日本語の「エリート」と、英語でというか、アメリカで使われる「elite」は、意味は同じでもニュアンスが全く異なります。エリートという言葉は、日本では肯定的に使われています。「一流大学を出て、大手商社に勤めるエリート・サラリーマン」と言うように。アメリカでは否定的というか、disapprovingな(非難した)意味合いで使われることが多いです。「elitism(エリート主義)」といえば、ほぼ100%否定的な意味で使用されています。エリートは非民主的で、自分達で国を操って利益を独占しようという陰謀をもっているのでは、という疑いの気持ちがあるように感じます。母国イギリスの王に反抗し、植民地から独立国家を建設したアメリカでは、エリート層に対するこのような見方が、アメリカ史の歩みとともにずっとある、と言っても過言ではないようです。
さて、このようなエリート観は「事実」なのでしょうか?つまり、政界や財界、それにマスコミをはじめとるエリートと呼ばれる人たちというのは、わたし達庶民を支配しようとしているのでしょうか?昨夏、日本で放映されていた『女王の教室』というテレビ番組で、主役である小学校教師が、「日本の支配者層は、自分達が支配しやすいように、あなた達にはバカのままでいてほしいと思っている」みたいなことを、教室で言い放つ場面があったと聞きました。へぽいさんもご自分のブログで、次のように言われています。
「様々な利権が絡み合う社会では、莫大な利益を生み出すモノ、利益や資源の流れを操作できる強者が、ある意味『常識』と言うモノや『情報』を操作する事で、大勢の人間達を操作[して]いるように思えます」
へぽいさんのこの発言、「ヘゲモニー(hegemony)」という概念を、ある意味表しています。この概念を系統立てたのは、イタリアのマルクス主義者・Antonio Gramsci(1891-1937)。このヘゲモニー、非常にぶっちゃげて言えば、「エリートは民衆を、武力ではなくて文化的な方法で、自分達に都合がいいように支配する」という意味らしいです。「文化的な方法」というのは、主に広告、テレビ、雑誌、映画などのメディア、それに万国博覧会なども含まれます。大衆文化などを研究するCultural Studiesの分野でよく使用されるコンセプトのようで、その専門家の間では、ヘゲモニーについて色々議論が交わされた(まだ交わされている?)ようです。「庶民は騙されやすくておバカ」という、ヘゲモニーの前提条件に異議を唱える学者もいるようですが、わたしは詳しいことは知りません。
このヘゲモニー、支配されている民衆が、支配されていると感じない、というところが「ミソ」。わかりやすい例を挙げましょう。「来年の流行色はゴールド」という宣伝記事を読んだ多くの読者が、その記事を鵜呑みにし、店に走ってゴールドの化粧品を購入した結果、その広告を仕組んだ化粧品会社、広告会社、または出版社などを儲けさせる。それに、「今年の化粧で流行しているゴールドには、このような色の服が映えますよ」などと言って、ファッション業界も儲かる(多分)。武力や脅しを使って、消費者に無理やり買わせるわけではないのです。自分の頭で考えない消費者が、記事を勝手に読んでそれを鵜呑みにし、「自らの意思で」買ったわけです。言い換えれば、そんな「おバカな消費者」が、自ら商品を欲しくなる、または買わないといけないと思うような仕組みを、企業が作ったわけです。
上の例は、あなたの身に覚えがありますか?自分が欲しいと思うもの、いいなと思うもの、おしゃれだと思うもの・・・、なぜ自分がそれを欲しいと思うのか、いいと思うのか、おしゃれだと思うのか、考えたことがありますか?へぽいさんも言っていましたが、自分で「いい」と思うものは、「自分の判断」で決めたものですか?その判断の基になっている価値観は何ですか?その価値観は、「自分の」価値観ですか?それとも、エリートに操作(manipulate)されて形成された価値観ですか?「エリートは、庶民にはバカのままでいてもらいたいと思っている。自分たちが利益を得やすいように、庶民を操られるから――。」あなたは納得しますか?
