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KIND OF BLUE

「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」

三類の強敵

2010-06-11 | 仏法の実践
法華経勧持品第十三の二十行の偈(詩の形の経文)のなかには、末法に法華経を弘通する者に3種類の強い迫害者、すなわち三類の強敵が出現することが示されています。
その強敵のそれぞれは、第1に俗衆増上慢、第2に道門増上慢、第3に僭聖増上慢(僣聖増上慢とも書く)、と名づけられています。増上慢とは、いまだ悟っていないのに悟りを得た等の種々の慢心を起こし、自分は他の人よりも勝れていると思う人をいいます。
第1の俗衆増上慢は、法華経の行者を迫害する、仏法に無智な衆生をいいます。法華経の行者に対して、悪口罵詈等を浴びせ、刀杖で危害を加えることもあると説かれています。
第2の道門増上慢は、法華経の行者を迫害する比丘(僧侶)を指します。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し、自身が優れていると思い、正法を持った人を迫害してくるのです。
第3の僭聖増上慢は、人々から聖者のように仰がれている高僧で、ふだんは世間から離れたところに住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱いて、法華経の行者を陥れようとします。その手口は、国王や大臣等に向かって、法華経の行者を邪見の者であるなどと讒言し、権力者を動かして弾圧を加えるように仕向けるのです。
悪鬼が身に入ったこれらの迫害者たちによって、末法に法華経を持つ人は、何回も所を追われたりすると説かれています。
このうち、第1と第2は堪え忍ぶことができても、第3の僭聖増上慢は最も悪質であるといわれています。なぜなら、僭聖増上慢の正体はなかなか見破り難いからです。
この三類の強敵は、末法に法華経を弘通する時、必ず現われてくるものです。
日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を引き起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされたのです。sokanet

六難九易

2010-06-10 | 仏法の実践
法華経見宝塔品第十一では、六難九易を説いて、滅後に法華経を受持し、弘めることが困難であることを強調し、菩薩たちに、釈尊滅後に法華経を弘通する誓いを立てるように勧めています。
「六難」とは、滅後に法華経を(1)説き、(2)書き、(3)読み、(4)一人のために説き、(5)意義を問い、(6)受持することが困難であること。
「九易」とは、例えば、「須弥山を他の無数の仏土に投げ置くこと」「大地を足の甲に置いて梵天まで登ること」「乾いた草を背負って大火の中に入っても焼けないこと」「ガンジス河の砂の数ほどの経典を説くこと」などの九つです。
ここで九易として挙げられている九つの事例は、いずれも、普通ではとても為しえないことですが、滅後悪世に法華経を弘める六つの難事に比べれば、まだ易しいことであると説かれているのです。
このように説いて、至難中の至難事である滅後悪世の法華経弘通を勧める仏意を強く示しているのです。

地涌の菩薩

2010-06-09 | 仏法の実践
地涌の菩薩とは、法華経涌出品第十五で、釈尊が滅後弘通のために大地から呼び出した無数の菩薩をいいます。大地の底から涌き出たので地涌の菩薩といいます。大地の底とは、真理の世界に住していたことを意味します。
この地涌の菩薩の数は六万恒河沙です。「恒河」とはインドのガンジス河のことで、その砂の数を一恒河沙といいます。その一恒河沙の6万倍の菩薩が出現し、しかも、それぞれが無数の眷属(=従者、仲間)を率いているのです。
経典には、釈尊を25歳の青年とすれば、この地涌の菩薩は100歳の翁に譬えられるほど、仏以上の立派な姿をしていたことが説かれます。
この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊に教化され、“成仏のための根源の法”をすでに所持しており、釈尊と同じ仏としての生命境涯を持ちながら、菩薩の姿で悪世末法に妙法を広宣流布していく使命を帯びているのです。
この地涌の菩薩は、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩という4人の導師(=衆生を導くリーダー)に率いられています。
そして、上行菩薩らは、法華経神力品第二十一において、仏の滅後に真実の大法を弘めることを誓います。これに対して釈尊から滅後の弘教を付嘱されます。付嘱とは、未来に法を弘通することを託すことです。
大聖人は、虚空会の説法の内容全体から、地涌の菩薩が出現する時は、滅後の中でも悪世末法であり、弘める大法とは南無妙法蓮華経にほかならないことを明かされています。
この付嘱通りに末法の初めに、先駆けて南無妙法蓮華経を弘通された日蓮大聖人が上行菩薩にあたります。
また「諸法実相抄」に「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」(御書1360ページ)と仰せのように、日蓮大聖人の教えを信受して、大聖人の御精神の通り広布の実践に励む私たち一人ひとりも、すべて地涌の菩薩であり、末法の御本仏・日蓮大聖人の本眷属なのです。sokanet

広宣流布

2010-06-07 | 仏法の実践
仏の悟りである正法を人々に流布し、万人を仏の境涯に導くことこそが仏法の目標です。それ故に法華経でも「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」(通解―私〈釈尊〉が入滅した後、末法において、全世界に正法を広宣流布して断絶させず、決して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼などの魔物につけ入らせてはならない)と説かれています。
この経文は、「後の五百歳」すなわち末法に妙法を全世界(一閻浮提)に広宣流布していくべきことを述べたものです。
また、法華経では、末法の広宣流布が「地涌の菩薩」に託されます(地涌の菩薩とは、釈尊の久遠〈はるか昔〉からの弟子で、法華経の説法の場では大地の底から無数の地涌の菩薩が涌現してきたと説かれます)。
広宣流布について大聖人は次のように仰せられています。
「大願とは法華弘通なり」(御書736ページ)
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(同329ページ)
まさに広宣流布こそ日蓮大聖人の根本精神です。
この大聖人の御精神を受け継いで、世界に妙法を弘通し、広宣流布を進めてきた和合僧(仏法実践者の集い)が創価学会です。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同1360ページ)と仰せのように、大聖人のお心のままに妙法を弘めてきた創価学会こそ、広宣流布の使命を担う地涌の菩薩の団体にほかなりません。創価学会が日蓮大聖人の御精神を正しく継承する和合僧であるからこそ、世界中に妙法を弘めることができたのです。