わたしの愛読書『クレヨンしんちゃん』に、次のようなエピソードがありました。
怪我をした小鳥を家に持って帰ってきたしんちゃん。
ひろし(父):「(小鳥を手当てしながら)こいつあひでえや」
みさえ(母):「誰がこんなひどいことしたのかしら」
しんちゃん:「ところで今夜の夕食は?」
みさえ:「焼き鳥よ」
ひろし:「いいねえ~、ビールといっしょにクイッと」
聞きながら、小鳥は冷や汗を流す・・・。
本が手元にないので、台詞は言葉どおりではありませんが、このような内容でした。幼稚園児のしんちゃんが、大人の本性を暴いたり、大人の世界の矛盾をついたりすることが、この漫画の笑いのつぼのひとつになっていて、上のエピソードはその典型例です。子どもに対し、生き物の飼育をとおして命の大切さを教えることが教育の一環といいながら(小学校にウサギ小屋がありますね)、給食に平気で牛や豚、それに鳥の死体を出すのが日本の教育です。
ひろしやみさえのように、この矛盾に気づかないのはなぜでしょうか?「肉を食べるのは人間の健康維持のために必要だから。そのためには動物が犠牲になるのは仕方がない」などと考える人もいるでしょうが・・・。
怪我をした小鳥を家に持って帰ってきたしんちゃん。
ひろし(父):「(小鳥を手当てしながら)こいつあひでえや」
みさえ(母):「誰がこんなひどいことしたのかしら」
しんちゃん:「ところで今夜の夕食は?」
みさえ:「焼き鳥よ」
ひろし:「いいねえ~、ビールといっしょにクイッと」
聞きながら、小鳥は冷や汗を流す・・・。
本が手元にないので、台詞は言葉どおりではありませんが、このような内容でした。幼稚園児のしんちゃんが、大人の本性を暴いたり、大人の世界の矛盾をついたりすることが、この漫画の笑いのつぼのひとつになっていて、上のエピソードはその典型例です。子どもに対し、生き物の飼育をとおして命の大切さを教えることが教育の一環といいながら(小学校にウサギ小屋がありますね)、給食に平気で牛や豚、それに鳥の死体を出すのが日本の教育です。
ひろしやみさえのように、この矛盾に気づかないのはなぜでしょうか?「肉を食べるのは人間の健康維持のために必要だから。そのためには動物が犠牲になるのは仕方がない」などと考える人もいるでしょうが・・・。