さて、このようなエリート観は「事実」なのでしょうか?つまり、政界や財界、それにマスコミをはじめとるエリートと呼ばれる人たちというのは、わたし達庶民を支配しようとしているのでしょうか?昨夏、日本で放映されていた『女王の教室』というテレビ番組で、主役である小学校教師が、「日本の支配者層は、自分達が支配しやすいように、あなた達にはバカのままでいてほしいと思っている」みたいなことを、教室で言い放つ場面があったと聞きました。へぽいさんもご自分のブログで、次のように言われています。
「様々な利権が絡み合う社会では、莫大な利益を生み出すモノ、利益や資源の流れを操作できる強者が、ある意味『常識』と言うモノや『情報』を操作する事で、大勢の人間達を操作[して]いるように思えます」
へぽいさんのこの発言、「ヘゲモニー(hegemony)」という概念を、ある意味表しています。この概念を系統立てたのは、イタリアのマルクス主義者・Antonio Gramsci(1891-1937)。このヘゲモニー、非常にぶっちゃげて言えば、「エリートは民衆を、武力ではなくて文化的な方法で、自分達に都合がいいように支配する」という意味らしいです。「文化的な方法」というのは、主に広告、テレビ、雑誌、映画などのメディア、それに万国博覧会なども含まれます。大衆文化などを研究するCultural Studiesの分野でよく使用されるコンセプトのようで、その専門家の間では、ヘゲモニーについて色々議論が交わされた(まだ交わされている?)ようです。「庶民は騙されやすくておバカ」という、ヘゲモニーの前提条件に異議を唱える学者もいるようですが、わたしは詳しいことは知りません。
このヘゲモニー、支配されている民衆が、支配されていると感じない、というところが「ミソ」。わかりやすい例を挙げましょう。「来年の流行色はゴールド」という宣伝記事を読んだ多くの読者が、その記事を鵜呑みにし、店に走ってゴールドの化粧品を購入した結果、その広告を仕組んだ化粧品会社、広告会社、または出版社などを儲けさせる。それに、「今年の化粧で流行しているゴールドには、このような色の服が映えますよ」などと言って、ファッション業界も儲かる(多分)。武力や脅しを使って、消費者に無理やり買わせるわけではないのです。自分の頭で考えない消費者が、記事を勝手に読んでそれを鵜呑みにし、「自らの意思で」買ったわけです。言い換えれば、そんな「おバカな消費者」が、自ら商品を欲しくなる、または買わないといけないと思うような仕組みを、企業が作ったわけです。
上の例は、あなたの身に覚えがありますか?自分が欲しいと思うもの、いいなと思うもの、おしゃれだと思うもの・・・、なぜ自分がそれを欲しいと思うのか、いいと思うのか、おしゃれだと思うのか、考えたことがありますか?へぽいさんも言っていましたが、自分で「いい」と思うものは、「自分の判断」で決めたものですか?その判断の基になっている価値観は何ですか?その価値観は、「自分の」価値観ですか?それとも、エリートに操作(manipulate)されて形成された価値観ですか?「エリートは、庶民にはバカのままでいてもらいたいと思っている。自分たちが利益を得やすいように、庶民を操られるから――。」あなたは納得しますか?
「女王の教室」私も見てました。
天海祐希が好きなので。
さて「天海祐希」が好きと言う価値観が
どうやって決められた物か?
う~ん、
やっぱりテレビや雑誌を元に決まってるでしょうね。
女優さんなんて、そんな所でしか見られないし。
昔はCMや雑誌にめちゃめちゃ影響されてましたが、
最近は、CMを見て「素敵っ」っと思っても、
すぐに『CMが素敵でも、商品が素敵とは限らない』と言う言葉を思い出して
冷静になるようにしています(;^^
私(一般市民)が考えた時、体制に依存したいと思う心理には、社会的地位への(物質)豊かさに対する憧れと、自分が何を良しとするかを追求する為の労力からの脱却が含まれるような気がしました。
人が物質的豊かさを追い求める時、そのお手本となるトップランナーを真似るのは当然なのかもしれませんね
とは言うものの、私はコレまで根っからのへゲモニストだったのでwこれから自分の価値観の再確認とエリート社会との付き合い方を考えて行きたいと思います
「わたしはこのタレントがなぜ好きなんだろう」とか、複数のタレントさんが好きなら、「これらのタレントに共通するのは何だろう」とか考えると、結局、自分のこと(価値観などを含め)がわかりますね。自分が好みのタレントのタイプが変わったときは、自分が変わったときだって、気付いたことないですか?
「素敵なCM=素敵な商品」だとは必ずしもならない、という点は賛成です。
へぽいさん、
トラバ、ありがとうございます。権力というか「power」への憧れと、そのpowerを頼っていれば楽、というのは、鋭い指摘ですね。このような偉そうな記事を書いてしまったけれど、わたしもこのヘゲモニーという概念については、身につまされる覚えがあります。賢い消費者を目指します。