忘己利他

書道をやっています。大切な仲間に恵まれ、ふれあい、共に楽しむために・・・

第55回記念 現日書展 

2015-07-15 16:33:30 | 書展


私が所属している「現日会」
最大イベントである「現日書展」が、
今回は第55回記念展を迎える。

8月2日(日)~10日(月)
AM9:30~PM5:30
8月3日は休館 最終日はPM1:00まで
上野恩賜公園内 東京都美術館 
ロビー階第1、第2展示室 
1階第1、第2、第3展示室

例年数名が
全紙縦2枚継(270cm)、横10枚幅(700cm)の
特別枠で出品するのだが、
今回私がその枠をいただき、
昨年の10月から、大作制作を続けてきた。

今年は、終戦70周年の年であることから、
故 峠三吉氏の
広島 原爆詩集より「八月六日」
という詩をモチーフとしている。



あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した錬兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重なった河岸の群れも
焼けつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟や町のあたりも
焼けうつり
兵器廠の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片目つぶれの、半身あかむけの、
誰がたれとも分からぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蝿の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか


 
言うまでもなく、原爆被害の悲惨さを伝える詩。
被爆直後の壮絶な様子を表現し、
核兵器の恐ろしさ、
争いを無くしたいという平和への祈り・
人間への愛を、
現代に訴えることを主眼としたが、
戦争を知らない世代の私が、
戦争の恐ろしさを伝えることは、
とても足りない部分が多い。

両親や祖父母から聞いた
戦争体験は生々しいものだった。
戦争体験者の高齢化が進み、
現代の人々にどれだけ戦争の悲惨さ、
むごたらしさを伝えることができているのだろうか?

国会では、
本日安保法案が可決され、
憲法の見直し、集団的自衛権、
先の戦争の痛みを忘れたかのような方向に進みつつある。
他国からの脅威と言っているが、
日本が自らこぶしを振り上げているように感じるのは、
私だけだろうか?
人間が作ってしまった原子力の恐ろしさ、
福島であんな事故があったのに、
政治家はその痛みを忘れてしまったのか?

この峠三吉の詩の解説を読むと、
「三吉の詩は、被爆直後の様子を十分表すことが出来ていない」
「それは、三吉が詩を書く能力が足りなかったわけではない。
その筆舌に尽くせぬ状況を表すだけの言語がなかったのだ」と。
日本語には、その悲惨で壮絶な様子を表す言葉がなかったのだ。
言葉がなかったのであれば、その三吉の思いを「書」で・・・
と意気込んでみたが、
果たしてどうであろう?

まだまだ足りないところだらけの作品であるが、
この夏、私の作品の前に立っていただき、
現代の日本を考えるきっかけであったり、
平和への祈りであったり、
人間を大切に思う気持ちであったり・・・
様々に感じていただければ、幸いと思う。