紫乃の琴話し

高知県で琴・三弦・二胡の教室を開催している松村紫乃の公式ブログです。
教室の様子や日々の出来事を綴っています。

合奏練習2回目

2012年07月25日 21時40分00秒 | ノンジャンル
昼からず~と委嘱曲の練習・少々疲れたが、”いちじく”パワーで・・スタンバイOK
21:40分帰宅
練習参加に来たいとの敦っこさんからメールを見損ないゴメン・土曜日に少し合奏しようね

お喜美・お敏・お夢の3人 甘いレッスンは辞めた。三弦発声からやり直しです。きっと上手くなると期待。

cow余り【4の5の】考えず残りの音楽人生楽しく生きたい・生徒に囲まれて

土佐女子の邦楽部のマーチン氏の作品曲を、エリナに聴かせてもらった。こじゃんと上手です。

この写真を全国邦楽フェスチバルのパンフェレット用に徳島に送った。
8月上旬に校正用の原稿が届くらしい。」
合奏風景

暑い・もう厭・でも音楽は

2012年07月24日 21時38分00秒 | ノンジャンル
午前中は・・野暮用で時間を・・

午後は遠くの四万十市から・・Yさん中国琴レッスン・難し過ぎのキライあり情熱不足に見えて、レッスン方法を変えた。まずは楽しい曲から地を固める。喜んで(●^o^●)帰った

お喜美さん32個も”いちじく”の差し入れ・・多分全部 数日で(@_@;)私の胃袋におさまるであろう。

夜”南ヶ丘にこの会”練習・
レッスンの部屋の入り口で、内緒で立って聞いたら仰天・ガリガリギーギー音楽とは程遠いと思った。まるで野武士が暴れる有り様

ところが練習開始ユックリ注意したら見る見るスマートになって。意外と私も指導力ありと自己満足の独りよがり

いじめ

2012年07月22日 10時43分00秒 | ノンジャンル
想い出・父の関係である町の引っ越し・少し窮屈になった赤い皮の靴を履いて、お洒落なサテンのリボンを頭にある学校に夢を持って転校した。

・・でも、少し経つと毎日・無視される苛めにあって、休み時間は仲間はずれ・何時も校庭の隅で一人空を眺めていた。仲良く輪になって遊ぶ同級生・親分肌が二人いた。その二人の名前も鮮明に覚えている。中の一人の、子分らしき(近・・さん)は、勝ち誇った表情でフンと私を横目でみやる・・・その表情は悪意に満ちていた。さてクラス週末会議が有ると、女子全員が申し合わせて私を議長に選挙で入れる。そして吊るしあげる・私は泣く・毎回である。今人前で、しゃべられなくなるのはトラウマ・

6年生の頃 自宅の机の引き出しに”死にたいと遺書らしき紙を入れて登校・母は学校に飛んできた。担任は升田という先生だった。少しの間は落ち着いて又同じ事が始まる。私は地獄であったが耐えた・遠足はもっと悲惨だった記憶。
先週”苛め問題が取り沙汰”で思いつき・・遠くにいる、当時のクラスメートの一人のH君に電話、そのことを話したら、僕は苛めてなかったよネと・かばってくれた池・・君は今アメリカで大学教授に・勿論男子生徒には苛められてはなかった。遠い昔の哀しみである。だから今問題の生徒の気持ちは理解できる・何時の時代もある・だが今は又異常


我が城のお局様より早朝 土佐方言『紫乃様西瓜食うかェ?』メールあり・手作りの、おじゃこの佃煮と一緒に差し入れ・・よだれが出そう

今日の昼ごはんは西瓜で~す。

マタマタ怪物になり候・私の夕飯・このかき氷あっと言う間に、5袋喰ったのだぞゥ

蝉しぐれ

2012年07月21日 07時04分00秒 | ノンジャンル
朝朝から蝉合奏(マンションの木々)ベランダに出てチビット喧しいョと囁いて見た。勝ち誇ったように一声大きく唄う蝉・・まァ頑張りやァ

昼から”土佐の幻影”第2組メンバー コピーして早速初見合奏 第Ⅰ楽章を・

夕方私の恩人の(・・菊子サン)を見舞う。親以外で一番恩義のある、お方である。

人はやがて老いて行く事を、目の至りにみて寂しい。

私の母は元気で最後まで生きてくれた悲しむまいと自分に言い聞かせた。母に使った物差しで今から楽譜の線弾きを・『お母ァ~さん』と呟いて物差しに頬ずりした。