれたが、それを厭がって俳人になられて一生は俳界でいきたらしい。日曜日に五昌様の墓参りに行く・・すでに壊れかけていたがあるだろうか??

弔いの行脚

2011年02月10日 07時36分00秒 | ノンジャンル
禅宗寺・又道教の寺・天后宮・等々母を想う仏閣弔い行脚 <img src="https://www.m-shino.com/blog-img/middle_1297335440.jpg" border="0">

天后宮澱の弘法大師様・父の実家は神式・母の実家は禅宗・・私の気持ちは摩訶不思議

父は40代前半・・母30代・私10代であったが目の前の父は壮絶な立派な最後で逝った・多感であったが泣くことはしなかった・人前では母も泣かなかった。なのに何故に今こんなに母を愛おしくて悲しいだろう。